新潟旅行記 vol.10
ヨッシーです。新潟旅行の最終日は、県西部(上越方面)を西に走りました。昨日は大雪で道中が心配されましたが、平野部にはほとんど雪がなくて天気も良好だったのでペースを上げて何とか計画を完遂することができました。
12月19日
上越・発 → 医王寺・金谷山スキー場・瑞泉寺・旧師団長官舎・田端町・高田世界館・善導寺・常敬寺・天崇寺・東本願寺高田別院・虎御前墓・春日神社・春日山城史跡広場・本願寺国府別院・白山神社・居多神社・五智国分寺・光源寺・明静院(上越) →(名立谷浜IC~親不知IC)→ 親不知記念広場・天険コミュニティロード・親不知ピアパーク・駅前海望公園・相馬御風宅・天津神社(糸魚川) → 自宅
写真は、明静院の境内にある諏訪神社の祠と岩屋殿です。当地は、諏訪大社の主祭神・建御名方神が誕生した場所であると言われています。
現在の岩屋殿は崩れてしまっていますが、寛延4年(1751年)の大地震に遭うまでは大きな岩窟になっていて、そこで建御名方神の両親神(大国主命と奴奈川姫)が生活していたと伝えられています。また、明静院の山号は岩殿山ですが、かつては神様の住まいを指す「岩戸」山と呼ばれていました。
奴奈川姫は、越国(現在の新潟、富山、福井)を治めていた神様(首領の娘)であり、姫川(糸魚川)で産出される翡翠(宝石)を経済基盤にしていたと考えられています。大国主命が勾玉の原料となる翡翠を求めて越国と婚姻関係を結んだのは想像に難くありません。
建御名方神は、天津神・建御雷神との戦いに敗れて諏訪まで逃れて諏訪大社の主祭神になりました(2010.4.10参照)が、諏訪に逃れたのも偶然ではなくて母方の越国に一旦は落ちたものの越国も天津神に占領されたため姫川に沿って山中に逃れ諏訪の地で降伏したと考えられます。
建御名方神の誕生地が寺院(明静院)になっているのは神仏習合の名残りであり、本堂の右側に上杉謙信のお墓が造られていることからも当地が信仰上特別な場所であったことが分かります。
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