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2008年5月22日 (木)

東京旅行記 vol.10

ヨッシーです。今日は港区での仕事が終わってから、浜松町から品川まで歩いてみました。途中には、赤穂浪士の墓所で有名な泉岳寺の他に、江戸火消し・め組の辰五郎の墓所・正覚寺もありました。

5月22日

西郷隆盛・勝海舟会見の碑 → 御田八幡神社 → 泉岳寺・大石内蔵助切腹の地・正覚寺

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写真は、泉岳寺の山門脇に立っている大石内蔵助良雄の像です。大石良雄は、赤穂藩の筆頭家老で、忠臣蔵で有名な赤穂浪士による吉良邸討ち入りメンバーのリーダーを務めた人物です。

泉岳寺は、元々現在の皇居・桜田門の近くにありましたが、江戸城の拡張に伴って寛永18年(1641年)に現在地に移転してきました。その移転に赤穂藩主・浅野家が協力したことで、以降浅野家の菩提寺となりました。境内には、浅野内匠頭長矩夫妻と四十七士の墓が整然と並んでいました。

浅野長矩夫妻の墓は大名墓らしく立派なものでしたが、四十七士の墓は思っていたよりもやや小さくて全て同じ形・大きさをしていました。ただし、大石良雄とその長男・主税良金の墓石には屋根が架けられていて、今もなお人気の高さが感じられました。

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2008年5月21日 (水)

東京旅行記 vol.9

ヨッシーです。出張で東京にやってきました。台風が心配でしたが昨日の内に通り過ぎて、今日は台風一過の快晴でした。早めに仕事は終わりましたが、明日も東京で仕事なので、このまま神田から上野まで歩いてみました。

5月21日

中央・発 → 大安楽寺(中央区) → お玉稲荷・柳森神社・ニコライ堂(千代田区) → 妻恋神社(文京区) → 上野公園(台東区) → 台東・泊

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写真は、日本ハリストス正教会の東京復活大聖堂です。一般にはニコライ堂の呼称で通っていますが、ニコライ自身はこの建物の建設・設計には関わっていません。

カサトキン・ニコライは、元ロシア正教の大司教で、文久元年(1861年)に来日し、日本ハリストス正教会を創設した人物です。明治24年(1891年)の大津事件では、日本とロシア両国間を仲裁したことでも知られています。

この東京復活大聖堂は、当に大津事件のあった年に完成したことから、日露間の戦争の回避に貢献したニコライに敬意を表してニコライ堂と呼ばれるようになりました。ビザンチン様式の教会としては国内最大の建造物で、国の重要文化財に指定されています。

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2008年5月13日 (火)

中信旅行記 vol.12

ヨッシーです。連休、出張と外出続きでしたが、ようやく信州での通常の生活に戻ることができました。出張明けの初出社ということもあって、今日は早めに仕事を切り上げて帰宅しました。明るい時間に帰宅できるのは気持ちがいいものです。

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写真は、通勤路の途中にある北熊井城跡の入口です。先月に案内標示が立てられたので今回改めて写真に収めました。

北熊井城は、名前のとおり熊井城の北側に造られた城です。熊井城は信濃国守護大名・小笠原氏の城でしたが、甲斐国の武田信玄に攻略されると縄張りが手狭ということで廃城となり、代わりに山本勘助に命じて築城させたのが北熊井城です。

石垣などはありませんが、城跡は最近まで畑として使用されていたため雑木による荒廃もなく、曲輪や空掘が状態良く残されています。昨年の大河ドラマに合わせて観光整備されるかと思っていましたが、今年になって標示が立てられたのは意外でした。(史跡保存のためにはこれで良かったのかもしれませんが。)

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2008年5月12日 (月)

長崎旅行記 vol.4

ヨッシーです。今日で長崎旅行も最終日で帰りの時間も決まっているので、長崎駅近辺を散策しました。駅前は駐車場のない場所が多いので、宿泊先のチェックアウトまで車を預けて歩いて廻りました。長崎は坂が多かったので足が棒になってしまいました。

5月12日

長崎・発 → 西坂公園・本蓮寺・カトリック中町教会・長崎歴史文化博物館・諏訪神社・桃渓橋・光源寺・若宮稲荷神社・風頭公園・亀山社中跡・興福寺・光永寺・眼鏡橋・皓台寺・崇福寺・正覚寺・高島秋帆旧宅・梅園身代り天満宮・中の茶屋・玉泉神社・三島屋・花月・見返り柳・出島 → 山王神社・平和公園・浦上天主堂 → 長崎・着

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写真は、長崎県にある3つの国宝建造物の1つである崇福寺の第一峰門です。崇福寺は、もう1つの国宝・大雄宝殿をはじめ、その他の建造物もほとんどが国の重要文化財に指定されている文化財建築の宝庫です。

崇福寺は、江戸時代で唯一の海外交易港・長崎を代表する中国風寺院です。この第一峰門は、中国で部材の加工を施した後に元禄9年(1696年)当地に運んで組み立てられたものと言われています。大雄宝殿も同様の手法で建てられたものですが、こちらは天和元年(1681年)の建築で県内最古の建造物です。

国宝建造物の残り1つは、日本最古の教会建築・大浦天主堂です。不幸にも戦争によって長崎には広島と同様に原爆が投下されて、人命と同時に多くの文化財が失われてしまいました。そのような不幸を乗り越えて、なお海外の文化と融合した貴重な文化財が残されていたことに海外交易港・長崎の逞しさを感じました。

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2008年5月11日 (日)

長崎旅行記 vol.3

ヨッシーです。2日目は、雨が上がったので島原半島を海沿いに走ってみました。環境問題で話題になった諫早湾潮受け堤防と天草四郎の史跡・原城跡、噴火による土石流被害の記憶が新しい雲仙岳が目的地です。

明日も休みを取って長崎市内を廻る予定ですが、明日は午後から信州に帰らないといけないので、今日中にできるだけ長崎市内の方(外海方面)も廻っておくことにしました。外海の海岸線を走る国道202号線は、「サンセットオーシャン202」と呼ばれていて水平線に沈む夕日が美しいことで有名なビュースポットになっています。

5月11日

諫早・発 → 御館山公園・慶巌寺・安勝寺・諫早公園・上山公園(諫早) → 諫早湾潮受け堤防・鶴亀城跡・神代小路(雲仙) → 二本木神社・島原城跡公園・武家屋敷跡・本光寺(島原) → 日野江城跡・原城跡(南島原) → 雲仙地獄・温泉神社(雲仙) →(諫早IC~川平IC・川平道路)→ 黒崎カトリック教会・カトリック出津教会・カトリック大野教会・道の尾温泉(長崎) → 長崎・泊

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写真は、これまでの西洋建築とは印象を異にする平屋造りのカトリック大野教会です。外海地区の主任司祭・マルコ・マリ・ド・ロ神父がカトリック出津教会の巡回教会として明治26年(1893年)に建てられました。

教会の背後にある大野岳から切り出された玄武岩を積み上げた外壁はド・ロ神父の考案によるものであることからド・ロ壁と呼ばれています。屋根には日本建築と同様に瓦を使用していますが、窓の上半分を半円のアーチ状にするなど教会らしく見せる工夫も見られ、当に和洋折衷の傑作的建築と言えます。また、この教会は大野岳の中腹という高台にあることから、教会から眺める角力灘に沈む夕日も最高のロケーションです。

現在は長崎県の有形文化財ですが、建築の古さもあることからぜひ国の重要文化財に指定して維持保存を図っていただきたいと願います。

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2008年5月10日 (土)

長崎旅行記 vol.2

ヨッシーです。今週末は熊本から長崎に移動して、こちらで休日を過ごすことにしました。長崎県の地理的中心に当たる諫早市を拠点にレンタカーで、北、西、東と走ってみました。今日は生憎の悪天候で風雨が強かったので、車での移動距離が長い(車に乗っている時間が長い)平戸方面に行ってきました。

5月10日

諫早・発 → 大村公園・五教館御成門・本経寺・大村純忠史跡公園(大村) →(大村IC~佐世保みなとIC)→ カトリック三浦町教会(佐世保) → 田平天主堂・平戸大橋公園・宝亀教会・紐差教会・普門寺・最教寺・亀岡公園・幸橋・聖フランシスコザビエル聖堂・正宗寺・松浦史料博物館・崎方公園・平戸オランダ商館跡・雄香寺(平戸) →(佐世保みなとIC~諫早IC)→ 諫早・泊

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写真は、カトリック田平教会(田平天主堂)の内観の様子です。外はまるで台風のような豪雨と強風でしたが、内部は水を打ったような静けさで高窓から射し込む光には温かささえ感じられました。

田平天主堂は、大正7年(1918年)に鉄川与助によって建てられたレンガ造りの教会で、その意匠の美しさから国の重要文化財に指定されています。赤レンガの外観とは打って変わって、内観は白を基調に金色に塗られた簡素な草木の彫刻が上品なアクセントを与えていました。

ヨッシーはこれまで日本の伝統的建造物である神社仏閣の持つ美しさと気品に惹かれ続けてきましたが、今回西洋の寺院である教会建築の祭壇前に立って日本の寺社と共通する気品を強く感じました。これからは、教会にもはまってしまいそうです。

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2008年5月 9日 (金)

熊本旅行記 vol.7

ヨッシーです。今日は、早起きをして上熊本駅前にやってきました。なぜ上熊本駅かと言うと、この駅は3年前にヨッシーが初めて熊本の地を踏んだ想い出の場所だからです。

宿泊先で散歩のために入手した観光マップで、上熊本駅の旧駅舎が現在の駅舎のすぐ隣に保存されていることを知りました。3年前にはこのような建物の記憶がなかったので、もしかしたらと思い訪れてみました。

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写真は、現在の上熊本駅の左隣に建てられた旧上熊本駅舎と夏目漱石の像です。当にそこにあったのはヨッシーが記憶する上熊本駅舎でした。

旧上熊本駅舎は、九州新幹線の建設に伴う高架駅舎への建て替えのため2年前に現在地に移築されました。大正2年(1913年)の建築でもありますが、夏目漱石が第五高等学校(現熊本大学)の教師として赴任してきた際に初めて降り立った駅であり、それが保存に至った最大の理由でした。ヨッシーの熊本入りが夏目漱石先生と同じ場所だったという偶然に感激しました。

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2008年5月 8日 (木)

愛知旅行記 vol.3

ヨッシーです。連休が明けて早速ですが、出張で熊本にやってきました。今回は、中部国際空港(セントレア)から熊本入りしました。開港当初は話題の最先端空港だったので大変混雑していましたが、今日は早い便だったためか意外と空いていました。

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写真は、セントレアのスカイデッキから眺めた国内線の発着ゲートの様子です。写真中央に写っている黄色い全日空機(ANA)がヨッシーの乗った熊本便です。

飛行経路は名古屋空港出発便と同様に、琵琶湖と京都の上空を通過するルートでした。そして、このルートは熊本空港着陸前に雄大な阿蘇山を横に眺めることができます。ただ残念なことに今回の熊本は曇り空で、阿蘇山にも深い霧が立ち込めていて良い写真を撮ることが出来ませんでした。熊本空港を利用することは滅多にありませんが、いつか美しい阿蘇山の写真をブログで紹介したいと思います。

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2008年5月 5日 (月)

埼玉旅行記 vol.3

ヨッシーです。3日目は、埼玉県中部の関越自動車道沿線から西部の荒川上流域(長瀞町、秩父市)を通って雁坂峠を抜けるルートを走ってみました。雁坂峠を越えた山梨県側は、ヨッシーが昨年11月に紅葉を見に訪れた西沢渓谷になります。

5月5日

鶴ヶ島・発 → 高麗神社・勝楽寺(日高) → 出雲伊波比神社(毛呂山) → 龍隠寺(越生) → 鎌形八幡神社・班渓寺・大蔵神社・行光院・安養寺・源義賢墓・大行院(嵐山) → 吉田家住宅(小川) → 鉢形城跡・藤田善導寺・正龍寺(寄居) →(寄居風布IC~皆野長瀞IC)→ 長瀞町郷土資料館・宝登山神社・岩畳(長瀞) → 栄福寺・音楽寺・西光寺・秩父神社・慈眼寺・法泉寺・久昌寺・清雲寺・三峯神社・栃本関跡(秩父) →(雁坂トンネル・甲府昭和IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、秩父赤壁の遊歩道から眺めた長瀞の岩畳です。広角写真では岩畳の大きさがあまり良く分かりませんので、写真をクリックして拡大してみてください。小さくて見えなかった人影を確認することができます。

岩畳の上には東屋が建てられていたり、小さく見える木もかなり立派であることが分かります。連休のため、岩畳側はかなり混雑していましたが、対岸の赤壁側には誰もいなくて、岩畳を眺めるには絶好のポイントでした。

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2008年5月 4日 (日)

群馬・埼玉旅行記

ヨッシーです。今日は、群馬県南部を西から東に走ってみました。メインは、世界遺産の暫定リストに記載された富岡製糸場です。日本の近代化に大きく貢献した明治時代最高水準の工場です。

5月4日

安中・発 → 旧丸山変電所・坂本八幡宮・坂本宿・白鬚神社・碓氷関所跡・諏訪神社・横川茶屋本陣(安中) → 妙義神社・貫前神社・富岡製糸場・楽山園・崇福寺(富岡) → 観音山公園・達磨寺・高崎城址・大信寺(高崎) → 前橋公園・龍海院・前橋八幡宮(前橋) → 桐生明治館・絹撚記念館・桐生織物記念館・桐生倶楽部会館・有鄰館・無鄰館・桐生天満宮・群馬大学工学部(桐生) → こだま温泉(本庄) →(本庄児玉IC~鶴ヶ島IC)→ 鶴ヶ島・泊

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写真は、富岡製糸場の心臓部である操糸場の外観です。明治5年(1872年)の創業当時からの建物で、国の重要文化財に指定されています。この操糸場の中にはフランス製の操糸機300台が2列に分けて並べられており、全国から集められた工女たちが繭から生糸を取り出していました。

創業時は官営工場(21年間)でしたが、三井製糸(9年間)、原製糸(37年間)、片倉工業(48年間操業の後、18年間保有)を経て平成17年(2005年)から富岡市の所有となりました。片倉工業はかつてシルクエンペラーと呼ばれた信州を代表する財閥で、信州の諏訪湖畔にも赤レンガ造りの温泉保養施設・片倉館(昭和3年)を建設しています。こちらも市の有形文化財に指定されていますが、温泉施設として現在も一般に開放されています。

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2008年5月 3日 (土)

東信・群馬旅行記 vol.2

ヨッシーです。ガソリン価格が上がってしまったので、5月の連休は信州で大人しくしているつもりでしたが、それも勿体ないので車中泊の貧乏旅行に出かけることにしました。東信から群馬南部、そして埼玉中・西部を走ってみることにしました。

5月3日

自宅 →(塩尻北IC~佐久IC)→ 追分公園・泉洞寺・諏訪神社・旧追分宿・浅間神社・長倉神社・雲場池園地・聖パウロカトリック教会・神宮寺・ショー記念礼拝堂・旧三笠ホテル・旧軽井沢礼拝堂(軽井沢) → 峠の湯(群馬・安中) → 安中・泊

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写真は、軽井沢発祥の地に建てられたショー記念礼拝堂です。

アレキサンダー・クロフト・ショー氏は、明治18年(1885年)にキリスト教布教のため初めて軽井沢を訪れた英国人です。軽井沢の環境が故郷のスコットランドに似ていたことから、ショー氏は明治19年(1886年)にこの地に礼拝堂を建て、さらに明治21年(1888年)には別荘(ショーハウス)を建てて広く世界に軽井沢を紹介しました。

この礼拝堂は軽井沢で最も古いものであり、その隣に建つショーハウスは軽井沢の別荘第一号と言われています。当にこの地は軽井沢の父・A・C・ショー氏が拓いた軽井沢の聖地であり、氏の愛した環境を今も残すパワースポットになっています。

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