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2010年8月15日 (日)

京都旅行記 vol.18

ヨッシーです。3日目は、丹波地方から京都市内へと入りました。亀岡は古来より丹波国の中心地であり亀山と呼ばれていましたが、明智光秀が丹波国を治めると伊勢国(三重県)の亀山との混同を避けるため亀岡と改称されました。

亀岡の中心・亀山城跡は現在、宗教法人大本教団が所有していて、自由に城跡を見学することが出来ません。そこで、亀山城の外堀を整備した南郷公園を訪れましたが、天守閣の鯱瓦のレプリカが置いてあっただけで少々期待外れでした。

8月15日

南丹・発 → 九品寺・普済寺(南丹) → 金輪寺・延福寺・宝林寺・梅田神社・出雲大神宮・丹波国分寺・愛宕神社・南郷公園・光忠寺・宗堅寺(亀岡) →(篠IC~沓掛IC)→ 愛宕念仏寺(京都・右京区) →(嵐山高雄パークウェイ)→ 西明寺・神護寺・高山寺・平岡八幡宮(京都・右京区) →(京都東IC~栗東IC)→ 栗東・泊

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写真は、高雄三山の一つ・神護寺の鐘楼です。鐘楼自体は元和9年(1623年)に再建されたものですが、中には国宝・三絶の鐘が納められています。

三絶の鐘は、貞観17年(875年)に作成されたもので、名前は銘文を書いた当時の三人の文化人(橘広相、菅原是善、藤原敏行)に由来します。また、三絶の鐘と同様に国宝に指定されている梵鐘は他に2つ(平等院、三井寺)あって、それらは日本三銘鐘と呼ばれています。

ヨッシーは既に神護寺以外の日本三銘鐘に拝観済みだったので、今日が最後の1つへの拝観となる予定でしたが、肝心の三絶の鐘は一般公開されていなかったのが非常に残念でした。

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2010年8月14日 (土)

京都旅行記 vol.17

ヨッシーです。2日目は、京都府北部を丹後地方から丹波地方へと南下しました。丹後・丹波地方にある籠神社と皇大神社・豊受神社は、元伊勢神社と呼ばれていて、現在の伊勢神宮の前身と言われています。昨日の若狭地方と同様に丹後・丹波地方もまた日本の成り立ちと関係深い地域でした。

8月14日

京丹後・発 → 縁城寺・常立寺・小町公園・妙性寺(京丹後) → 丹後国分寺・丹後郷土資料館・籠神社・傘松公園・成相寺・智恩寺・天橋立・天橋立ビューランド(宮津) → 皇大神社・天の岩戸神社・豊受神社・島田神社・福知山城・円覚寺(福知山) →(福知山IC~綾部安国寺IC)→ 安国寺・石田神社・光明寺・金剛寺(綾部) → 大福光寺・九手神社(京丹波) →(丹波IC~園部IC)→ 徳雲寺・春日神社・普門院・ひよし温泉(南丹) → 南丹・泊

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写真は、福知山城の天守閣です。築城当時のものは石垣部分のみで、天守閣は昭和61年(1986年)に復元されたものです。

福知山城は、織田信長から丹波亀山城(亀岡市)を預かっていた明智光秀が丹波国全域を制圧した際に全域を統治するため国の中心に新たに築いた平山城です。丹波国は信長の支配に最も抵抗した国の一つであり、制圧後には一日も早く国内外に力を示すような権威の象徴となる城郭を築く必要がありました。そのような事情から、福知山城の石垣には転用石として大量の墓石が使用されました。

転用石を使用した理由は石を切り出す時間がなかったためだと言われていますが、この石垣を眺めてヨッシーが強く感じたのは、抵抗した丹波国民への仕打ち(祖先の墓の破壊と信仰の否定)と現在敵対している勢力への見せしめを目的とした狂気でした。写真の石垣部分を拡大していただくと転用石として利用された墓石(五輪塔、宝篋印塔)の一部が複数確認できます。

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2010年8月13日 (金)

福井・京都旅行記

ヨッシーです。いよいよ、今日から夏期休暇が始まりました。今年の夏期休暇は4日間しかないので、比較的近場で訪問できていない地域・若狭~北近畿を巡ることにしました。

1日目は、福井県若狭地方から舞鶴方面へと走りました。若狭地方は、かつては福井(越前国)とは別の国(若狭国)であり、その中心都市の小浜市には国都らしく重要な史跡がたくさん見られました。

8月13日

自宅 →(塩尻IC~敦賀IC)→ 金ヶ崎緑地・市立博物館・晴明神社・来迎寺・西福寺(敦賀) → 明通寺・国分寺・若狭姫神社・若狭彦神社・神宮寺・妙楽寺・佛國寺・発心寺・小浜病院・小浜神社・源應寺・羽賀寺・空印寺・栖雲寺・常高寺・飯盛寺(小浜) → 長福寺・中山寺(高浜) → 金剛院・北吸トンネル・赤れんが博物館・市政記念館・舞鶴公園・本行寺・見樹寺(舞鶴) → 安寿の里もみじ公園・由良川橋梁・天満宮・大頂寺(宮津) → 小野小町温泉(京丹後) → 京丹後・泊

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写真は、空印寺の境内にある八百比丘尼の入定洞岩窟です。八百比丘尼の伝説は全国各地にありますが、その発祥地は当地(小浜)であると言われています。

八百比丘尼は、小浜の高橋権太夫という長者の娘でしたが、長者が竜宮から持ち帰った人魚の肉を食べて不老長寿となり、全国を行脚して土地開発と人倫道徳を説いて廻った伝説上の人物です。16歳で不老長寿になってから120歳で落髪して尼となり、270歳で全国行脚の旅に出て795歳で小浜に帰り800歳で当地に入定して、八百比丘尼として語り継がれるようになりました。

小浜には、海幸山幸伝説(天皇家の発祥)を伝える若狭彦神社や奈良東大寺二月堂への「お水送り」の伝統を受け継ぐ神宮寺などもあって、歴史と伝説に満ちた興味深い町でした。

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2010年8月 1日 (日)

山梨旅行記 vol.3

ヨッシーです。昨日に引き続き、2日目も山梨県北部の史跡を東から西に向かって巡りました。今日のメインは、坂本龍馬のもう一人の妻・千葉さな子のお墓参りです。坂本龍子のお墓(2010.6.12訪問)とは対照的に優しい感じのお墓でした。

8月1日

甲斐・発 → 清運寺・武田神社・興因寺・恵運院(甲府) → 願成寺・武田八幡神社(韮崎) → 八代家住宅(北社) → 満福寺(韮崎) → 正覚寺・信光寺・清光寺(北社) →(長坂IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、清運寺にある千葉さな子のお墓です。「坂本さな子」と書かれていないのは正式には結婚していないためですが、両者は婚約していたと伝えられています。また、「さな」が平仮名なのは、「佐那」と「佐奈」二通りの漢字表記が伝えられているためです。

千葉さな子は、北辰一刀流の開祖・千葉周作の姪であり、龍子より8歳年上なので、身分、年齢共に龍子よりも上だというプライドを持っていたことが想像されます。そのため、龍子に龍馬を取られた(結婚した)ことを認めることが出来なかった結果、生涯独身を貫くことになったものと考えられます。

さな子は晩年、鍼灸の仕事をしながら千住で没していますが、独身で子がなかったため友人の小田切家が引き受けて現在の墓地に眠っています。墓石の裏には、「明治二十九年十月十五日 坂本龍馬室」と書かれており、せめて死後は龍馬と一緒であってほしいという小田切家の方々の優しさが伝わってきました。

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