愛媛・広島旅行記
ヨッシーです。旅行四日目は、松山市から「しまなみ海道」を渡って滋賀に帰省しました。
しまなみ海道にある島々へは高速道路で渡りますが、上りと下りとでインターチェンジ(IC)が異なります。ヨッシーの車のカーナビが古かったため、誤って途中のICで下りてしまい、慌てて入り直すと逆方向の入口でした。時間とお金のロスが響きました。
12月30日
松山・発 → 道後公園・石手寺・浄土寺・城山公園・大宝寺・太山寺(松山) → 吹揚公園(今治) →(今治北IC~大島南IC)→ 高龍寺・村上水軍博物館(今治) →(大島北IC~大三島IC)→ 大山祇神社・鶴姫公園(今治) →(大三島IC~因島南IC)→ 因島水軍城・金蓮寺(尾道) →(因島北IC~西瀬戸尾道IC・福山西IC~栗東IC)→ 栗東・泊
写真は、大山祇神社横に立っていた戦国のジャンヌダルク・鶴姫の像です。鶴姫は、戦国時代に三島水軍を率いて戦った大山祇神社の大祝・三島安用の息女です。
大祝・三島氏は、大山祇神社の御祭神・大山津見神(イザナギとイザナミの子)の子孫であり、伊予国守護大名・河野氏を一族に持つ瀬戸内の名家です。すなわち、村上水軍の主家に当たる実質的な瀬戸内水軍の長と言えます。
鶴姫は、瀬戸内水軍の掌握を目論む大内家との戦いで戦死した兄・安房に代わって三島水軍を率いることになりました。そして天文12年(1543年)、その機を逃さずに攻めてきた大内軍との戦いに見事勝利しました。しかし、この戦いで婚約者である越智安成を失ったことで、失意から母の形見の鈴を持って海に身を投げたと言われています。
大山祇神社には、鶴姫が着用したと伝わる女性用の鎧・紺糸裾素懸威胴丸(国の重要文化財)が残されています。胸の部分の膨らみ具合とウエスト部分の細さから、鶴姫はかなり細身の女性であったと予想されます。
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