2008年12月30日 (火)

愛媛・広島旅行記

ヨッシーです。旅行四日目は、松山市から「しまなみ海道」を渡って滋賀に帰省しました。

しまなみ海道にある島々へは高速道路で渡りますが、上りと下りとでインターチェンジ(IC)が異なります。ヨッシーの車のカーナビが古かったため、誤って途中のICで下りてしまい、慌てて入り直すと逆方向の入口でした。時間とお金のロスが響きました。

12月30日

松山・発 → 道後公園・石手寺・浄土寺・城山公園・大宝寺・太山寺(松山) → 吹揚公園(今治) →(今治北IC~大島南IC)→ 高龍寺・村上水軍博物館(今治) →(大島北IC~大三島IC)→ 大山祇神社・鶴姫公園(今治) →(大三島IC~因島南IC)→ 因島水軍城・金蓮寺(尾道) →(因島北IC~西瀬戸尾道IC・福山西IC~栗東IC)→ 栗東・泊

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写真は、大山祇神社横に立っていた戦国のジャンヌダルク・鶴姫の像です。鶴姫は、戦国時代に三島水軍を率いて戦った大山祇神社の大祝・三島安用の息女です。

大祝・三島氏は、大山祇神社の御祭神・大山津見神(イザナギとイザナミの子)の子孫であり、伊予国守護大名・河野氏を一族に持つ瀬戸内の名家です。すなわち、村上水軍の主家に当たる実質的な瀬戸内水軍の長と言えます。

鶴姫は、瀬戸内水軍の掌握を目論む大内家との戦いで戦死した兄・安房に代わって三島水軍を率いることになりました。そして天文12年(1543年)、その機を逃さずに攻めてきた大内軍との戦いに見事勝利しました。しかし、この戦いで婚約者である越智安成を失ったことで、失意から母の形見の鈴を持って海に身を投げたと言われています。

大山祇神社には、鶴姫が着用したと伝わる女性用の鎧・紺糸裾素懸威胴丸(国の重要文化財)が残されています。胸の部分の膨らみ具合とウエスト部分の細さから、鶴姫はかなり細身の女性であったと予想されます。

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2008年12月29日 (月)

愛媛旅行記

ヨッシーです。旅行三日目は、宇和島から松山まで城下町を中心に巡りました。愛媛県は、ヨッシーがまだ行ったことのなかった都道府県の1つです。今回この旅行を計画した目的の1つでもありましたが、実際に訪れてみて気候は温暖で食べ物も美味しく、歴史もあって(文化財が多い)大変魅力のある県でした。

12月29日

鬼北・発 → 等覚寺・宇和津彦神社・大隆寺・宇和島城・来応寺(宇和島) → 開明学校・光教寺(西予) →(西予宇和IC~大洲北只IC)→ 如法寺・曹渓院・大洲城(大洲) →(大洲IC~内子五十崎IC)→ 内子座・八日市・護国町並み(内子) →(内子五十崎IC~松山IC)→ 湯神社・伊佐爾波神社・道後温泉駅・椿の湯・道後温泉本館(松山) → 松山・泊

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写真は、道後温泉のシンボル・道後温泉本館です。明治27年(1894年)に建てられた道後温泉最古の建造物で国の重要文化財に指定されています。

道後温泉は、開湯3000年の歴史を持つ日本最古の温泉です。また、道後温泉本館は昔から変わらぬ建物でありながら、現在も現役の温泉浴場として活躍しています。入浴コースは次の4種類があります。

①神の湯階下・・・神の湯(大浴場)のみ利用。400円。②神の湯二階席・・・神の湯と二階席(大広間)を利用。二階に展示されている宝物を鑑賞することができる。800円。③霊の湯二階席・・・霊の湯(人数制限の専用風呂)と神の湯に入浴可能。宝物の鑑賞はもちろん又新殿(皇室専用浴室)、坊ちゃんの間(三階:夏目漱石利用の部屋)も見学できる。1,200円。④霊の湯三階個室・・・霊の湯と神の湯の他、三階個室(坊ちゃんの間の並びの部屋)を個人(グループ)で利用することができる。宝物、又新殿、坊ちゃんの間の見学も可能な極上コース。1,500円。

一人旅のヨッシーは、霊の湯二階席コースを利用しました。古い建物にも関わらず館内は掃除が行き届いていて清潔でした。最高の温泉に加えて重要文化財の館内見学もできて大満足の一日でした。

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2008年12月28日 (日)

高知・愛媛旅行記

ヨッシーです。旅行二日目は、高知市から四万十方面に向かいました。高知県西部はまだ高速道路が整備されていないので、一般道での長距離移動となって思った以上に大変でした。

12月28日

南国・発 → 土佐神社・善楽寺(高知) →(高知IC~伊野IC)→ 朝倉神社・高知城・山内神社・三翠園・筆山公園・真如寺・竹林寺・桂浜・雪渓寺・秦神社(高知) → 池ノ浦・鳴無神社(須崎) → 不破八幡宮・一條神社・為松公園・中村大神宮・奥御前宮・佐田沈下橋(四万十) → 森の国温泉(松野) → 鬼北・泊

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写真は、四万十川に架かる佐田の沈下橋です。沈下橋という名前は、増水した時に川に沈んでしまうことに由来します。沈下橋は四万十川に特有の橋で、戦後に複数架けられました。橋の高さは水面に近く、欄干がないのが特徴です。

戦後の貧しい時代には、高い橋脚を持った立派な橋を架けることができませんでした。しかし、四万十川は四国最長・最大流域面積を誇る大河であり、台風の度に増水して橋は流されてしまいます。そこで、増水した川の水流から受ける抵抗を抑えるため欄干を取り除いて、流されにくく改良したものが沈下橋です。

夕方になると四万十川の水面には霧が立ちこめて、その光景はまるで川とそこに住む生き物たちが呼吸を整えて静かに眠りに就くかのように幻想的でした。

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