2010年9月23日 (木)

広島・島根旅行記

ヨッシーです。今日からSW(シルバーウィーク)の後半がスタートしました。後半は、GW(ゴールデンウィーク)に訪問した中国地方で一番印象に残っていた萩・津和野(2010.4.30訪問)を再訪することにしました。1日目は、鯉の泳ぐ町・津和野の町並みを散策しました。

9月23日

栗東・発 →(栗東IC~高田IC)→ 郡山城跡・歴史民俗資料館(安芸高田) →(高田IC~六日市IC)→ 弥栄神社・多胡家表門・養老館・大岡家老門・津和野カトリック教会・森鴎外記念館・永明寺(津和野) → 津和野・泊

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写真は、弥栄神社の鳥居前に立てられた鷺舞のモニュメントです。

鷺舞は、天文11年(1542年)に当寺の津和野城主・吉見正頼が京都から導入した古式に則った神事舞です。以来、弥栄神社の神事として歴代の津和野藩主からも保護されて、現在では小京都・津和野を代表する風物詩として国の重要無形民俗文化財に指定されています。

明日は、津和野の町並みを山上(津和野城跡)から眺めた後、次の目的地・萩へ移動します。

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2010年5月 3日 (月)

広島・岡山旅行記

ヨッシーです。中国旅行の5日目は、山陽道に沿って広島県東部の史跡を巡りました。しまなみ海道を臨む三原は、毛利水軍の棟梁・小早川氏の拠点であり、海運で栄えた尾道など海に関係する史跡が多く見られました。

5月3日

安佐南・発 → 安国寺・日通寺・國前寺(広島・東区) →(広島東IC~西条IC)→ 安芸国分寺・福成寺(東広島) →(西条IC~河内IC)→ 竹林寺(東広島) → 永福寺・佛通寺・米山寺・宗光寺・三原城跡(三原) → おのみち映画資料館・浄土寺・海龍寺・西郷寺・西國寺・常称寺・大山寺・御袖天満宮・艮神社・天寧寺・中村憲吉旧居・千光寺・志賀直哉旧居・持光寺・尾道港(尾道) → 吉備津神社・素盞鳴神社・国分寺(福山) → 永祥寺(井原) → 遍照寺(笠岡) → 倉敷温泉(倉敷) → 玉野・泊

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写真は、尾道にある浄土寺の多宝塔です。鎌倉時代末期の嘉暦3年(1328年)に建てられたもので、尾道で最古の建造物である同寺の本堂(1327年建立)とともに国宝に指定されています。

浄土寺は、推古24年(616年)に聖徳太子が開いた歴史のある寺院です。国宝である本堂と多宝塔以外の建造物も多く(山門、阿弥陀堂、他6棟)が国の重要文化財に指定されており、瀬戸内海では厳島神社に次ぐ歴史建造物の宝庫です。

昼食には尾道ラーメンを食べる予定でしたが、どこも長い行列が出来ていたので時間を惜しんで断念しました。その代わり、ちょうど日没を笠岡で迎えたので、夕食には笠岡ラーメンを食べました。鶏ガラと煮干が効いた醤油ベースのラーメンで昔食べた懐かしい味がしました。

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2010年5月 2日 (日)

山口・広島旅行記

ヨッシーです。中国旅行の4日目は、山口から山陽道を広島方面に走りました。一昨日の萩と津和野に続いて、広島と岩国への訪問も15年ぶりとなりました。

今日の目的地は、山口の象徴である瑠璃光寺の五重塔です。山口市は、室町時代の有力大名・大内氏の拠点でしたが、この五重塔からは当時の大内氏の繁栄ぶりが伝わってきました。

5月2日

山口・発 → 古熊神社・今八幡宮・八坂神社・龍福寺・山口県庁・洞春寺・香山公園・瑠璃光寺・凌雲寺跡・平清水八幡宮(山口) →(山口IC~徳地IC)→ 月輪寺(山口) → 大成寺(周南) → 花岡公園(下松) → 清鏡寺(光) →(熊毛IC~岩国IC)→ 吉香神社・錦帯橋・吉香公園・洞泉寺・岩国城(岩国) →(岩国IC~廿日市IC)→ 洞雲寺(廿日市) → 国泰寺(広島・西区) → 平和記念公園・エリザベート音楽大学・広島城(広島・中区) → 宇品温泉(広島・南区) → 安佐南・泊

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写真は、香山公園から眺めた瑠璃光寺の五重塔です。公園の大きな池に映し出された木々の緑と五重塔が、自然と調和した日本建築の美しさを一層引き立たせていました。

瑠璃光寺の五重塔は、嘉吉2年(1442年)に大内氏の11代・大内盛見が建立したもので、国宝に指定されています。大内氏の全盛時代には、毛利元就の長男・隆元も人質としてこの瑠璃光寺に預けられていました。このような縁もあってか、長州藩(毛利氏)は幕末に居城を萩から山口に遷しており、山口移転以降の藩主(13~15代)の墓地も香山公園の一番高い場所に造られていました。

中国旅行も終盤となる明日は、広島県東部の歴史の宝庫・尾道を散策します。

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2010年4月30日 (金)

広島・島根・山口旅行記

ヨッシーです。中国旅行の2日目は、広島県北部から山陰に出て海沿いを西に向かって走りました。萩と津和野へは、15年ぶりの訪問になりました。

今日の目的地は、安芸高田市にある郡山城跡です。郡山城は、中国地方の雄・毛利元就の居城であり、城下には毛利元就、隆元(元就の長男)、興元(元就の兄)の墓所が残されていました。

毛利氏は安芸国の一国人でしたが、元就の時代に安芸国と備後国の有力国人であった吉川氏と小早川氏に自分の次男(元春)と三男(隆景)を養子に出す等して国人衆の盟主となり、東西の大国(大内・尼子氏)を滅ぼして中国地方120万石の大大名になりました。しかし、輝元(元就の孫)の代には広島城に居城を移して豊臣政権の五大老の一人にまでなりましたが、関ヶ原の戦いに敗れて周防・長門国37万石に減封されて萩に居城を移すことになりました。

4月30日

庄原・発 → 円通寺(庄原) → 鳳源寺(三次) →(三次IC~高田IC)→ 郡山城跡・清神社・猿掛城跡(安芸高田) → 吉川元春館跡・龍山八幡神社(北広島) →(大朝IC~浜田IC)→ 金蔵寺(浜田) → 天石勝神社(益田) → 永明寺・永太院・乙女峠記念聖堂・津和野カトリック教会・太鼓谷稲成神社・津和野城山公園・森鴎外記念館・鷲原八幡宮(津和野) → 東光寺・指月公園・旧厚狭毛利家萩屋敷長屋・天樹院・堀内鍵曲・平安橋・萩指月温泉(萩) → 萩・泊

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写真は、指月公園の入口(萩城址の本丸門前)から眺めた天守閣跡の様子です。

萩城は、防長二国に減封された毛利輝元が慶長9年(1604年)に築城して以来、元治元年(1864年)に藩庁が山口に移るまでの毛利氏13代の居城です。現在も新堀川より内側の地域には武家屋敷の遺構がたくさん残っていて、町全体がまるで時代劇のセットの中のようでした。

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2010年1月 4日 (月)

広島旅行記

ヨッシーです。年始休みも今日が最終日です。昨日からUターンラッシュが激しくなってきたので、今日は午前中だけ福山市内を散策して午後(13:00)から信州への帰路に就きました。

福山市から塩尻市までは700km。20:00頃には帰宅できる予定でしたが、龍野で事故渋滞、神戸から大山崎でも渋滞、信州に入ると吹雪に遭って家に到着したのは24:00でした。連続11時間の運転で疲れ果てました。

1月4日

福山・発 → 磐台寺 → 鞆城山公園・太田家住宅・いろは丸展示館・御舟宿いろは・福禅寺・桝屋・静観寺・沼名前神社・備後国分寺 → 明王院・草戸稲荷神社 → 妙政寺・賢忠寺・福山城公園・三蔵稲荷神社・備後護国神社 →(福山西IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、福禅寺客殿(対潮楼)からの眺めです。瀬戸内海に浮かぶ島々と中央の弁天島に建つ福寿堂がまるで日本庭園に造られた築山と石灯籠のように見えて、自然と人が作り出した日本の美の傑作にしばし見惚れてしまいました。

この景色は、正徳元年(1711年)に来日した朝鮮通信使・李邦彦も「日東第一形勝」と賞賛したと伝えられています。また、更にこの辺り一帯は「鞆の浦」と呼ばれる古い漁場で、今も残る昔ながらの町並みは宮崎駿作品「崖の上のポニョ」の場面設定に用いられたことでも有名です。

鞆の浦は、古い町であるため道が狭く、幹線道路でも車のすれ違いが困難な状況です。道を拡げるには現在の町並みを壊さなければならないため、海岸線に橋を架ける話が持ち上がっています。観光客の勝手な感想ですが、鞆の浦の美しさは海と町並みがワンセットであり、どちらも欠かすことの出来ない財産であると思います。京都の古い町並みや信州の大自然の中で実施している一方通行やマイカー規制を参考にしてはどうかと感じました。

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2010年1月 3日 (日)

愛媛・広島旅行記 vol.2

ヨッシーです。旅行二日目は、松山から「しまなみ海道」を渡って福山方面に向かいました。今日の目的地は、昨年時間がなくて立ち寄ることの出来なかった生口島の耕三寺です。

耕三寺は、大阪で東洋径大鋼管製造所を設立して軍需産業で財を成した金本耕三が、母親の菩提を弔うため昭和11年(1936年)から30年以上の歳月と全財産をかけて建立した非常に新しい寺院です。しかし、この寺院の素晴らしいところは、堂塔のほとんどが国内の有名建築(文化財建築)を詳細に研究して、それを実物大で複製した点にあります。

1月3日

松山・発 → 伊佐爾波神社・宝巌寺・鷺谷墓地・常信寺・大林寺・河野通春公堂・梅津寺公園・大通寺(松山) → 乗禅寺・野間神社・国分寺・唐子山(今治) →(今治IC~来島海峡SA)→ 来島海峡大橋(今治) →(来島海峡SA~生口島南IC)→ 生口神社・向上寺・耕三寺・光明坊(尾道) →(生口島北IC~向島IC)→ 吉原家住宅(尾道) →(尾道大橋)→ 神勝寺温泉(福山) → 福山・泊

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写真は、耕三寺の本堂正面に建っていた孝養門です。この門のモデルになったのは、日光東照宮の国宝・陽明門です。孝養門を建てるに当たって、陽明門の図面が文部省の所有する一組だけであると知ると、同省に申請してこれを借り受け、さらに工匠を日光に派遣して実地調査を行ったと言われています。

孝養門以外にも、山門(京都御所紫宸殿御門)、中門(法隆寺西院楼門)、鼓楼・鐘楼(新薬師寺鐘楼)、五重塔(室生寺五重塔)、僧宝蔵・法宝蔵(四天王寺金堂)、至心殿・信楽殿(法界寺阿弥陀堂)、八角円堂(法隆寺夢殿)、多宝塔(石山寺多宝塔)、本堂(平等院鳳凰堂)がそれぞれの文化財建築の複製になっていて、昭和の建築でありながら原型当時の建築技術を忠実に再現していることから、戦後に完成した五重塔と孝養門を除く他の建造物(戦前に完成したもの)は国の有形文化財に指定されています。

入館料は1,200円と高めですが、建物好きのヨッシーにはそれだけの価値が十分にあるスケールの大きな屋外博物館でした。

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2008年12月30日 (火)

愛媛・広島旅行記

ヨッシーです。旅行四日目は、松山市から「しまなみ海道」を渡って滋賀に帰省しました。

しまなみ海道にある島々へは高速道路で渡りますが、上りと下りとでインターチェンジ(IC)が異なります。ヨッシーの車のカーナビが古かったため、誤って途中のICで下りてしまい、慌てて入り直すと逆方向の入口でした。時間とお金のロスが響きました。

12月30日

松山・発 → 道後公園・石手寺・浄土寺・城山公園・大宝寺・太山寺(松山) → 吹揚公園(今治) →(今治北IC~大島南IC)→ 高龍寺・村上水軍博物館(今治) →(大島北IC~大三島IC)→ 大山祇神社・鶴姫公園(今治) →(大三島IC~因島南IC)→ 因島水軍城・金蓮寺(尾道) →(因島北IC~西瀬戸尾道IC・福山西IC~栗東IC)→ 栗東・泊

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写真は、大山祇神社横に立っていた戦国のジャンヌダルク・鶴姫の像です。鶴姫は、戦国時代に三島水軍を率いて戦った大山祇神社の大祝・三島安用の息女です。

大祝・三島氏は、大山祇神社の御祭神・大山津見神(イザナギとイザナミの子)の子孫であり、伊予国守護大名・河野氏を一族に持つ瀬戸内の名家です。すなわち、村上水軍の主家に当たる実質的な瀬戸内水軍の長と言えます。

鶴姫は、瀬戸内水軍の掌握を目論む大内家との戦いで戦死した兄・安房に代わって三島水軍を率いることになりました。そして天文12年(1543年)、その機を逃さずに攻めてきた大内軍との戦いに見事勝利しました。しかし、この戦いで婚約者である越智安成を失ったことで、失意から母の形見の鈴を持って海に身を投げたと言われています。

大山祇神社には、鶴姫が着用したと伝わる女性用の鎧・紺糸裾素懸威胴丸(国の重要文化財)が残されています。胸の部分の膨らみ具合とウエスト部分の細さから、鶴姫はかなり細身の女性であったと予想されます。

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