2009年6月13日 (土)

北海道旅行記 vol.7

ヨッシーです。一週間の北海道旅行を無事に終えて、19:30苫小牧東港からフェリーで北海道を後にしました。自身最長となる連続6泊の車中泊旅行でしたが、車中の寝心地に慣れてしまうとフェリーの寝台の方が返って寝辛く感じられます。帰りは秋田港を経由する便なので、20時間後の明日15:30に新潟港に到着します。

北海道旅行の最終日も明け方は小雨模様で、幕別から黄金国道を南下するにつれて風が強まり、襟裳岬では立っているのがやっとの暴風雨になっていました。どうもヨッシーは北海道の岬に嫌われてしまったようです。襟裳岬の展望施設は景観保護のため断崖中に造られていますが、その施設の名前が「風の館」なので、襟裳岬は元々風が強い場所なのかもしれません。

襟裳岬から西の日高地区には、サラブレッド(競走馬)の生産・放牧(休養)のための牧場が集中していて、新冠には50以上の牧場が集まったサラブレッド銀座があります。ヨッシーの出身地である滋賀県・栗東市にあるJRAトレーニングセンターの馬たちも、この地で生まれたのだと思うと身近な場所に感じられました。

6月13日

幕別・発 → 忠類ナウマン象記念館(幕別) → フンベの滝(広尾) → 黄金国道・百人浜・襟裳岬(えりも) → 等澍院(様似) → 赤心社記念館(浦河) → 真歌公園・桜舞馬公園・二十間道路・新冠牧場(新ひだか) → サラブレッド銀座・優駿スタリオンステーション・判官館森林公園(新冠) → 義経神社・二風谷(平取) → 社台スタリオンステーション(苫小牧) →(苫小牧東港~新潟港)→ 船中・泊

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写真は、真歌公園内に立つアイヌの英雄・シャクシャインの像です。シャクシャインは、倭人と戦ったアイヌ最後の首長です。

真歌公園は、この戦い(蝦夷の乱)の最前線であり、シャクシャインの居城(静内城:シベチャリチャシ)があった場所です。蝦夷の乱は、寛文9年(1669年)に静内川を境にアイヌが倭人(松前藩)に対して自治・独立を求めて起こした最後の戦いでしたが、敗れて以後は倭人に完全服従することになりました。

北海道中のアイヌの史跡を巡って、アイヌと倭人の確執の歴史を強く感じました。しかし、静内に残るアエオイナカムイ降臨伝説は違っています。アエオイナカムイはシャクシャイン達も信仰したアイヌの英雄神ですが、源義経と同一視する説があります。義経はシベチャリチャシの近くにある判官岬に上陸し、ここでアイヌの娘・ピリカメノコと一緒に過ごしていました。しかし、頼朝の追跡を知った義経は、ここから海岸線を西に逃れて神威岬から大陸へと渡ったと言われています。神威岬には義経を慕って後を追ったアイヌの娘・チャレンカの悲恋伝説があります。

義経は倭人とアイヌ共通の英雄であり、アイヌは倭人であった義経の恩人でもあります。そして、ピリカメノコとチャレンカが同一人物であったとするとアイヌの中に義経の血が受け継がれた可能性があります。そうすると英雄・シャクシャインは義経の子孫であった可能性もあり、アイヌは鎌倉時代から既に倭人と血縁関係にある同一民族なのかもしれません。

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2009年6月12日 (金)

北海道旅行記 vol.6

ヨッシーです。北海道旅行の六日目は、旅行の後半最大の目的地・釧路湿原にやってきました。今朝の天気は霧雨模様で、昨日よりはマシなものの午前中は濃い霧が立ち込めて近くの景色しか見えませんでした。それでも十分に雄大な大自然の迫力が感じられたので、快晴だった時の景色を想像して興奮しました。

釧路湿原は、4つの市町村に跨る広大な湿原で、その周囲に配置された展望台からの眺めはそれぞれに異なった魅力があります。観光客が一般的によく訪れる展望台は、湿原の西側に位置する釧路市湿原展望台です。湿原で唯一有料の展望台ですが、ここからの眺めは最悪です。知らないとこんなものかと誤解してしまいますが、ここからは湿原の湿地が全く見えません。展望台の外にある一周2.5kmの遊歩道(無料)の中程にあるサテライト展望台からの景色がお勧めです。

もう一つの有名な展望台は、湿原の東側に位置する細岡展望台です。こちらからは、湿原の中央を雄大に流れる釧路川を望むことができます(当日は川から先が霧で見えませんでした)。また、ここから湿原の中を北に15km程走ったところにあるコッタロ湿原展望台は訪れる人は少ないですがヨッシーのお勧めスポットです。道中、道端(湿原)から子狐の兄弟や蝦夷鹿が現れて自然の中にいることを最も実感できた場所でした。

6月12日

厚岸・発 → 国泰寺・正行寺・太田屯田兵屋(厚岸) → 港文館・鳥取神社・細岡展望台・釧路湿原(釧路) → 標茶町郷土館・コッタロ湿原展望台(標茶) → 釧路市湿原展望台・丹頂鶴自然公園・大楽毛駅(釧路) → 帯広神社・中島公園(帯広) → 幕別温泉(幕別) → 幕別・泊

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写真は、丹頂鶴自然公園内で見つけた丹頂鶴の親子です。卵から孵って1ヶ月位の雛であると思われます。丹頂鶴の雛は、孵化して約3ヶ月で成鳥と同じ体格にまで成長します。

丹頂鶴の成長が早いのは外敵に襲われないための優れた特性と言えますが、これでも環境の変化や外敵によって大正13年(1924年)には十数羽にまで減少してしまいました。丹頂鶴自然公園は、国の特別天然記念物・丹頂鶴の保護と復活を目的に昭和33年(1958年)に作られた丹頂鶴たちの楽園です。湿原の一部を自然のまま金網で囲って外敵(狐など)の侵入を防いでいる(もちろん天井は空いているので丹頂鶴の出入りは自由になっている)ので、安心して繁殖活動を営むことができます。また、怪我をしたり飛べなくなった個体もこの中で保護・飼育されていました。

明日は、いよいよ北海道旅行の最終日です。道東での2日間は天気に泣かされましたが、またいつか再度訪問する時の楽しみができました。

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2009年6月11日 (木)

北海道旅行記 vol.5

ヨッシーです。一週間の予定の北海道旅行もいよいよ折り返しの五日目に突入しました。本日は、サロマ湖から道東三湖(屈斜路湖、摩周湖、阿寒湖)を経由して納沙布岬を目指しました。

しかし、残念ながら本日の天気は最悪でした。美幌峠からの屈斜路湖の眺めは濃い霧と激しい風雨で全く見えず、摩周湖でも同様の状態でした。そこで、未練はありましたが阿寒湖も早々に諦めて、次の目的地・納沙布岬に向かいました。

根室市街は小雨でしたが、そこから納沙布岬へ向かうにつれてまた徐々に雨脚が強くなり、到着すると立っているのもやっとの暴風雨になっていました。快晴であれば北方領土の歯舞諸島や国後島が望めるはずでしたが、暴風雨でカメラを構えるのも困難な状況でした。そこで、避難のため食堂に入って蟹丼と蟹汁を食べたのですが、これは大変美味でした。

6月11日

佐呂間・発 → サロマ湖展望台(佐呂間) → 能取湖・網走監獄・網走湖(網走) → 美幌峠・屈斜路コタンアイヌ民俗資料館・屈斜路湖・硫黄山(弟子屈) → 和田屯田記念館・明治公園・金刀比羅神社・納沙布岬(根室) → 厚岸・泊

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写真は、本日の早朝に撮影したサロマ湖展望台からの眺めです。サロマ湖展望台は、道の駅・サロマ湖から約2km登った幌岩山(標高376m)山頂にあります。道中、啄木鳥とキタキツネに会いました。

サロマ湖は、北海道最大(日本3位)の広さを誇る湖です。湖の北岸は幅僅か200~300mの砂州でオホーツク海と隔てられていて、その砂州には二箇所途切れた場所があって、そこから海水が流入しているため汽水湖になっています。本日、まともに写真が撮れたのは、このサロマ湖だけでした。

根室から厚岸にかけての海岸線には美しい湿原が広がっていて、明日も天気は心配ですが日本最大の湿原・釧路湿原がとても楽しみになりました。

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2009年6月10日 (水)

北海道旅行記 vol.4

ヨッシーです。北海道旅行の四日目は、倉本聰作品のふる里・富良野にやってきました。小学生の頃のヨッシーをテレビに釘付けにした名作「北の国から」に描かれたスケールの大きな自然には、いつもゾクゾクさせられっ放しでした。また、純(吉岡秀隆)の年齢が自分に近かったことがさらにドラマ中へとヨッシーを引き込みました。

そんな北海道の自然の美しさに憧れて、ドラマのロケ地をはじめ絵になる景色を求めて富良野から美瑛にかけて丘の上を走り周りました。まだ、ラベンダーの時期には早かったので一面の花畑に出会うことはできませんでしたが、それでも丘を覆い尽くす草木の新緑からは、本土では感じられない清清しさを感じました。

6月10日

芦別・発 → 富良野神社・富良野小学校・新富良野プリンスホテル・拾って来た家・麓郷の森・五郎の石の家(富良野) → 四季彩の丘・哲学の木・丘のくら・マイルドセブンの丘・北西の丘展望公園・ケンとメリーの木・ぜるぶの丘(美瑛) → 旭川スタルヒン球場・川村カ子トアイヌ記念館・旭川市彫刻美術館(旭川) → ピアソン公園・仁頃はっか公園(北見) → 鎖塚道祖神・網走湖・網走港・網走湖温泉(網走) → 佐呂間・泊

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写真は、新富良野プリンスホテルの敷地内にあるグリーンハウスです。このグリーンハウスとその周りに植えられた草花の庭園・ブリティッシュガーデンは、故・緒方拳氏の遺作「風のガーデン」(2008年放送)のロケ地として使用されました。

グリーンハウスは当ホテルのゴルフコース中にあって、元々はプレイ中のゴルファーの休憩・喫茶室として建てられた施設でした。その建物の中にはいつも心地よい風が流れ込んで安らげる空間であったことから、その周りにブリティッシュガーデンを整備してドラマのロケに使用されることになりました。

ブリティッシュガーデンには、365種類の草花が植えられているとのことでしたが、まだ花のシーズンには早過ぎたのか花畑の迫力は今一つでした。しかしながら、グリーンハウス内に流れ込んでくる風はドラマの中と同様で、カーテンの前に置かれた椅子に座ってしばし心地よい風を受けながら安らかな時間を過ごしました。

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2009年6月 9日 (火)

北海道旅行記 vol.3

ヨッシーです。北海道旅行の三日目は、北の都・札幌にやってきました。札幌の街の広さは道内でも別格で人や車も多く、北海道にいることを忘れてしまいそうな賑わいでした。そんな大都市内にあるたくさんの歴史建造物を効率よく周るため、地下鉄を利用しました。真駒内駅前の駐車場に車を停めて、ここから一日乗車券(800円)を購入して市内散策を開始しました。

札幌といえばクラーク博士ということで、まずは真っ直ぐ北海道大学へと向かいました。北大は札幌駅の北側にあるものと思っていましたが、市内の中心部にも北大の関連施設(植物園や時計台など)が点在していて、札幌は開拓のシンボル・北大を中心に発展した街であることを認識しました。

6月9日

登別・発 → 登別小学校・富浦墓地(登別) → アイヌ民族博物館・白老仙台藩陣屋跡(白老) →(白老IC~恵庭IC)→ 旧島松駅逓所(北広島) → さっぽろ羊ヶ丘展望台(札幌・豊平区) →(真駒内~北18条)→ 北海道大学・清華亭(札幌・北区) → 北海道庁旧本庁舎・北海道大学植物園・札幌市資料館・大通公園・札幌市時計台・さっぽろテレビ塔・サッポロファクトリー・永山記念公園(札幌・中央区) →(バスセンター前~円山公園)→ 円山公園(札幌・中央区) →(円山公園~中島公園)→ 中島公園(札幌・中央区) →(幌平橋~真駒内)→ 北海道開拓の村(札幌・豊平区) → 北海道林木育種場・錦山神社・湯川公園・旧町村農場・榎本公園・OLDe(江別) →(江別東IC~滝川IC)→ 芦別・泊

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写真は、国の史跡・旧島松駅逓所です。明治時代初期(1873~1880年頃)の建築ですが、後に小規模の改修が加えられたため文化財としての指定はありません。しかしながら、当時の面影を知るには十分な遺構であると言えます。

逓所とは、まだ鉄道がない時代の交通手段であった馬や飛脚(配達人)が乗り継ぎ(受け渡し)を行う基地のことで、宿場のような役割を担っていました。ただ、当時の北海道には人があまりいなかったため、集落間の交通(伝達)ラインを確保するため派遣された役人によって何とか維持されていた点が宿場とは大きく異なります。

この島松駅逓所は、クラーク博士が米国に帰国する際に見送りに同行した北大の学生・職員に「Boys be ambitious.」の名言を残して別れた場所であると言われています。そして、当時この島松駅逓所を管理していた中山久蔵は、この言葉を励みに苦難の末、道央では不可能と言われていた稲作を見事に成功させました。ヨッシーもここでクラーク博士の言霊を受けて志を強く持ち続けることを誓いました。

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2009年6月 8日 (月)

北海道旅行記 vol.2

ヨッシーです。北海道旅行の二日目は、この旅行一番の目的地・函館にやってきました。函館は、幕末の日本が初めて外国に開放した5つの港(横浜、長崎、函館、新潟、神戸)の一つであり、いわば最も早く文明開化を成し遂げた都市であると言えます。そのことから、函館には各国大使館や教会をはじめ諸外国に日本の近代化をアピールすべく高度な近代洋風建築が多数建築されました。

見所は、函館港を中心とするベイエリアから函館山方面の元町エリアにかけて点在する近代洋風建築群です。その街並みを効率よく周るため事前に歩行ルートを市街図に書き込んでから散策に臨みました。

6月8日

知内・発 → トラピスト修道院(北斗) → 青函連絡船記念館摩周丸・若松緑地・函館公園・函館八幡宮・立待岬・元町エリア・ベイエリア・船見町エリア・函館山・トラピスチヌ修道院・遺愛学院・五稜郭・五稜郭タワー・四稜郭(函館) →(八雲IC~虻田洞爺湖IC)→ 有珠善光寺・バチュラー夫妻記念堂・開拓記念館・伊達温泉(伊達) →(伊達IC~登別東IC)→ 登別・泊

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写真は、函館市・元町エリアにある護国神社坂に立つ高田屋嘉兵衛の像です。昭和33年(1958年)に函館開港100周年を記念して立てられました。

高田屋嘉兵衛は、瀬戸内海の淡路島出身の船乗りで、北前船による蝦夷地(北海道)との交易で莫大な利益を上げて日本有数の商家・高田屋を旗揚げしました。高田屋は、松前藩とアイヌとの仲介をはじめ函館を拠点に道東(根室、国後、択捉)の漁場を開拓するなど蝦夷地の発展に大いに貢献しました。また、ロシアとの国境問題(ゴロヴニン事件)を民間の立場ながら解決に導くなど、その働きは当に「蝦夷地の竜馬」と呼ぶに相応しくヨッシーが尊敬する人物の一人です。

当初の計画では、今日は松前の散策から始まって午後から函館入りする予定でしたが、前日からの計画の前倒しにより朝から函館に入ることになったため、朝食に函館朝市を訪問しました。欲張りにいろいろなネタを味わいたいと思っていたところ、8種類の魚介類を二口分位ずつ小鉢に盛りつけた一口定食(味鮮まえかわ)があったので、これを食しました。イカとウニが特に美味でした。

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2009年6月 7日 (日)

北海道旅行記

ヨッシーです。本日4:30ついに北海道小樽市に上陸しました。これでヨッシーは47都道府県全てへの上陸を達成いたしました。興奮の余り昨晩はあまり眠ることが出来ず3:30には起床してカメラで船上から日の出を狙っていましたが、悪天候ではっきりとした日の出を確認することができませんでした。

小樽での朝の天気は霧雨模様でしたが、昼前にはその雨も上がったので散策には全く支障がなく、計画を前倒しして予定以上に移動することができました。おかげで今後の時間的な余裕はできましたが、下調べしておいた温泉や食事場所、夜景ポイントなどの計画が狂ってしまいました。

6月7日

小樽・発 → 勝納埠頭・メルヘン交差点・小樽公園・カトリック富岡教会・北のウォール街・小樽運河・小樽市総合博物館・小樽貴賓館・小樽鰊御殿(小樽) → 旧下ヨイチ運上家・旧余市福原漁場(余市) → 漁場建築佐藤家・御宿鰊御殿(寿都) →(長万部IC~八雲IC)→ 鮪の岬・元和台(乙部) → いにしえ街道・開陽丸青少年センター(江差) → 砂館神社・上之国花沢館跡・夷王山(上ノ国) → 専念寺・松前藩屋敷・松前公園・徳山大神宮・法華寺・正行寺・白神岬(松前) → トンネルメモリアルパーク・横綱千代の山千代の富士記念館・青函トンネル記念館(福島) → 知内温泉(知内) → 知内・泊

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写真は、上ノ国町にある砂館神社の本殿です。安永8年(1779年)に建てられたもので、道の重要文化財に指定されています。

北海道における倭人の歴史は室町時代以降からなので、あまり古い建造物はなく国宝建造物も存在しません。因みに北海道で最も古い建造物は、同地にある上国寺の本堂(国の重要文化財)で1500年代の後半から1600年代前半頃の建築であると言われています。本当はこちらの写真を掲載したかったのですが、ちょうど修理中だったので写真に撮ることができませんでした。

砂館神社ですが、この場所にはかつて洲崎館がありました。この館を構えたのは松前藩の藩祖・武田信広であり、長禄元年(1457年)のアイヌの首長・コシャマインとの戦いに勝利したことで領国・若狭国から当地を支配するため移住してきました。すなわち、この砂館神社のある場所こそ蝦夷地・北海道における倭人支配始まりの地と言えます。ヨッシーもこの神社でこれからの北海道完走に向けての安全を祈願しました。

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