2011年1月 2日 (日)

香川・愛媛旅行記 vol.2

ヨッシーです。今年の正月も道後温泉にやってきました。3年連続(2008.12.292010.1.2)で道後の湯に浸かったので、これで10年は風邪をひかないで済みそうです。

松山への訪問も3回目なので、今回は入浴を中心に道後温泉街をのんびりと散策しました(これが普通なのでしょうが)。道後温泉街の中では、道後温泉本館と並んで道後温泉駅付近に見所が多く特に賑わっていました。

1月2日

栗東・発 →(栗東IC~与島PA)→ 瀬戸大橋(坂出) →(与島PA~松山IC)→ 道後温泉駅・道後温泉本館(松山) → 松山・泊

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写真は、道後温泉駅前広場・放生園に設置されていた湯釜と足湯です。道後温泉本館が出来るよりも古い明治24年から昭和29年まで実際に使用されていたもので、道後では2番目に古い湯釜です。

放生園の名前は、かつて当地が伊佐爾波神社の境内地であった頃まで存在していた放生池に由来します。傷ついた白鷺が傷を癒したのが道後温泉の始まりであると言われていますが、その場所はこの放生池の畔であった可能性が高いと考えられます。

因みに一番古い湯釜(日本最古の湯釜)は道後公園内にある湯釜薬師の湯釜で、一遍上人が宝珠に南無阿弥陀仏の6文字を刻んだと言われています。

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2010年3月24日 (水)

香川旅行記

ヨッシーです。東四国旅行の最終日も一日中雨でした。今日の目的地は平野部が中心だったので、思った程雨は苦になりませんでした。

帰りも今日は平日だったので、高速道路も順調に走ることが出来ました。ただし通行料は平日料金なので、塩尻ICの手前にある「みどり湖PA」で日付が変わる(50%引きになる)のを待って帰宅しました。こんな理由からあまり早く信州に到着しても困るので、最終日も夕方まで高松市内を散策して温泉にも入って一日をフルに満喫しました。

3月24日

丸亀・発 → 亀山公園(丸亀) → 白峯寺・神谷神社(坂出) → 讃岐国分寺・桃太郎神社・田村神社・法然寺・法泉寺・弘憲寺・玉藻公園・屋島寺・安徳天皇社・洲崎寺・庵治観光交流館(高松) → 多和神社・志度寺・霊芝寺・長尾寺(さぬき) → 願勝寺(三木) → 称念寺・三十六温泉(高松) →(さぬき三木IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、玉藻公園(高松城跡)の艮櫓です。現存している高松城の遺構は、東之丸にあるこの艮櫓と北之丸にある月見櫓だけですが、いずれも国の重要文化財に指定されています。

高松城は当初、生駒家の居城でしたが、寛永17年(1640年)に水戸徳川家から松平頼重が入ってからは幕末まで11代200年余りを松平家が支配しました。この松平頼重は、水戸黄門で有名な徳川光圀の実兄です。

松平頼重は、徳川御三家の一つ水戸藩主・徳川頼房の長男として生まれました。しかし当時、同じ御三家である兄・尾張藩主・徳川義直と紀伊藩主・徳川頼宣にまだ男子が誕生していなかったため、理不尽にも出生を秘匿されて水戸藩を相続することが出来ませんでした。思いがけず水戸藩を相続することになった次男・光圀は、そんな兄の心中を察して兄の子・綱條を自分の養子に迎えて水戸藩を譲りました。頼重も弟・光圀の配慮へのせめてもの御礼として光圀の子・頼常を養子にして高松藩を譲りました。

これは光圀の有名な美談の一つですが、その後、高松松平家が幕末まで200年間続いたのもまた名君・光圀の遺伝子によるものかもしれません。

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2010年3月23日 (火)

徳島・香川旅行記

ヨッシーです。今日は一日中ずっと雨でした。平日に遊んでいるのが悪かったのか、今日の目的地は軽登山が多かったので、まるで修行のような一日になってしまいました。

早朝から箸蔵寺に登って、昼前には琴弾八幡宮、そして駄目押しの金刀比羅宮奥社参拝で靴もズボンもびしょ濡れでした。さらに山上はどこも深い霧に覆われていて、素晴らしいはずの景色も一切拝むことが出来ませんでした。

3月23日

三好・発 → 瀧寺・芝生城跡・建礼門院五輪塔・太刀野・箸蔵寺・たばこ資料館(三好) → 豊稔池遊水公園・琴弾八幡宮・観音寺(観音寺) → 覚城院・常徳寺・本山寺・大水上神社(三豊) → 鞘橋・金丸座・琴平町公会堂・金刀比羅宮(琴平) → 善通寺市役所・善通寺(善通寺) → 海岸寺(多度津) → 玄要寺・寿覚院・宗泉寺・丸亀温泉(丸亀) → 丸亀・泊

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写真は、善通寺西院の中心建造物・御影堂です。丁度この場所が弘法大師・空海の誕生地と言われていて、御影堂の裏には産湯の井戸が残されています。

善通寺の名前は、かつてこの場所が空海(佐伯眞魚)の父・佐伯善通の館であったことに由来します。そして、空海の両親である佐伯善通と玉寄御前は隣の東院にある佐伯祖廟に祀られています。元々、善通寺は東院の敷地だけでしたが、明治時代に空海の誕生地も加えられて現在の形となりました。

空海の誕生地については、多度津町の海岸寺も玉寄御前の産屋だった場所と言われていて、こちらにも産湯の井戸が残されています。海岸寺は、玉寄御前の実家(阿刀家の館)があった場所であり、玉寄御前が空海をどちらの家で生んだのかが争点になっています。

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2010年1月 2日 (土)

香川・愛媛旅行記

ヨッシーです。新年最初の旅行は、予州・松山にやってきました。一年前(2008.12.30)に訪問した時は、愛媛県に行くことが目的でしたが、今回は「坂の上の雲」に関する史跡を巡りました。

今日は松山への道中、愛媛県東部の史跡にも立ち寄りました。正月三が日であったため川之江城天守閣(城山公園)と広瀬歴史記念館(広瀬公園)が休館していたのが残念でした。

1月2日

栗東・発 →(栗東IC~与島PA)→ 瀬戸大橋(坂出) →(与島PA~三島川之江IC)→ 真鍋家住宅・城山公園(四国中央) →(三島川之江IC~新居浜IC)→ 広瀬公園(新居浜) →(いよ西条IC~いよ小松IC)→ 仏心寺・興隆寺(西条) →(いよ小松IC~川内IC)→ 三島神社・医王寺(東温) → 渡部家住宅・豊島家住宅・秋山兄弟生誕地・萬翠荘・正宗寺・雲祥寺・阿沼美神社・道後温泉本館(松山) → 松山・泊

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写真は、秋山兄弟生誕地に立てられた陸軍大将・秋山好古の像です。この像は、昭和11年(1936年)に道後公園内に一度立てられましたが、太平洋戦争での金属供出で鋳潰されたものを再度当地に復元したものです。

秋山好古は、松山藩士・秋山久敬の三男で、海軍中将・秋山真之の兄に当たります。日露戦争では、世界最強と言われたロシアのコサック騎兵隊を破って陸軍大将に出世し、退役時には元帥へとの声もありましたが固辞したと言われています。恐らく、実力ではなく退役前のご褒美に元帥を頂くことを好古本人のプライドが許さなかったのだと考えられます。

退役後、すぐに地元・松山の北予中学校(現、松山北高等学校)から校長への就任を懇請されると直ちに快諾し、全国を驚かせました。「大きな墓、立派な家、銅像などは不要」というポリシーを本人は貫き通しましたが、後世郷里の手によって銅像が立てられました。戦前男子の真っ直ぐな潔さに触れて、自分もそうありたいと強く思いました。

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