2010年6月13日 (日)

東京・埼玉旅行記 vol.2

ヨッシーです。昨日に引き続き、今日は東京都西部の訪問できていなかった史跡を巡りました。東京都西部への訪問は、2年ぶり(2008.9.20)となります。

東京都西部は、幕末の英雄・新撰組のリーダー・近藤勇(三鷹市)と副長・土方歳三(日野市)の出身地です。新撰組と言えば、活動拠点であった京都の壬生(2008.2.24訪問)が有名ですが、当地も新撰組にとっては東の聖地と言うべき重要な場所になっています。

6月13日

八王子・発 → 広園寺・西蓮寺(八王子) → 熊川神社(福生) → 郷土博物館・阿蘇神社(羽村) → 天寧寺(青梅) → 豊鹿島神社(東大和) → 長命寺(清瀬) → 平林寺(新座) → 田無神社(西東京) → 江戸東京たてもの園(小金井) → 禅林寺・龍源寺・近藤神社(三鷹) → 多磨霊園(府中) → 国分寺(国分寺) → 大国魂神社(府中) → 石田寺(日野) →(国立府中IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、清瀬市にある長命寺の本堂です。このお寺の見所は、本堂の両脇に置かれた二基の御霊屋です。

この御霊屋は、かつて芝の増上寺(2009.3.26訪問)にあった徳川将軍家墓地の遺構で、東京大空襲によって荒廃した後の区画整理で東京プリンスホテルが建てられる際に移設されたものです。増上寺境内に僅かに残された徳川将軍家墓地は通常非公開なので、長命寺の御霊屋はそれを間近に見ることができる貴重な史跡です。

見るだけでなく触ることもできるのですが、残念だったのは御霊屋の側面に刻まれていたはずの御霊屋の主の記録が全て削り消されていた点です。長命寺に譲られた時点で御霊屋としての役目は終えているので仕方ありませんが、これらの御霊屋がどのような身分の方のものであったのかは興味があります。また、亡き主のためにこの立派な御霊屋を造った遺族の気持ちを思うと、残っただけでも嬉しいような、違った形で使われることになって悲しいような複雑な気持ちになりました。

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2010年4月18日 (日)

埼玉旅行記 vol.6

ヨッシーです。今日は、長瀞・秩父を観光してから雁坂トンネルを通って信州への帰路に就きました。秩父は、山梨・長野・群馬の三県に接する標高の高い場所にあるため、まだ桜も満開で最高の一日でした。

4月18日

中央・発 →(東松山IC~花園IC)→ 岩畳・長瀞駅・宝登山神社(長瀞) → 羊山公園・慈眼寺・秩父神社・永福寺・音楽寺・法泉寺・久昌寺・清雲寺(秩父) →(雁坂トンネル・甲府昭和IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、彫刻と色彩が美しい秩父神社の社殿です。天正20年(1592年)に徳川家康が寄進したもので、県の有形文化財に指定されています。

社殿の四方を飾っている見事な彫刻は、安土桃山から江戸時代にかけて活躍した名工・左甚五郎の作品であり、国宝である日光東照宮のモデルになった作品であると言われています。

秩父神社は、原初の知恵の神・八意思兼命を祀る歴史のある神社です。秩父は、八意思兼命の子孫である知知夫彦命が初代の知知夫国造になって開拓した土地であり、武蔵国の一部でありながら独立性が高く、秩父国を称した時代もありました。中世以降の源氏が支配する時代になっても平氏を保護し続けて秩父平氏となりました。この平氏の雅やかな文化は、秩父地方の寺社の芸術性や祭り(秩父夜祭)として現在に受け継がれています。

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2010年4月17日 (土)

埼玉・栃木旅行記

ヨッシーです。今日は、久しぶりに始発の高速バスに乗って関東にやってきました。信州は昨晩からの大雪で、鉄道は運行を中止していましたが、高速バスは1時間程遅れたものの何とか到着することが出来ました。

4月中旬での積雪は、ヨッシーが信州に来てからの11年間で初めての経験です。まだ薄暗い早朝にバス停駐車場までノーマルタイヤの車で移動する時はとても緊張しました。

4月17日

吉見百穴(吉見) → さきたま古墳公園・郷土博物館(行田) → 足利学校・鑁阿寺・足利織姫神社(足利) → 江間忠神戸温泉(羽生)

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写真は、さきたま古墳公園内に立てられていた埼玉県名発祥之碑です。現在は、浦和市や大宮市が合併して誕生した「さいたま市」がありますが、それまで埼玉県内には埼玉という市町村がありませんでした。なぜ県名が埼玉に決定したのかがこの地を訪れると分かります。

さきたま古墳群は関東平野最大の古墳群で、古墳時代に関東に強大な国家が存在していたことを証明する貴重な史跡です。公園内にある史跡博物館には、古墳群から出土された馬具などの装飾品が展示されていて、多くが国宝に指定されています。これらが国宝に指定されたのは、時代こそ関西の古墳(大和朝廷)よりも若干新しいものの、その出土品の傾向が関西と異なっていたためです。すなわち、さきたま古墳群は大和朝廷とは異なる文化を持った国(大和朝廷とは異なる国)の王の墓であると考えられています。

埼玉県は、東京都と同じ武蔵国に属しています。徳川家康が行った治水事業によって、東京は河川が氾濫を繰り返す湿地帯から世界的大都市へと発展を遂げましたが、それ以前の武蔵国の中心は埼玉にありました。さきたま古墳群や武蔵国一ノ宮である氷川神社、関東管領上杉氏の居城・川越城など江戸時代以前の関東の代表的な史跡は、ほとんどが埼玉県内にあります。このような関東の歴史の出発点がさきたま古墳群であるからこそ、その名を県名にしたのも納得できます。

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2009年6月20日 (土)

埼玉旅行記 vol.5

ヨッシーです。今週末は、埼玉県川越市にやってきました。埼玉県はヨッシー誕生の地であり、川越はヨッシーが埼玉県内で最も気に入っている観光スポットです。過去にブログでも3回(2006.10.82007.5.302009.1.15)紹介していて、今回で4度目となります。

6月20日

自宅 →(塩尻IC~川越IC)→ 東明寺・川越氷川神社 → 川越市役所・蔵造りの町並み(大沢家住宅・川越まつり会館・蔵造り資料館・薬師神社・服部民俗資料館・やまわ・埼玉りそな銀行川越支店)・大正浪漫夢通り(川越商工会議所・熊野神社) → 成田山川越別院・喜多院 → 浮島稲荷神社 → 小江戸川越温泉 → 新座・泊

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写真は、NHK朝の連続テレビ小説「つばさ」の舞台である老舗和菓子屋・甘玉堂です。とは言っても、これはドラマの中での話で、実際は「陶舗やまわ」という陶器屋さんです。明治26年(1893年)に建てられた入母屋造りの建築ですが店内は現代風に改造されており、ドラマの店内撮影はセットで行われています。

この建物の特徴は、川越独特とも言える巨大な棟瓦や鬼瓦にあります。これは、江戸時代にしばしば見舞われた火災の拡大の一因である南からの強い風から屋根瓦を守るための工夫であり、いわば火と風に泣かされてきた川越の人々の知恵が生み出した建築美であると言えます。

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2009年1月15日 (木)

埼玉旅行記 vol.4

ヨッシーです。出張で川越市にやってきました。川越訪問は、今回で3回目です。主要なスポットは既に訪問済みですが、今回も散歩を兼ねて再度町並みを散策しました。今朝はこの冬一番の冷え込みで、手は悴んで口も呂律が回らなくなる程の寒さでした。

1月15日

中院・仙波東照宮・喜多院・日枝神社・成田山川越別院 → 熊野神社・蓮馨寺・川越商工会議所 → 埼玉りそな銀行川越支店・服部民俗資料館・薬師神社・蔵造り資料館・大沢家住宅 → 川越市役所・太陽軒 → 川越キリスト教会

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写真は、川越キリスト教会・礼拝堂の外観です。この美しい煉瓦造りの礼拝堂は、大正10年(1921年)にアメリカ人技師・ウィリアム・ウィルソン氏が設計したもので、国の有形文化財に指定されています。

日本の煉瓦建築には、大きく分けて2種類の積み方があります。川越キリスト教会は、全ての段において煉瓦の長短面が交互に組み合わされたフランス積によって建てられています。因みにもう一つは、短面ばかりの段と長面ばかりの段が交互に積み上げられるイギリス積です。

フランス積は、煉瓦の長短面が外壁全面に均一に現れることから繊細で華麗な印象を与える一方、強度的には構造が単調である分華奢であると言われています。一方イギリス積は、短面の段と長面の段が縞模様のように見えてしまいますが、強度的に堅牢なのが特長です。

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2008年9月20日 (土)

東京・埼玉旅行記

ヨッシーです。先週の三連休の疲れがまだ残っていましたが、今週末も飛び石連休なので思い切って土日は旅に出ることにしました。今回は、奥秩父(2008.5.5訪問)の南隣の奥多摩(青梅街道)を走ることにしました。

昨晩中に台風は通り過ぎて天気に恵まれましたが、都内の道路は渋滞していて奥多摩まで移動することが出来ませんでした。

9月20日

自宅 →(塩尻IC~相模湖IC)→ 薬王院・八王子城跡・宗関寺(八王子) → 金剛寺(日野) → 正福寺(東村山) → 高倉寺(入間) → 福徳寺(飯能) → 岩蔵温泉(青梅) → 青梅・泊

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写真は、東京都内で唯一の国宝建造物・正福寺の千体地蔵堂です。

千体地蔵堂は、室町時代初期である応永14年(1407年)の建造物です。時代的には、重要文化財から国宝になるかならないか微妙な時期の建造物ですが、建築様式が鎌倉時代の唐様建築を踏襲していることと、あまり古いものが残っていない東京という地域にあるという地理的価値が認められたものと思われます。

千体地蔵堂の名前は、この堂内に無数の木製地蔵が置かれていることに由来します。祈願する者はこの中の一体を家に持ち帰り、願いが叶うと新しい一体を添えて御礼をしました。当に御利益間違いなしの地蔵堂と言えますが、当然ながら国宝関連の文化財(小地蔵は市の有形文化財)なので現在は持ち出し禁止です。

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2008年9月13日 (土)

埼玉・群馬旅行記

ヨッシーです。昨日の急な出張は予定外でしたが、計画どおり今日から三連休は車中泊での貧乏旅行に出発しました。1日目は、埼玉県北部と群馬県北東部を巡りました。本日の目的地は、テレビ東京の「新説!?日本ミステリー」で最近よく紹介されている、さきたま古墳公園です。

9月13日

自宅 →(塩尻北IC~東松山IC)→ 箭弓稲荷神社・光福寺(東松山) → 安楽寺・吉見百穴・岩室観音(吉見) → 広徳寺(川島) → 菖蒲城址あやめ園・菖蒲神社(菖蒲) → 玉敷神社(騎西) → さきたま古墳公園・天祥寺・前玉神社・忍城址・東照宮(行田) → 熊谷聖パウロ教会・熊谷寺(熊谷) →(花園IC~沼田IC)→ 吹割の滝(沼田) → 赤城神社元宮(富士見) → 赤城神社(前橋) → 富士見温泉(富士見) → 渋川・泊

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写真は、群馬県沼田市の片品川上流にある「吹割の滝」です。地面の割れ目に川の水が吸い込まれていく光景は、東洋のナイアガラとも呼ばれています。

割れ目の両側から一気に流れ込む膨大な水は、滝壺内でぶつかり合って多くの水飛沫とマイナスイオンを発散させていました。この割れ目から吹き上がる水飛沫が滝の名前の由来であり、一面は濃い霧に覆われていました。

吹割の滝のすぐ上流には、川の浸食によって形成された浮島と呼ばれる巨大な中州があって、そこには吊り橋が架けられていて渡ることができます。この橋の上からの吹割渓の眺めもお勧めです。

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2008年5月 5日 (月)

埼玉旅行記 vol.3

ヨッシーです。3日目は、埼玉県中部の関越自動車道沿線から西部の荒川上流域(長瀞町、秩父市)を通って雁坂峠を抜けるルートを走ってみました。雁坂峠を越えた山梨県側は、ヨッシーが昨年11月に紅葉を見に訪れた西沢渓谷になります。

5月5日

鶴ヶ島・発 → 高麗神社・勝楽寺(日高) → 出雲伊波比神社(毛呂山) → 龍隠寺(越生) → 鎌形八幡神社・班渓寺・大蔵神社・行光院・安養寺・源義賢墓・大行院(嵐山) → 吉田家住宅(小川) → 鉢形城跡・藤田善導寺・正龍寺(寄居) →(寄居風布IC~皆野長瀞IC)→ 長瀞町郷土資料館・宝登山神社・岩畳(長瀞) → 栄福寺・音楽寺・西光寺・秩父神社・慈眼寺・法泉寺・久昌寺・清雲寺・三峯神社・栃本関跡(秩父) →(雁坂トンネル・甲府昭和IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、秩父赤壁の遊歩道から眺めた長瀞の岩畳です。広角写真では岩畳の大きさがあまり良く分かりませんので、写真をクリックして拡大してみてください。小さくて見えなかった人影を確認することができます。

岩畳の上には東屋が建てられていたり、小さく見える木もかなり立派であることが分かります。連休のため、岩畳側はかなり混雑していましたが、対岸の赤壁側には誰もいなくて、岩畳を眺めるには絶好のポイントでした。

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2008年5月 4日 (日)

群馬・埼玉旅行記

ヨッシーです。今日は、群馬県南部を西から東に走ってみました。メインは、世界遺産の暫定リストに記載された富岡製糸場です。日本の近代化に大きく貢献した明治時代最高水準の工場です。

5月4日

安中・発 → 旧丸山変電所・坂本八幡宮・坂本宿・白鬚神社・碓氷関所跡・諏訪神社・横川茶屋本陣(安中) → 妙義神社・貫前神社・富岡製糸場・楽山園・崇福寺(富岡) → 観音山公園・達磨寺・高崎城址・大信寺(高崎) → 前橋公園・龍海院・前橋八幡宮(前橋) → 桐生明治館・絹撚記念館・桐生織物記念館・桐生倶楽部会館・有鄰館・無鄰館・桐生天満宮・群馬大学工学部(桐生) → こだま温泉(本庄) →(本庄児玉IC~鶴ヶ島IC)→ 鶴ヶ島・泊

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写真は、富岡製糸場の心臓部である操糸場の外観です。明治5年(1872年)の創業当時からの建物で、国の重要文化財に指定されています。この操糸場の中にはフランス製の操糸機300台が2列に分けて並べられており、全国から集められた工女たちが繭から生糸を取り出していました。

創業時は官営工場(21年間)でしたが、三井製糸(9年間)、原製糸(37年間)、片倉工業(48年間操業の後、18年間保有)を経て平成17年(2005年)から富岡市の所有となりました。片倉工業はかつてシルクエンペラーと呼ばれた信州を代表する財閥で、信州の諏訪湖畔にも赤レンガ造りの温泉保養施設・片倉館(昭和3年)を建設しています。こちらも市の有形文化財に指定されていますが、温泉施設として現在も一般に開放されています。

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2007年5月30日 (水)

埼玉旅行記 vol.2

ヨッシーです。今日は、早起きして川越の街並みを散歩しました。川越は、去年の10月以来2度目の訪問です。

5月30日

川越市役所(太田道灌像) → 川越氷川神社 → 一番街通り(大沢家住宅、時の鐘、埼玉りそな銀行川越支店) → 大正浪漫夢通り(川越商工会議所) → 蓮馨寺

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写真は、一番街のシンボル・時の鐘です。一番街は、江戸時代の街並みを良く残していることから「小江戸」の愛称で親しまれています。前回に訪問した時は、休日のため多くの人々で賑わっていましたが、平日の早朝はほとんど歩いている人もなく、マイペースで街並みを散策することができました。

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