2010年6月12日 (土)

神奈川・東京旅行記

ヨッシーです。6月に入って気温が上がり、最近少々バテ気味です。それでも、来週からはとうとう梅雨入りしそうなので、頑張って久しぶりに旅に出ました。

前回(2010.5.23)に続いて今回も、神奈川県内の史跡を巡りました。県内の主な史跡は訪問済みなので、今回はこれまでの選考から漏れていた史跡を西から順番に巡りました。

6月12日

自宅 →(塩尻IC~須走IC・御殿場IC~大井松田IC)→ 宗我神社・城前寺(小田原) → 西念寺(南足柄) → 勝福寺・宗福院・箱根病院・万松院(小田原) →(山崎IC~伊勢原IC)→ 大慈寺・洞昌院・霊山寺(伊勢原) → 国分寺・常泉院(海老名) → 薬師池公園(町田) → 日本民家園(川崎・多摩区) → 関家住宅(横浜・都筑区) →(港北IC~浦賀IC)→ 貞昌寺・信楽寺(横須賀) → 見桃寺・本瑞寺・大椿寺・三崎港(三浦) →(林IC~新保土ヶ谷IC・相原IC~打越IC)→ 八王子・泊

P61207822

写真は、信楽寺の境内にある坂本龍子のお墓です。

坂本龍子は、大河ドラマ「龍馬伝」で真木よう子さんが演じている坂本龍馬の妻・お龍です。墓石の表には、「贈正四位坂本龍馬之妻龍子之墓」と書かれていて、裏には龍子の没年月歳と戒名が「明治三十九年一月十五日寂享年六十有大謚照龍院閑月珠光大姉」と書かれていました。

龍馬の死後、龍子は龍馬の実家(高知)に身を寄せましたが、子がなかったため家を出て京都・大阪・東京と住所を変えて、29歳で西村松兵衛と再婚して以後31年間を横須賀で過ごしました。人生の半分以上を西村氏と一緒に過ごしたことになりますが、当時の29歳はもう出産を諦めていた歳なので、再婚は老後を養ってもらう目的であったと考えられます。

人気の高い龍馬ですが、暗殺された龍馬だけでなく龍馬と関わった女性達まで不幸な余生を送っているのが寂しく感じられました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月23日 (日)

神奈川旅行記 vol.15

ヨッシーです。今日は、昨日とは一転して雨続きの一日でした。しかしながら、鎌倉市内の主な史跡は昨日中に巡り終えていたので、今日は鎌倉市郊外を足早に巡ってから早々に帰宅の途につきました。

今日の主要な目的地は、龍宝寺(玉縄城跡)、大船観音寺、常楽寺(木曽塚)、浄見寺(大岡忠相墓所)です。玉縄城は、鎌倉幕府の滅亡以降(室町時代)に旧都・鎌倉を治めるため築城されたもので、龍宝寺には室町時代末期の玉縄城主三代(北条綱成、氏繁、氏勝)の墓が残されていました。

5月23日

藤沢・発 → 小動神社・本龍寺・宝善院・青蓮寺・仏行寺・等覚寺・御霊神社・貞宗寺・久成寺・龍宝寺・玉泉寺・大船観音寺・成福寺・常楽寺・多聞院・大長寺・白山神社・称名寺(鎌倉) → 浄見寺(茅ヶ崎) →(相模湖IC~塩尻IC)→ 自宅

P52301472

写真は、常楽寺の裏山山頂にある木曽塚です。この塚に葬られているのは、木曽義仲の子・義高です。

木曽義高は、父・義仲と源頼朝(義仲の従兄弟)の同盟の証として頼朝の娘・大姫との婚姻を条件に鎌倉に置かれていました。しかしながら、義仲は頼朝に先駆けて単独で平氏を京都から追放して天下に号令した(朝日将軍を名乗った)ことから頼朝の反感を買い、義仲の敗死後、義高も殺されてしまいました。

一門(娘婿)であっても敵対者の一族は許さず、圏内に葬ることさえも許さなかった頼朝の気性が感じられる史跡です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月22日 (土)

神奈川旅行記 vol.14

ヨッシーです。連休明けの最初の旅は、鎌倉にやってきました。3年半ぶりの訪問でしたが、前回(2006.12.18)は有名な史跡ばかり巡ったので、今回はより細かい場所を足で散策しました。二度目の訪問だからか、前回に比べて鎌倉の町が狭く感じられ、一日でほぼ全域の史跡を廻ってしまいました。

5月22日

自宅 →(塩尻IC~高井戸IC・玉川IC~朝比奈IC)→ 光触寺・明王院・浄妙寺・旧華頂宮邸 → 鎌倉宮・護良親王墓・荏柄天神社・白旗神社・来迎寺 → 宝戒寺・東勝寺跡・妙隆寺・大巧寺・本覚寺・妙本寺・常栄寺・八雲神社・教恩寺 → 別願寺・安養院・上行寺・長勝寺・補陀洛寺 → 浄光明寺・薬王寺・寿福寺 → 鶴岡八幡宮 → 建長寺・円応寺・長寿寺 → 浄智寺・東慶寺・円覚寺・八雲神社・光照寺 → 和田塚・鎌倉文学館 → 長谷寺・光則寺・高徳院・御霊神社・成就院 → 稲村ヶ崎公園・旧鎌倉パヴロバ記念館・稲村ヶ崎温泉 → 藤沢・泊

P52202522

写真は、鶴岡八幡宮の大イチョウ跡です。昨年の東京旅行(2010.2.21)に続いて訪問する予定でしたが、行きそびれている内に倒伏してしまいました。今回の旅は、その大イチョウの様子を見るのも目的の一つでした。

元々、大イチョウが生えていた(写真右の注連縄で囲われた)場所は、地中に残った根元から新たに多くの新芽が成長していました。また、倒伏した親木は、すぐ左隣の(写真左の注連縄で囲われた)場所に一部保存されていましたが、そこからも多くの新芽が生えてきていて、倒れても尚生き続ける大イチョウに時代を超えた生命力を感じました。

明日は、残りの鎌倉郊外の史跡を巡ってから信州に帰ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月14日 (木)

神奈川旅行記 vol.13

ヨッシーです。今日は、早起きして馬車道から野毛山方面へと歩いてみました。JR根岸線よりも海側には横浜開港以降に建てられた洋風建築が多数見られましたが、陸側には和風の神社仏閣が残されていました。

5月14日

横浜第二合同庁舎・旧富士銀行横浜支店・馬車道大津ビル・神奈川県歴史博物館・日本興亜損保横浜ビル → 伊勢山皇大神宮・掃部山公園

Rimg00402_2 

写真は、掃部山公園内に立てられていた井伊掃部頭直弼像です。明治42年(1909年)に横浜開港50年を記念して建立されたもので、建立と同時にこの場所も掃部山と名づけられました。

井伊直弼は彦根藩の15代藩主であり、江戸幕府の大老に就任してアメリカと日米修好通商条約を結んだ人物です。200年以上続いた江戸幕府の鎖国政策から一転開国を決断した功績を讃えて当地に銅像が建立されたのですが、彼の評価については賛否両論あります。

明治維新を成し遂げた新政府軍(朝廷と薩長土肥ら雄藩)は元々攘夷(外国との戦争を主張する)派であったのに対して、直弼は幕政参画時から一貫して開国を主張し続けていました。新政府軍も政権を奪取すると幕府と同様に開国方針に転換して西洋文明を取り入れており、政策面では直弼の方が先見の明があったと言えます。

一方、井伊直弼と言えば悪名高い安政の大獄の執行者としても有名です。安政の大獄では日本の将来に必要だった多くの優秀な人材を殺害しましたが、攘夷派・開国派に関係なく倒幕を主張する者を取り締まったものであり、私怨によるものではりません。一大名としての権威しか持たない直弼が政治力のない将軍に代わって強大な幕府権力を行使しなければならなかったこと自体が悲劇でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月13日 (水)

神奈川旅行記 vol.12

ヨッシーです。出張で横浜にやってきました。現在、横浜では横浜開港150周年を記念したイベント「開国博Y150」が開催されているので、早速様子を覘いてきました。

5月13日

はじまりの森・赤レンガ倉庫 → 山下公園 → 中華街・関帝廟 → 神奈川県庁・横浜税関・開港記念会館

Rimg00102

写真は、ベイサイドエリア「はじまりの森」で見かけた巨大生物アート・マシン(クモ型ロボット)です。フランスのスペクタクルアート劇団「ラ・マシン」が製作して操縦するもので、高さは最高点で12mあります。

もっと近くで鑑賞するには入場券(2,400円)が必要ということだったので、諦めて近くの歩道橋の上から撮影しました。この入場券を購入すると、横浜市内の多くの施設の入場料が半額になるようなので、1日かけて遊ぶならばお得かもしれません。

もう1つの楽しみだった「黒船」来航イベントを期待して山下公園を歩いてみましたが、残念ながらそれらしい船を見かけることは出来ませんでした(シンボルの氷川丸は停泊していましたが)。しかしながら、中華街で食事をした後に散歩しながら眺めた夜景やライトアップされた洋館で十二分に横浜を満喫することができました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月22日 (日)

神奈川旅行記 vol.11

ヨッシーです。二日目は、三浦から葉山、逗子を巡って信州に帰ってきました。東京湾内である三浦半島東岸には軍港や要塞跡など近代的な観光スポットが多かったのに対して、外洋に面した半島西岸には城ヶ島や立石、長者ヶ崎などの景勝地が多く、そのギャップが印象的でした。

2月22日

三浦・発 → 合田漁港・剱埼灯台(三浦) →(城ヶ島大橋)→ 城ヶ島公園・城ヶ島灯台公園(三浦) →(城ヶ島大橋)→ 三崎公園・海南神社・三崎中学校・新井城址(三浦) → 立石公園(横須賀) → 長者ヶ崎公園・葉山公園・葉山しおさい公園・森戸大明神(葉山) → 六代御前墓・蘆花記念公園・延命寺(逗子) → 安国論寺・妙法寺・来迎寺(鎌倉) → 遊行寺(藤沢) →(藤沢IC~茅ヶ崎西IC)→ 金剛寺・田原ふるさと公園・東田原神社(秦野) → 比々多神社(伊勢原) →(相模湖IC~塩尻IC)→ 自宅

P22207522

写真は、 横須賀の風物百選に選ばれている景勝地・立石です。海中に突き出た高さ12mの巨岩は、2500万年かけて波に削られ続けた結果作り出されたものです。

立石の背後にある「ぼんてん」と呼ばれる半島とそこに生える松、そしてさらに海を挟んで遠くに見える箱根や伊豆の山々や富士(この写真には写っていません)がさらに立石を絵画的に引き立てていることから、このポイントからの景色は安藤広重他多くの画家達に描かれてきました。

夕日がちょうど立石の背後に沈む光景もまた絵になることから、天気のいい日の夕刻には多くのカメラマンがシャッターチャンスを狙って集まる撮影ポイントでもあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月21日 (土)

神奈川旅行記 vol.10

ヨッシーです。今週末は、久々の遠出で横須賀にやってきました。普通の土日なので移動は忙しかったですが、内容的には満足度の高い旅になりました。

2月21日

自宅 →(塩尻IC~高井戸IC・玉川IC~横須賀IC・本町山中道路)→ 塚山公園・ヴェルニー公園・三笠公園(横須賀) →(猿島航路)→ 猿島(横須賀) →(猿島航路)→ 大明寺・衣笠山公園・大善寺・満昌寺・走早神社・観音崎公園・東叶神社・西叶神社・燈明堂・ペリー公園・野比温泉(横須賀) → 三浦・泊

P22100902

写真は、三笠公園のシンボルである記念艦「三笠」です。

「三笠」は、日露戦争のクライマックスである日本海海戦で当時世界最強と呼ばれていたロシアのバルチック艦隊を撃破したときの日本艦隊の旗艦です。この大勝利によって日本海軍はロシアに代わって世界最強と呼ばれるようになりました。

日本海海戦において旗艦・三笠で指揮を執っていたのは、鹿児島出身の軍人・東郷平八郎でした。この奇跡の勝利を呼んだ東郷の捨て身の戦い様は、同盟国・イギリスからも「東洋のネルソン」と讃えられました。そして、これまで陸軍が中心であった日本軍の中で「陸の乃木、海の東郷」と並び称され、海軍の地位を大いに高めました。

薩摩東郷氏からは、戦国時代に示現流剣術を創始した東郷重位も輩出しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月13日 (日)

神奈川・静岡・山梨旅行記

ヨッシーです。2日目は、後北条氏の拠点・小田原から箱根、御殿場、富士吉田と富士山東部を走ってみました。道中、富士山を御神体とする浅間神社がたくさんあったのに驚きました。

7月13日

大井・発 → 小田原駅・北条氏政氏照墓所・大乗寺・小田原城址公園・大久寺・海蔵寺・石垣山一夜城歴史公園・紹太寺(小田原) → 早雲寺・阿弥陀寺・東光庵熊野権現旧跡・元箱根石仏群・箱根関所・箱根神社・公時神社(箱根) → 新橋浅間神社(御殿場) → 東口本宮富士浅間神社(小山) → 寿徳寺・平野天満宮・諏訪神社・山中浅間神社(山中湖) → 忍野八海・忍草浅間神社(忍野) → 北口本宮富士浅間神社(富士吉田) → 富士御室浅間神社・河口湖温泉寺・産屋ヶ崎・河口浅間神社(富士河口湖) →(一宮御坂IC~塩尻IC)→ 自宅

P7130093

写真は、小田原駅西口に立っていた北条早雲の像です。北条早雲は、後北条氏の始祖であり、戦国時代を代表する智将です。

早雲は当初、伊勢新九郎長氏と名乗っており、晩年出家して早雲となりました。伊勢氏から北条氏に改姓したのは息子・氏綱の時代からであり、早雲の時代は北条氏を名乗っていなかったので正確には北条早雲という名前は存在しません(正しくは伊勢早雲です)。氏綱が北条氏に改姓したのは、早雲挙兵の地・韮山が鎌倉幕府の執権・北条氏(前北条氏)発祥の地であったことから、その権威に肖ろうとしたと考えられます。

早雲は元々、駿河国(静岡県)の今川氏の属将で、伊豆国の韮山城の守備を任されていました。専ら守備要員しか与えられていなかったため他国を攻めるだけの兵力はありませんでしたが、農耕用の牛の角に松明を括りつけて夜間に城に攻めかかるという奇策(火牛の計)により小田原城を奪取して戦国大名として独立しました。この像は、このエピソードを元に作成されています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月27日 (水)

神奈川旅行記 vol.9

ヨッシーです。出張で再び川崎市にやってきました。今回も約束までに少し時間があったので夢見ヶ崎公園に立ち寄りました。夢見ヶ崎公園の山頂にはかつて古墳がありましたが、現在は了源寺と広場になっています。

2月27日

了源寺 → 杉山大神

D1000001

写真は、了源寺にある軽部五兵衛のお墓です。中央の二基の大きなお墓は両親のもので、一番左側のお墓が本人のものです。

軽部五兵衛は、赤穂浪士が吉良邸に討ち入る前に潜伏していた屋敷の提供者であり、資金面で援助していた天野屋利兵衛と並ぶ有力な赤穂浪士支持者の一人でした。

明日からは福島で仕事なので、今日中に福島に移動します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月12日 (水)

神奈川旅行記 vol.8

ヨッシーです。出張で川崎市にやってきました。少し早く現地に到着したので近くにある夢見ヶ崎公園に行ってきました。平地の中にある小さな小高い山になっていて、城跡ではとの期待がどんどん高まりました。

Rimg0009

写真は、夢見ヶ崎公園の西端にある天照皇大神の拝殿です。

境内にある案内板によると、太田道灌がこの神社を参詣した翌日に霊鳥(丹頂鶴)が東方に飛んでいく夢を見て江戸城の築城を決意したという由縁があり、これが当公園の名前の由来となっていることが分かりました。

当公園の大部分は動物園になっていて、お昼休みに弁当を持って訪れる親子連れや会社員で賑わっていました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)