2009年1月 1日 (木)

滋賀旅行記 vol.16

ヨッシーです。あけましておめでとうございます。今年も元旦は、滋賀県南部で最も賑わう近江神宮に行ってきました。近江神宮は皇紀2600年を記念して、天智天皇をご祭神に同天皇が拓いた大津京のあった場所に創建された神社です。そして、昨年3月には最寄駅であった西大津駅も大津京駅へと改称されました。

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写真は、近江神宮の外拝殿です。一般にはこの外拝殿でお参りし、この奥の内拝殿には特別な場合以外入ることができません。また、本殿は内拝殿のさらに奥にあって残念ながら見ることができません。

大津京は、天智天皇が新羅(朝鮮)の逆襲に備えて667年に造営した都です。この大津京はその僅か5年後の672年に壬申の乱で滅亡してしまいますが、そもそも「大津京」と「大津宮」の呼称で未だに議論がなされています。

大津京という呼称は、日本書紀に記された「近江京」に由来します。しかしながら、「京」の定義である条坊制(区画を整備して寺院や宮殿を配する都市計画)が布かれていた証拠となる遺跡は現在のところまだ発見されていません。もし、大津京が正しかったとすると、平城京(710年)を約半世紀遡る日本最古の京であったことになります。

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2008年12月31日 (水)

滋賀旅行記 vol.15

ヨッシーです。今年も残すところ今日一日だけとなりました。今晩(明朝)には、大宝神社に毎年恒例の初詣に出かけますが、今年中にも明るいうちに一年間のお礼参りをしてきました。

境内では、氏子や地域ボランティアの方々による初詣の準備が行われていました。

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写真は、大宝神社の四脚門です。地方の神社には立派過ぎる門だと思っていたところ、徳厳親王の病気快癒の祈祷のお礼に享保3年(1718年)百々御所(現、京都・宝鏡寺)から下賜された門であることが分かりました。門付きの築地塀に入っている5本の白い線が宮中の建物であったことを表しています。

大宝神社については、2年前(2006年12月31日)のブログで紹介しているので、今回は省略いたします。

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2008年6月22日 (日)

滋賀旅行記 vol.14

ヨッシーです。今日は朝からずっと雨が降っていましたが、昼を過ぎると止んで日が差してきたので近場に出かけることにしました。昨日、駅で入手した日野の観光案内が面白そうだったので、そのモデルコースに従って歩いてみました。

6月22日

栗東・発 →(栗東~貴生川・貴生川~日野)→ 鈴休神社・摂取院・伊勢道・正覚寺・五社神社・雲雀野 → 近江日野商人館・若草清水・信楽院 → 経王寺・武家屋敷跡・中野城址・興敬寺・法雲寺・光延寺・馬見岡綿向神社 → 感応館・大聖寺・遠久寺・興仙寺・曳山モニュメント →(日野~貴生川・貴生川~栗東)→ 栗東・泊

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写真は、雲雀野の広場に立っていた日野出身の戦国大名・蒲生氏郷の像です。わずか一代で武将から会津92万石の大大名にまで出世した文武両道の武将で、滋賀を代表する英雄の一人です。

蒲生氏は、代々日野地方を治めていた豪族で、室町時代には近江国の守護大名・六角佐々木氏の重臣でした。しかし、織田信長に主家を滅ぼされると当時の蒲生氏当主・賢秀は息子を信長に人質に差し出すことで保身を試みました。この人質が後の氏郷です。

英邁な氏郷は信長に大変気に入られて、豪族の人質という身分であったにも関わらず自分の娘婿として一族に迎えられました。そして、信長の親衛隊として安土城のお膝元であった中野城(日野城)に置かれて内政にも参画しました。当時の一流大名のステータスであった茶の湯の第一人者・千利休の7人の高弟(利休七哲)にも名を連ねています。

信長の死後は秀吉にも才能を認められ、東北の伊達政宗の抑えとして黒川城(後の会津若松城)92万石を与えられました。しかし、この転封は氏郷が中央にいると自分の天下が危ないと考えた秀吉の陰謀であったとも言われています。残念なのはそのわずか5年後に40歳の若さで急死してしまったことです。病弱ではなく、むしろ勇猛果敢な武将であったことから、その死は毒殺であったという説が有力視されています。

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2008年3月18日 (火)

滋賀旅行記 vol.13

ヨッシーです。今日から出張で熊本に来ています。せっかく暖かい地方にやって来たのですが、週末からずっと風邪をひいています。体調と同様に、今日は天気も生憎の曇り空でした。

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写真は、琵琶湖の航空写真です。名古屋空港から熊本空港へ向かう飛行機の中から撮影しました。航路が琵琶湖上空を東から西へ横切るルートだったので撮影することができました。琵琶湖を北側から南方を向いて撮影しています。

ガスがかかっていて見えにくいですが、写真中央の琵琶湖が狭くなっているところには琵琶湖大橋が架かっています。琵琶湖大橋を境に上方(南方)の小さい湖部分を南湖、下方(北方)の広い湖部分を北湖と呼んで区別しています。ヨッシーの故郷・栗東は、南湖の左側(東方)にあります。

写真右下(北湖西方)の比良山系にはまだ白く残雪が残っています。

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2008年1月 5日 (土)

滋賀・岐阜旅行記

ヨッシーです。今週で休みも終わりなので、今日は信州に戻りながら途中、関ヶ原に寄り道しました。雪が残っていないか心配でしたが、足元には全く問題ありませんでした。

1月5日

栗東・発 →(栗東IC~長浜IC)→ 徳勝寺(長浜) → 蓮華寺・北畠具行墓・清滝寺(米原) → 関ヶ原古戦場(関ヶ原) → 伊富岐神社・真禅院・南宮大社(垂井) → 大垣城(大垣) →(大垣IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、関ヶ原の戦いで西軍に属した義の武将・大谷吉継の墓です。宮上の陣所から山中を約700m北に移動した場所にありました。

大谷吉継は文武両道の名将で、東軍の武闘派からも好かれていましたが、文治派である石田三成との友情を取って西軍に属して奮戦し、宮上の陣所を守って戦死しました。軟弱で一枚岩になれなかった西軍の中で島左近と並んで最も潔く戦った武将であり、その強い正義心には心惹かれるものがあります。ヨッシーも正義を貫く強い心を持った人間でありたいと墓前に誓いました。

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2008年1月 1日 (火)

滋賀旅行記 vol.12

ヨッシーです。新年あけましておめでとうございます。今年も元旦は、近江神宮に初詣に行ってきました。栗東は好天に恵まれて暖かかったですが、近江神宮のある湖西方面は非常に寒く小雪が舞っていました。

1月1日

栗東・発 →(近江大橋)→ 近江神宮・三井寺(大津) →(近江大橋)→ 栗東・泊

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写真は、近江神宮の本殿です。御祭神は、大化の改新の立役者・天智天皇(中大兄皇子)です。

天智天皇は、朝廷内で天皇を凌ぐ権力を持つ蘇我一族の長・蘇我入鹿を中臣鎌足(藤原鎌足)とともに暗殺することで、朝廷の権威を回復しました(乙巳の変)。その活躍もあって、後に藤原鎌足の補佐の元、天皇に即位して、朝廷に反抗的な豪族の多い飛鳥を離れて滋賀県大津市(大津京)に遷都しました。大津京のあった場所は、近江神宮のやや南方になります。

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2007年12月31日 (月)

滋賀旅行記 vol.11

ヨッシーです。年末で滋賀に帰省しました。インターネットで滋賀県内の国宝建築を検索したところ、大笹原神社にだけまだ行けてないことが分かりました。今日は、風は強いですが良い天気に恵まれたので正月前ですが参拝してきました。

12月31日

栗東・発 → 勝部神社(守山) → 大笹原神社(野洲) → 新善光寺・旧和中散本舗・安養寺(栗東) → 栗東・泊

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写真は、国宝・大笹原神社本殿です。室町時代・応永21年(1414年)の建立ながら軒回りや間の作りが繊細で、屋根の四隅には風篭を飾るなどの装飾性の高さが国宝指定の要因であると思われます。

祭神は、ヨッシーの郷宮・大宝神社と同じ須佐之男命です。滋賀県には、日本海側に多い出雲神(国津神)を祀っている神社が多く、京都・奈良と並ぶ歴史の宝庫ながら文化的にはそれらとは異なる伝播経路を辿ってきたことが分かります。

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2007年11月19日 (月)

滋賀旅行記 vol.10

ヨッシーです。今日は父の誕生日だったので、休みを取って両親と一緒に紅葉と温泉に行ってきました。例年に比べると紅葉は疎らで揃っていませんでしたが、今年見に行った中では一番きれいでした。

11月19日

栗東・発 →(栗東IC~木之本IC)→ 飯福寺・石道寺・興志漏神社(木之本) → 渡岸寺・北近江の湯(高月) →(木之本IC~栗東IC)→ 栗東・着

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写真は、飯福寺・大門跡付近の紅葉です。例年は、ここから本堂までの参道の両脇が紅葉で真赤に染まります。

飯福寺は、通称の「鶏足寺」の名で知られる紅葉の名所です。この名前の由来は、もみじの形が鶏の足跡に似ていることによります。

戦国時代の浅井氏から江戸時代にかけて大いに発展したことが参道脇の石垣跡から推測されますが、明治時代の廃仏毀釈によって伽藍がことごとく破壊されてしまってほとんど残っていないのが残念でした。

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2007年10月 7日 (日)

滋賀旅行記 vol.9

ヨッシーです。三連休の2日目は、琵琶湖クルーズに行ってきました。何も遮るものがない琵琶湖の中央で受ける風は心地よく、また琵琶湖の周囲に点在する街並みの眺めには感動しました。

10月7日

竜王・発 →(竜王IC~彦根IC・オーミマリン)→ 竹生島・宝厳寺・竹生島神社(長浜) →(オーミマリン)→ 龍潭寺・佐和山城址(彦根) →(オーミマリン)→ 多景島・見塔寺(彦根) →(オーミマリン・彦根IC~竜王IC)→ 竜王・泊

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写真は、竹生島神社の竜神拝所(中央の建物)です。竜神拝所は舞台造になっていて、そこからの眺めは近江八景の1つに数えられています。

竜神拝所からは琵琶湖側に建っている鳥居に向かって願い事を書いた陶器の小皿を投げる土器(かわらけ)投げをすることができます。また、竹生島神社の本殿と唐門は国宝、本殿と唐門を繋いでいる船廊下は重要文化財に指定されており見所いっぱいです。

竹生島というと、つい西国三十番札所・宝厳寺の方に行ってしまいますが、文化財的価値としては断然、竹生島神社がお勧めです。本殿内の狩野永徳の天井画も必見です。

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2007年8月12日 (日)

滋賀旅行記 vol.8

ヨッシーです。夏休みで滋賀に帰省しました。現在、実家が建替中なので、両親の仮住まい竜王町内を散策しました。

8月12日

平家終焉の地・義経元服池・鏡神社・義経宿泊館(白木屋)跡・真照寺 → 苗村神社 → 龍王寺・妹背の里 → 杉之木神社

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写真は、苗村神社の西本殿です。建立が鎌倉時代(1308年)ということで国宝に指定されています。

本殿の両脇にある摂社および神輿庫と楼門、道路を挟んで反対側にある東本殿も重要文化財に指定されており、文化財の宝庫と言える素晴らしい神社でした。

竜王に来て初めて知った神社でしたが、改めて近江の歴史の深さを強く実感しました。

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2007年1月 6日 (土)

滋賀旅行記 vol.7

ヨッシーです。6日目は、湖北を情報収集しました。メインは、国宝・彦根城と秀吉の城下町・長浜です。あいにくの雨天で、景色を楽しむことは出来ませんでしたが、その分建築美を重点的に堪能することができました。

1月6日

栗東・発 →(栗東IC~彦根IC)→ 彦根城・玄宮園・井伊神社・龍潭寺・清涼寺・長寿院(彦根) → 豊公園・豊国神社・知善院・大通寺・長浜八幡宮・舎那院・妙法寺(長浜) → 観音護国寺(米原) → 石田三成出生地(長浜) → 福田寺(米原) → 長久寺(彦根) →(彦根IC~栗東IC)→ 栗東・泊

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写真は、長寿院の弁財天堂(重要文化財)です。この寺院を建立したのは、4代藩主・井伊直興で、日光東照宮の造営に関わっていたことから、建造物には細かい彫刻が施されています。

写真だけでは分かりませんが、この弁財天堂は権現造で出来ています。権現造とは、拝殿と本殿を石の間で連結させる構造を言いますが、この弁財天堂は、礼堂と本堂を石の間で連結させています。すなわち、弁財天堂は神社建築の建物を寺院に改造したものであり、神仏習合によって生まれ、廃仏毀釈を受けずに現存している珍しい遺構です。

ここからはヨッシーの推測ですが、長寿院は元々、井伊直興が彦根城の鬼門を護るための神社として日光東照宮に倣って佐和山に建立したものであり、これが神仏習合によって寺院化したものと考えています。日光東照宮は、江戸城の鬼門を護るために建立された神社であると言われており、井伊直興がこの造営に関わることで影響を受けたと考えられます。

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2007年1月 5日 (金)

滋賀旅行記 vol.6

ヨッシーです。5日目は、湖南から湖東を情報収集しました。本日のメインは、湖東三山(百済寺、金剛輪寺、西明寺)でした。

1月5日

栗東・発 → 兵主神社(野洲) → 長命寺(近江八幡) → 観音正寺・観音寺城跡(安土) → 百済寺(東近江) → 金剛輪寺(愛荘) → 西明寺(甲良) → 阿賀神社(太郎坊宮)(東近江) → 御上神社(野洲) → 栗東・泊

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写真は、阿賀神社のある箕作山です。山の山頂付近は、ほとんど岩が剥き出しになっており、そこを削ってお宮が建てられています。

阿賀神社の祭神は、太郎坊という天狗で、次郎坊という鞍馬山の天狗の兄に当たります。このことから、阿賀神社は通称・太郎坊宮と呼ばれています。いかにも天狗が住んでいそうな自然環境が体感できて面白かったです。

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2007年1月 4日 (木)

滋賀旅行記 vol.5

ヨッシーです。第4日目は、大津中部から湖西を情報収集しました。日吉大社を除いた坂本の主な寺院には、2002年に一度訪問しています(ホームページに掲載)。そこで、今回は延暦寺から比叡山坂本ケーブルを使って山を下り、日吉大社だけを訪問するスケジュールで臨みました。

1月4日

栗東・発 →(近江大橋)→ 本多神社・今井兼平墓(大津) →(比叡山ドライブウェイ)→ 延暦寺・日吉大社(大津) →(奥比叡ドライブウェイ)→ 満月寺・伊豆神社(大津) → 白鬚神社・鵜川四十八躰仏・大溝城跡・分部神社・乙女ヶ池・安閑神社・三尾神社旧跡(高島) →(琵琶湖大橋)→ 栗東・泊

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写真は、琵琶湖中に立っている白鬚神社の鳥居です。この情景から連想されるとおり、「近江の厳島」と呼ばれています。鳥居に若干かかる形で左に見えている対岸の島(手前にある色の濃い部分)が沖島で、鳥居の間にあって一番高い山が近江八幡市の長命寺山です。

明日は、長命寺山頂にある長命寺に行ってきます。

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2007年1月 3日 (水)

滋賀旅行記 vol.4

ヨッシーです。第3日目は、大津南部を情報収集しました。立木観音への道程がなかなかハードで予想以上に時間を費やしてしまいました。訪問される際には時間にゆとりを持って行かれることをお勧めいたします。

1月3日

栗東・発 → 立木神社・草津宿本陣(草津) → 建部大社・瀬田唐橋・石山寺・南郷洗堰・立木観音・膳所城跡公園・膳所神社(大津) →(近江大橋)→ 栗東・泊

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写真は、膳所神社の表門(重要文化財)です。門の横に潜り戸があることでお分かりの通り、この門はかつて膳所城の城門として使用されていました。膳所神社には、他にも東西2箇所に門がありましたが、いずれも表門よりは小規模ながら城門の構造をしていました。

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2007年1月 2日 (火)

滋賀旅行記 vol.3

ヨッシーです。第2日目は、早速、常楽寺に行ってきました。常楽寺は、湖南三山に数えられる寺院で本堂は国宝に指定されています。

1月2日

栗東・発 → 常楽寺・長寿寺・善水寺(湖南) → 水口城址・水口神社・矢川神社・正福寺・油日神社・櫟野寺・田村神社(甲賀) → 栗東・泊

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写真は、常楽寺の本堂(国宝)です。他の湖南三山の長寿寺と善水寺も、本堂は鎌倉時代のもので国宝に指定されています。

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2007年1月 1日 (月)

滋賀旅行記 vol.2

ヨッシーです。新年を迎えての第1日目ということで、滋賀県を代表する神社「近江神宮」に行ってきました。近江神宮は、かつて天智天皇が造営した大津京があった場所の近くに皇紀2600年を記念して昭和15年に創建された新しい神社です。

1月1日

栗東・発 →(近江大橋)→ 近江神宮・園満院・園城寺・義仲寺(大津) →(近江大橋)→ 栗東・泊

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写真は、園城寺(三井寺)の入口に建つ仁王門です。室町時代の建立で国の重要文化財に指定されています。

寺勢を感じさせる立派な威容を湛えていましたが、案内板を読むと1601年に徳川家康によって湖南の常楽寺から移築されたものであることが分かりました。常楽寺は実家のすぐ近くですが、まだ行ったことがありません。これだけ立派な門を持っていた寺院なので、ぜひ訪問してみたいと思います。

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2006年12月31日 (日)

滋賀旅行記

ヨッシーです。新年あけましておめでとうございます。本年も歴史と自然を愛するヨッシーの気ままな旅行記にお付き合いの程お願い申し上げます。

新年1回目は、帰省中のヨッシーの本籍地・滋賀県栗東市をご紹介いたします。

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写真は、ヨッシーが毎年元旦に初詣する「大宝神社」境内内にある若宮(追来神社)です。初詣は、いつも深夜のため31日の日中に参内して撮影しました。日本最古(鎌倉時代)の一間社流造であり、境内内で唯一、重要文化財に指定されています。

大宝神社の御祭神は、素盞鳴尊(スサノオノミコト)です。素盞鳴尊は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の弟であり、神話の時代の因縁(天の岩戸伝説など)により神々を二分して対立してきました。素盞鳴尊の子孫を国津神(出雲神)、天照大御神の子孫を天津神(日向神)と呼んで区別されています。また、社格の高い神社についても、国津神を祀るものを「大社」、天津神を祀るものを「神宮」と呼んで区別しています。

ヨッシーが現在住んでいる信州では、諏訪大社が有名ですが、諏訪大社の御祭神は、建御名方神(タケミナカタノカミ)です。建御名方神は、出雲神・大国主命(オオクニヌシノミコト)の次男であり、大国主命は素盞鳴尊の子孫(一説には子)なので国津神となります。ヨッシーの行く先がなぜか国津神を祀っている地であることに不思議な縁を感じています。

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