2011年4月29日 (金)

滋賀旅行記 vol.23

ヨッシーです。今日からGWが始まりました。今回は、ヨッシーの夢だったキャンピングカーを借りて九州方面を旅することにしました。キャンピングカーは、①とにかく居住スペースが広くて、②冷蔵庫もあって、③ソーラーパネルと自走式充電バッテリーで電源も余裕、なので快適な車中泊ライフが期待されます。

今日は、まず信州を出発してからキャンピングカーを借りるため長浜に向かいました。少しでも早く九州に移動するため早めに長浜に到着して、レンタカー屋の開店時間まで付近の史跡を散策しました。

4月29日

自宅 →(塩尻IC~木之本IC)→ 西徳寺・伊香具神社・塩津神社(長浜) →(木之本IC~壇之浦PA)→ 下関・泊

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写真は、伊香具神社の伊香式鳥居です。名前のとおり、この鳥居は当神社に独特なもので、広島の厳島式鳥居と奈良の三輪式鳥居が融合した形をしています。

かつては、この鳥居のすぐ前にまで琵琶湖が広がっていて、琵琶湖に住む海の神と本殿の後方にある香具山(奈良三山の一つである天香久山と同様に神聖視されてきた山)に住む山の神を厳島神社と三輪神社の神々に見立て、その架け橋へとの願いを込めてこの鳥居が造られたと考えられています。

キャンピングカーに乗り換えてから九州を目指しましたが、GWの大渋滞にはまってしまい、今日は下関までの移動となりました。明日はいよいよ九州に上陸します!

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2011年3月13日 (日)

滋賀旅行記 vol.22

ヨッシーです。関東での大地震で被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。

大地震による影響を心配しながら、高速バスに乗って信州に帰って来ました。信州では、売り切れにより閉店したガソリンスタンドが多く見られ、開店している僅かな店舗は給油待ちの車列で混雑していました。ヨッシーも急いで列に並んで何とか2000円分だけ給油することができました。

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写真は、帰りの高速バスが休憩で立ち寄った多賀SA上り線に立てられた敏満寺跡碑です。

敏満寺は平安時代に創建された大寺院で、中世には城塞化して寺勢を誇示しました。しかし、戦国時代に入ってからはその勢力を警戒した浅井氏や織田氏などの戦国大名により度々攻撃を受けて、ついには廃寺に追い込まれたと伝えられています。

ちょうどこの石碑のある高台を中心とした一帯が敏満寺の境内であったと考えられていますが、高度経済成長期に急いで建設された名神高速道路によって十分な調査もされないまま破壊されて多賀SAが造られました。敏満寺がここに存在したことを示す唯一の石碑が寂しく感じられました。

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2011年2月12日 (土)

滋賀旅行記 vol.21

ヨッシーです。帰省2日目は、病院にお見舞いに行く前にヨッシーが最も信奉している大宝神社に厄払いに行ってきました。親の病気快癒が主願ですが、昨年末からヨッシー自身にも不可解な出来事が続いているため、厄払いしてもらうことにしました。

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写真は、大宝神社の本殿です。厄払いの後に全ての境内社を参拝しました。

大宝神社の主祭神は素盞鳴尊ですが、ヨッシーのいる信濃国一ノ宮・諏訪大社の主祭神・建御名方神は素盞鳴尊の子孫に当たります(2006.12.31参照)。ヨッシーの現住所の氏神様の祖先の神様にも、身内の病気快癒を祈願しました。

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2011年2月11日 (金)

滋賀旅行記 vol.20

ヨッシーです。今日から待望の三連休ですが、先週末に親が急病で入院したため急遽滋賀に帰省しました。連休なのでゆっくりと帰省することができました。

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写真は、滋賀県多賀町にある多賀大社の拝殿です。帰省途中に休憩で立ち寄った多賀SAに案内板があったので、車をSAに置いたまま歩いて参拝してきました。

多賀大社は、日本の最高神である天照大御神や須佐之男命など日本を代表する神々の親神で国生みの神でもある伊邪那岐命と伊邪那美命を祀っている神社です。「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」、「お伊勢七度 熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」など古来より伊勢神宮や熊野三山よりも大切にすべきと謳われてきた神社です。

今回の帰省がヨッシーの親のお見舞いであることと不思議な縁を感じながら、病気の快癒を祈願しました。親の病気が治るまで当分の間、旅を中止して帰省しようと思います。

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2011年1月 1日 (土)

滋賀旅行記 vol.19

あけましておめでとうございます。本年もヨッシーウェブログをよろしくお願いいたします。

今年も初詣には、大宝神社と近江神宮を訪れました。毎年訪れる神社なので紹介できる内容も少なくなってきましたが、今年は昨年末から降り積もった雪で例年とは違った景色を記録に収めることができました。

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写真は、近江神宮の外拝殿の東隣に建てられていた栖松遙拝殿です。栖松は、有栖川宮と高松宮から一字ずつ取られたものです。

この建物は、元々東京高輪の高松宮邸内に建てられていた御霊屋で、高松宮家が断絶したことにより平成18年(2006年)に当地に移築されました。高松宮家は、有栖川宮家から祭祀を継承していましたが、高松宮家の断絶後は高松宮殿下が近江神宮奉賛会の総裁であった縁により当神宮がこの御霊屋を引き継いで祭祀(遙拝式)を行っています。

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2010年1月 1日 (金)

滋賀旅行記 vol.18

ヨッシーです。新年あけましておめでとうございます。今年でヨッシーウェブログも4年目に入りました。本年も大好きな日本全国を旅して廻りたいと思います。

今年も初詣には、地元・栗東市の大宝神社と大津市にある近江神宮に行ってきました。気温、天候共に例年と変わりありませんでしたが、どちらも客足が少ないように感じられました。不景気な上、年末に高速道路の特別割引きがなかったのが帰省の足に影響したのかもしれません。

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写真は、近江神宮の楼門前の様子です。例年であれば階段の下まで参拝客の行列が続いているところですが、明らかに少ない状態です。

近江神宮は、昭和15年(1940年)に当時の内務省神社局が全国の神社建築研究の集大成として造営したもので、社殿は国の有形文化財に指定されており、建築様式は「近江造」と命名されています。しかし、ヨッシーはこの社殿配置を見て近江神宮に先駆けて造営された平安神宮を踏襲している様に感じました。

両神宮に共通する特徴は、内外拝殿を擁していることです。これは、平安京の大内裏にあった朝堂院(政庁)をモデルにしたもので、楼門(応天門)、外拝殿(会昌門)、内拝殿(大極殿)、本殿(小安殿)を縦に並べてそれぞれを回廊で繋いでいます。恐らくは、平安神宮が平安京を意識して建てられたのと同様に、近江神宮も大津京を意識した結果、同様の社殿配置になったものと考えられます。

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2009年12月30日 (水)

滋賀旅行記 vol.17

ヨッシーです。昨晩、滋賀に帰省しました。今年末は高速道路の休日特別割引が適用されないため、年内は実家(栗東)にいて来年から旅に出かけたいと考えています。今話題の「坂の上の雲」を眺めに行く予定です。

買い物ついでに通りかかった神社に立ち寄りました。県内では特別に有名な神社ではありませんが、滋賀は奈良・京都に次ぐ歴史の宝庫なので至る所に貴重な史跡があります。

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写真は、小津神社の本殿です。室町時代末期の大永6年(1526年)の建築で、国の重要文化財に指定されています。

小津神社は、日本武尊の子孫である小津氏が自分たちの祖先である小津君(日本武尊の孫)を当地(守山市)の開拓の神様として祀ったものです。後に五穀の神様・宇賀之御魂命も合祀され、地元の生産者をはじめ代々当地を治める統治者にも深く崇敬されてきました。

写真を撮る目的で外出しなかったため愛用のカメラを持参しておらず、手持ちの携帯電話のカメラで撮影しました。日の当たっている屋根と地表の部分が白飛びしていて、カメラを持って来なかったことが悔やまれました。

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2009年1月 1日 (木)

滋賀旅行記 vol.16

ヨッシーです。あけましておめでとうございます。今年も元旦は、滋賀県南部で最も賑わう近江神宮に行ってきました。近江神宮は皇紀2600年を記念して、天智天皇をご祭神に同天皇が拓いた大津京のあった場所に創建された神社です。そして、昨年3月には最寄駅であった西大津駅も大津京駅へと改称されました。

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写真は、近江神宮の外拝殿です。一般にはこの外拝殿でお参りし、この奥の内拝殿には特別な場合以外入ることができません。また、本殿は内拝殿のさらに奥にあって残念ながら見ることができません。

大津京は、天智天皇が新羅(朝鮮)の逆襲に備えて667年に造営した都です。この大津京はその僅か5年後の672年に壬申の乱で滅亡してしまいますが、そもそも「大津京」と「大津宮」の呼称で未だに議論がなされています。

大津京という呼称は、日本書紀に記された「近江京」に由来します。しかしながら、「京」の定義である条坊制(区画を整備して寺院や宮殿を配する都市計画)が布かれていた証拠となる遺跡は現在のところまだ発見されていません。もし、大津京が正しかったとすると、平城京(710年)を約半世紀遡る日本最古の京であったことになります。

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2008年12月31日 (水)

滋賀旅行記 vol.15

ヨッシーです。今年も残すところ今日一日だけとなりました。今晩(明朝)には、大宝神社に毎年恒例の初詣に出かけますが、今年中にも明るいうちに一年間のお礼参りをしてきました。

境内では、氏子や地域ボランティアの方々による初詣の準備が行われていました。

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写真は、大宝神社の四脚門です。地方の神社には立派過ぎる門だと思っていたところ、徳厳親王の病気快癒の祈祷のお礼に享保3年(1718年)百々御所(現、京都・宝鏡寺)から下賜された門であることが分かりました。門付きの築地塀に入っている5本の白い線が宮中の建物であったことを表しています。

大宝神社については、2年前(2006年12月31日)のブログで紹介しているので、今回は省略いたします。

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2008年6月22日 (日)

滋賀旅行記 vol.14

ヨッシーです。今日は朝からずっと雨が降っていましたが、昼を過ぎると止んで日が差してきたので近場に出かけることにしました。昨日、駅で入手した日野の観光案内が面白そうだったので、そのモデルコースに従って歩いてみました。

6月22日

栗東・発 →(栗東~貴生川・貴生川~日野)→ 鈴休神社・摂取院・伊勢道・正覚寺・五社神社・雲雀野 → 近江日野商人館・若草清水・信楽院 → 経王寺・武家屋敷跡・中野城址・興敬寺・法雲寺・光延寺・馬見岡綿向神社 → 感応館・大聖寺・遠久寺・興仙寺・曳山モニュメント →(日野~貴生川・貴生川~栗東)→ 栗東・泊

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写真は、雲雀野の広場に立っていた日野出身の戦国大名・蒲生氏郷の像です。わずか一代で武将から会津92万石の大大名にまで出世した文武両道の武将で、滋賀を代表する英雄の一人です。

蒲生氏は、代々日野地方を治めていた豪族で、室町時代には近江国の守護大名・六角佐々木氏の重臣でした。しかし、織田信長に主家を滅ぼされると当時の蒲生氏当主・賢秀は息子を信長に人質に差し出すことで保身を試みました。この人質が後の氏郷です。

英邁な氏郷は信長に大変気に入られて、豪族の人質という身分であったにも関わらず自分の娘婿として一族に迎えられました。そして、信長の親衛隊として安土城のお膝元であった中野城(日野城)に置かれて内政にも参画しました。当時の一流大名のステータスであった茶の湯の第一人者・千利休の7人の高弟(利休七哲)にも名を連ねています。

信長の死後は秀吉にも才能を認められ、東北の伊達政宗の抑えとして黒川城(後の会津若松城)92万石を与えられました。しかし、この転封は氏郷が中央にいると自分の天下が危ないと考えた秀吉の陰謀であったとも言われています。残念なのはそのわずか5年後に40歳の若さで急死してしまったことです。病弱ではなく、むしろ勇猛果敢な武将であったことから、その死は毒殺であったという説が有力視されています。

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