2009年5月 8日 (金)

鹿児島旅行記 vol.9

ヨッシーです。いよいよ鹿児島旅行も最終日となって、鹿児島市内に戻ってきました。鹿児島発の夜行バスの発車時刻が19:00なので、それまで市内を散策しました。鹿児島の英雄・西郷隆盛(南洲翁)の史跡を中心に巡りました。

鹿児島旅行をされる方には、まず最初に「維新ふるさと館」へ訪問されることをお勧めいたします。維新ふるさと館は、西郷隆盛と大久保利通が生まれ育った場所に建てられた記念館で、明治維新の主役となった薩摩志士たちの活躍を分かりやすく紹介しています。中でも特に館内の維新体感ホールで上演されるロボット人形劇「維新への道」は見応えがあります。

5月8日

屋久島・発 →(宮之浦港~南埠頭)→ 維新ふるさと館 → 仙巌園・尚古集成館 → 南洲神社・西郷隆盛終焉地 → 西郷隆盛洞窟・城山公園 → 鹿児島・着

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写真は、仙巌園の磯御殿から眺めた桜島の借景庭園です。ちょうど5月ということで、五月幟が立てられていました。この五月幟は、島津家30代・忠重が幼少の頃(明治20年)に実際に立てられていたもので、右から吹流し、昇り竜、降り竜、桐紋2本、丸に十文字(島津家の家紋)2本の計7本となっています。

仙巌園は、万治元年(1658年)に島津家19代・光久が建てた別邸(磯御殿)と庭園を整備したもので、幕末の島津家の生活を知る貴重な史跡となっています。磯御殿の外観は純和風ですが、中に入ると赤く塗られた壁や蝙蝠の釘隠しなど中国・琉球文化の影響が多数目に付きました。

このように外国文化を積極的に取り入れるなど、新しいことに挑戦し続ける気質こそが、日本の中心から最も離れた地にありながら結果として日本の中心的な役割を果たすことになった薩摩志士たちの力の源であると確信しました。

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2009年5月 7日 (木)

鹿児島旅行記 vol.8

ヨッシーです。鹿児島旅行三日目は、縄文杉登山の予備日(昨日雨天時の登山予定日)として開けていましたが昨日無事に登山を終えたため、隣にある種子島に渡って島内散策を行うことにしました。本日の散策の目玉は、種子島の鉄砲関連史跡と種子島宇宙センターです。今日も一日晴天に恵まれ最高の観光日和でしたが、休日明け初日ということで宇宙科学技術館が休館していたのが残念でした。

5月7日

屋久島・発 →(宮之浦港~西之表港)→ 鉄砲館・本源寺・栖林神社・栖林小学校・わかさ姫墓地・甘藷栽培初地(西之表) → 雄龍雌龍の岩(中種子) → 千座の岩屋・ロケットの丘・宇宙科学技術館・たねがしま赤米館・宝満神社・前之浜海浜公園・門倉岬(南種子) →(西之表港~安房港)→ 屋久島・泊

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写真は、西之表港に立てられていた日本初の鉄砲鍛冶・八板金兵衛清定の像です。八板氏はもともと美濃国関(岐阜県関市)の刀鍛冶でしたが、島主・種子島氏に呼ばれて西之表に移住した職人です。

種子島はご存知1543年(以後予算が・・・と覚えましたね)にポルトガルから日本に初めて鉄砲がもたらされた場所です。そのポルトガル船が漂着した場所は門倉岬であったと言われています。ポルトガル人は助けられたお礼に3丁の鉄砲を当時の島主・種子島時尭に献上しました。そして島主は、初めて見る近代兵器・鉄砲の製造を刀鍛冶・八板金兵衛に命じました。

金兵衛は、拝領した鉄砲を分解してその部品の一つ一つを精密に複製していきましたが、筒底の元栓の「ネジ」だけはどうしても作ることが出来ませんでした。そこでこの製法をポルトガル人に教えてもらうことにしましたが、その交換条件は金兵衛の娘・若狭を嫁に差し出すことでした(日本初の国際結婚と言われています)。若狭は結婚後ポルトガルに向かいましたが、道中のシンガポールで発病し種子島に帰島しましたがそのまま亡くなったとされています。

かくして完成された日本初の鉄砲「種子島」の開発こそが技術大国・日本への第一歩であり、その鉄砲伝来地である門倉岬からわずか8km東方に現在の日本の技術の最高峰・種子島宇宙センターがあるのも面白い巡り合わせであると感じました。

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2009年5月 6日 (水)

鹿児島旅行記 vol.7

ヨッシーです。鹿児島旅行の二日目は、いよいよ縄文杉登山に挑戦です。1ヶ月の内35日間雨が降ると言われる屋久島でしたが、最高の晴天に恵まれました。

5:20に安房港から路線バスに乗車して、6:00に荒川登山口に到着しました。ここから約9kmは屋久杉を搬出するために大正時代に敷設された平坦なトロッコ軌道を3時間ひたすら歩き続けます。道中にはかつて屋久杉で林業を営んでいた小杉谷集落の跡や三代に渡って更新を繰り返した「三代杉」の巨木があります。

9:00に大株歩道入口に到着しました。入口脇には「遅くても10:00までにはここを出発し、13:00には縄文杉から引き返すように」と書かれた立て札があります。ここから約1km急な山道を登り続けるとウィルソン株に到着します。ウィルソン株の側面には穴が開いていて、そこから株内に入ると天井にも穴が開いていますが、そこから射し込む光が場所と角度によってハート型に見えます。

ここから更に約2km木の階段を登り続けて10:30ようやく目的の縄文杉(写真)に到着しました。約3kmに渡る大株歩道の道中には見応えのある大杉が多数見られましたが、縄文杉の貫禄は別格です。縄文杉に到着するまではブログに掲載する写真をウィルソン株にしよう(縄文杉では在り来たりなので)と思っていましたが、ここに来たらやっぱりこれを載せるしかなくなりました。

5月6日

屋久島・発 →(バス)→ 荒川登山口・小杉谷集落跡・三代杉 → 大株歩道入口・翁杉・ウィルソン株・大王杉・夫婦杉・縄文杉 →(バス)→ 屋久杉自然館 →(バス)→ 屋久島・泊

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縄文杉は高塚山(標高1,396m)の山頂に近い標高1,300mの高所にあって、その幹周りは16.4mあります。縄文杉より少し下がったところにある大王杉(標高1,200m、幹周り11.1m)と昨日観察した紀元杉(標高1,200m、幹周り8m)の樹齢が約3,000年と言われていますが、縄文杉の樹齢はその生育場所の標高と幹周りの大きさの違いから約7,200年と言われています。

生まれて7,200年も経っていながら今尚、苔や草木の着生を許さない生命力に溢れた幹肌からは神々しいオーラが放出されており、当に地球上全生物の祖先(神様)を崇めるような境地でした。

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2009年5月 5日 (火)

鹿児島旅行記 vol.6

ヨッシーです。昨晩から大阪発の夜行バス(さつま号)に乗って鹿児島にやってきました。今回の鹿児島旅行の目的は、世界自然遺産・屋久島の縄文杉登山です。本日は移動日で屋久島に到着した時間も中途半端だったので、明日の登山の小手慣らしに「ヤクスギランド」に行ってきました。こちらでも屋久杉の生命力を十分に感じることができ、テンションが高まりました。

5月5日

鹿児島・発 →(南埠頭~宮之浦港)→ ウィルソン博士顕彰之碑・益救神社 → ヤクスギランド・紀元杉 → 屋久島・泊

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写真は、ヤクスギランド内で見かけた切り株更新の様子です。江戸時代に伐採された樹齢数千年の巨木の切り株の上に新しい二代杉が3本生育しています。島内には、このような切り株更新の他、倒木の上に新しい二代杉が生育した倒木更新やこれらが数代に渡って組み合わされて複雑化したものも多数見られます。

屋久島は小さい島ですが、九州地方で1~8位まで(標高1,800m以上)の山が集まった洋上アルプスです。このため、標高の高い場所に生えている杉は生育が遅く、年輪が詰まっているのが特徴です。写真の切り株の上に育った小杉で200~300年経っていることからすると、この大きな切り株はその直径から樹齢2,000年以上の古木であったと推測されます。

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2008年3月22日 (土)

鹿児島旅行記 vol.5

ヨッシーです。三日目は、鹿児島半島を時計回りに巡りました。大河ドラマ「篤姫」ゆかりの地・今和泉の町並みや知覧の武家屋敷庭園を散策しました。

3月22日

鹿児島・発 → 今和泉島津家墓地・豊玉媛神社・今和泉島津家屋敷跡・池田湖・玉乃井・枚聞神社・開聞岳(指宿) → 知覧平和公園・知覧武家屋敷群・西福寺跡(知覧) → 竹田神社・常潤院跡(南さつま) → 天昌寺跡・清浄寺・お仮屋跡・鬼丸神社・園林寺跡・大乗寺跡・八幡神社(日置) → 薩摩金山蔵(いちき串木野) → 薩摩川内・着

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写真は、知覧平和公園内にある知覧特攻平和会館脇に立っている特攻隊員の銅像です。悩んだ末にこの写真をブログに掲載することにしました。

知覧平和公園は、特攻隊員が出撃の直前まで合宿・訓練を行っていた基地跡を整備した公園です。この基地が本土最南端であったことから、最後の特攻基地として多くの特攻隊員達が片道だけの燃料を積んで沖縄に出撃していきました。知覧特攻平和会館には、無数の特攻隊員達の遺書と遺影が展示されています。両親への感謝、弟妹への願い、勇ましい覚悟、地獄の閻魔への挑発など様々な若者達の魂の言葉に溢れ、一通として最後まで通して読むことができませんでした。

このような若者達に死を命じた軍・国家幹部の責任は極刑では済みません。そして、日本国民の中に不正や怠慢、横暴が蔓延してしまったのは、このような優秀でまっすぐな多くの男達の遺伝子が失われたからではないかと思いました。相手を思いやる心を失って、やってはならない重要な決断を無責任な気持ちで安易に下してしまう現代人の性根が汚職や不条理の根源であり、彼らの死に報いることは同情や反戦だけではなく彼らが護り礎になろうとしたまっすぐな精神(正義心)を今一度思い起こして我々の心の中に子々孫々持ち続けることであると強く感じました。

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2008年3月21日 (金)

鹿児島旅行記 vol.4

ヨッシーです。二日目は、霧島から北薩地域を南下しました。今日のメインは、何と言っても高千穂峰(標高1,574m)の山頂に突き立てられた「天の逆鉾」の拝観です。強風の中、片道1時間半かけての瓦礫道の難登山でした。

3月21日

鹿児島・発 → 今和泉島津家本邸跡・大竜寺跡・多賀山公園・石橋記念公園・祇園之洲公園(鹿児島) →(薩摩吉田IC~溝辺鹿児島空港IC)→ 西郷公園・嘉例川駅・塩浸温泉・霧島神宮・高千穂河原・高千穂峰(霧島) → 祁答院家住宅・忠元公園・白木神社(大口) → 出水麓武家屋敷群・薩州島津家の墓(出水) → 宗光寺公園(さつま) → 常永寺・薩摩国分寺跡・新田神社(薩摩川内) →(市来IC~鹿児島IC)→ 鹿児島温泉(鹿児島) → 鹿児島・泊

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写真は、高千穂峰山頂の「天の逆鉾」です。天の逆鉾は、伊邪那岐神と伊邪那美神が日本列島を作るのに(国産みに)用いた鉾であり、天津神のシンボルとされる至宝です。

後に天孫族・瓊瓊杵尊(天照大御神の孫)が日本を治めるため高千穂峰に天下った際、天津神の子孫である証として持参しました。この鉾の威光により国家を平定した(大国主命から国を譲り受けた)瓊瓊杵尊は、使命の完遂を天津神に報告するとともに、二度とこの鉾が用いられないよう高千穂峰の山頂に刃を上向きに柄の部分を握れぬよう地中深く埋めたと言われています。

現在の天の逆鉾は偽物ですが、本物は坂本龍馬がこの地を訪れた際に引き抜いたと言われています。天の逆鉾は神宝であるため、誰にでも触れるものではないとヨッシーは考えます。おそらく、坂本龍馬は国家平定のため神宝に選ばれたのではないでしょうか?その後、折れた鉾の刃は島津家に渡って倒幕(天皇政権の復活)を成し遂げた後、行方不明になっていますが、柄の部分は今もこの場所の地中に眠っています。

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2008年3月20日 (木)

鹿児島・宮崎旅行記

ヨッシーです。昨日、熊本で仕事を終えてから鹿児島にやってきました。明日も会社から休みをもらっているので、今週末は鹿児島で連休を満喫します。一日目は、鹿児島湾沿いを大隅半島方面に走ってみました。

3月20日

鹿児島・発 → 福昌寺跡・異人館・磯工芸館・尚古集成館・鶴嶺神社・仙巌園・西郷蘇生の家・三船神社・平松神社(鹿児島) → 隼人塚史跡公園・鹿児島神宮・大隅国分寺跡・舞鶴城跡(霧島) → 腹五社神社・有村溶岩展望所(鹿児島) → 手貫神社(垂水) → 浄福寺(鹿屋) → 高山城跡・二階堂家住宅(肝付) → 大慈寺(志布志) → 神柱宮・早水神社・都城跡(都城) →(末吉財部IC~鹿児島北IC)→ 鹿児島・泊

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写真は、腹五社神社参道の黒神埋没鳥居です。大正3年(1914年)の桜島大噴火の火山灰によって埋没しました。埋没前の鳥居の高さは約3mありました。桜島と大隅半島が現在のように陸続きになったのもこの大噴火によるもので、当時の噴火の凄まじさが良く伝わってきます。

噴火鎮静後には復興活動としてこの鳥居も発掘復元される予定でした。しかし、当時の村長・野添八百蔵が噴火の猛威を後世に伝える貴重なものとして発掘中止を指示し、現在では県の有形文化財に指定されています。

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2007年2月22日 (木)

鹿児島旅行記 vol.3

ヨッシーです。3日目の早朝は、初日(20日)同様、鹿児島中央駅前を散歩しました。初日は夜だったので良く見えなかった場所も、今日は写真に収めることができました。

2月22日

南洲寺 → 西郷隆盛誕生地 → 大久保利通誕生地 → 大久保利通像 → 西郷公園

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写真は、西郷公園内にある西郷隆盛像です。西郷公園は、西郷隆盛が島津斉彬に仕官する前に住んでいた屋敷跡を整備した公園です。あまり有名な観光スポットでないため期待していませんでしたが、西郷隆盛が使用した井戸と、立派な西郷像があったので満足しました。

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2007年2月21日 (水)

鹿児島旅行記 vol.2

ヨッシーです。2日目は、5時起きして早朝に城山に登りました。軽く考えていたら、かなり汗をかいてしまいました。鹿児島は日本の西端に当たるため、日の出が遅く、7時前まで真暗でほとんど見えませんでした。

2月21日

鶴丸城跡 → 私学校跡 → 南洲神社 → 西郷終焉の地 → 西郷洞窟 → 城山公園 → 照国神社 → 西郷隆盛像 → ザビエル公園

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写真は、城山公園の展望広場から見た桜島です。朝もやと、日の昇り初めによる逆光は残念でしたが、朝日を全身に受けて気持ち良く仕事を始めることができました。

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2007年2月20日 (火)

鹿児島旅行記

ヨッシーです。2月20日、出張で鹿児島にやってきました!到着は夜でしたが、限られた時間しかないので早速街中を探検してみました。

写真は諦めていましたが、大久保利通像はライトアップされていたので何とか撮影することができました。

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大久保利通は、不本意にも征韓論で西郷隆盛と意見が対立し、討つ側(新政府軍)になってしまったため鹿児島での印象は良くありません。しかしながら、日本のために私財を投げ打ち、死後に一切財産を残さなかった潔さは西郷隆盛に劣らない私の尊敬する偉人の1人です!

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