2009年9月28日 (月)

静岡旅行記 vol.12

ヨッシーです。出張で、浜松市中区にやってきました。今回も始発の特急しなの号に乗って早めに現地入りして、浜松駅前を散策しました。今回は、駅西部の史跡を巡ってみました。

9月28日

松尾神社 → 金山神社・浜松銀行協会 → 鴨江寺 → 縣居神社・賀茂真淵生誕の地 → 賀茂神社

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写真は、縣居神社の隣にある賀茂真淵生誕の地を整備した公園です。縣居神社は、賀茂真淵を祀っている神社です。

賀茂真淵は、国学四大人(他、荷田春満、本居宣長、平田篤胤)の一人に挙げられる江戸時代を代表する国学者です。国学者とは、江戸幕府の鎖国政策に則って日本古来の思想(神道)を至上とする思想家で、これが後に復古神道となって明治時代に至り廃仏毀釈へとエスカレートしていきます。

国学の基本は、日本人の精神を大切にするというものであって、決して海外の宗教を否定するものではありません。事実、荷田春満は伏見稲荷大社、賀茂真淵は上賀茂神社の社家出身者であったことから神道を尊重したに過ぎません。神道は海外の宗教とは違って宗派を形成せず、長い歴史の中で修験道や仏教などとも融合し発展を遂げてきた世界一懐の深い信仰と言えます。その教えを取り違えて暴走してしまった弟子たちを見て最も悲しんでいるのは彼等かもしれません。

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2009年5月20日 (水)

静岡旅行記 vol.11

ヨッシーです。出張で浜松にやってきました。仕事は午後からでしたが、今回も始発電車に乗って一足早く浜松入りして現地を散策することにしました。昨年(2008年11月19日)に駅前散策は終了していたので、今回は駅から少し離れたところにある中田島砂丘に行ってきました。

中田島砂丘は、浜松駅からバスで南に15分程走った海岸線にあります。全国的にはあまり知られていませんが、鳥取砂丘、吹上浜(鹿児島県)と共に日本三大砂丘の一つに数えられています。

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写真は、中田島砂丘の風紋です。当初は海岸に面した広大な砂丘を撮ろうと思っていましたがこちらの砂丘は平面的で面白みがなく、海から離れた場所の方が返って砂にうねりがあってそこを吹き抜ける風が美しい風紋を描いていました。

中田島砂丘はアカウミガメの産卵場所にもなっていて、産卵した卵を保護するための柵が設けられていました。新型インフルエンザの渦中ということもあってずっとマスクを着用していましたが、ここではマスクを外して思いきり深呼吸することができました。

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2009年3月 7日 (土)

南信・愛知・静岡旅行記

ヨッシーです。冬もいよいよ終盤の三月に入りました。それでもまだ今月一杯は雪が心配なので、旅先は南方が中心です。再来週に三連休があるので、間隔を考えて今週末思い切って旅に出ました。今週末と三連休とで、12年前にヨッシーが住んでいた懐かしい東海エリアを巡ってみようと思います。

今回は、愛知県の三河方面に出かけました。昨年(2008年2月16日訪問)に三州街道から三河に入ったことがあるので、今回は天竜川に沿って下る遠州街道を走ってみました。

3月7日

自宅 →(塩尻IC~飯田IC)→ 松尾鈴岡公園・文永寺・開善寺・旧小笠原家書院・興徳寺(飯田) → 大山田神社(下條) → 八幡神社(阿南) → 鳳来寺(愛知・新城) → 井伊谷宮・龍潭寺・宝林寺・方広寺・摩訶耶寺・浜名惣社神明宮(浜松・北区) → 浜松温泉(浜松・中区) →(浜松西IC~豊川IC)→ 豊川・泊

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写真は、鳳来寺の境内に建てられていた東照宮の本殿です。この東照宮の本殿および拝殿は、江戸初期の芸術的建造物として国の重要文化財に指定されています。

鳳来寺は、大宝2年(702年)に利修仙人が開いた真言宗五智派の本山です。古くから信仰されてきた三河国の古刹であり、徳川家康の母・於大も当寺に祈願して家康を授かったと伝えられています。この縁から家康の死後、当時の将軍・家光が造営を命じ、子の家綱の時代・慶安4年(1657年)にようやく完成したのがこの東照宮です。

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2008年11月19日 (水)

静岡旅行記 vol.10

ヨッシーです。出張で浜松にやってきました。今回も早起きして、仕事前に浜松駅前を散策しました。昨年(5月25日)に巡った「家康の散歩道」の続きです。

11月19日

五社神社 → 普済寺・西来院 → 宗源院 → 秋葉神社

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写真は、西来院の境内にある月窟廟に祀られている瀬名(築山御前)のお墓です。瀬名は、徳川家康の最初の正室で、家康の長男・信康の母親でもあります。

瀬名は、今川義元の重臣・関口親永の娘で、義元の姪という高貴な身分の姫でした。義元は、今川家の人質であった松平元康(徳川家康)の才能を評価して自分の一門に加えるために瀬名と結婚させました。政略結婚でしたが、松平家にとっては願ってもない良家との縁組であり、子の信康も非常に有能な武将で将来を期待されていました。

しかし、今川家が滅亡してからは、織田信長に睨まれて長男共々殺害されてしまいました。瀬名が今川家の縁者であったことと、信康も信長の長男・信忠より優秀であったことに信長が脅威を抱いたためと言われています。信康の廟所は、天竜区の清瀧寺(2月18日訪問)にあります。

自分の無力さ故に妻子を殺さなければならなかった家康の無念さを思うと胸が詰まりました。さらに、この廟所は空襲によって破壊され、現在の墓石はその瓦礫の中から見つけ出してコンクリートで補修したものでした。争いによって墓石まで破壊された瀬名姫には、平和であることが唯一の供養であると感じました。

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2008年9月19日 (金)

静岡旅行記 vol.9

ヨッシーです。出張二日目は、午前中で静岡を後にしました。台風が近づいているにも関わらず、静岡では風雨にも遭わず静かな天気でした。

静岡といえば「魚!」ということで、昨晩は清水魚市場で新鮮な魚をお腹一杯食べてきました。

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写真は、昨晩魚を食べに行った清水魚市場の朝の様子です。清水駅東口のすぐ目の前にあるので、車がなくても歩いて行けます。

清水魚市場は規模こそ大きくはありませんが、「河岸の市」がすぐ隣に設けられていて獲れたての魚を誰でも安価に購入することができます。また、河岸の市の中には20店舗入っていますが、その内6店舗は食堂になっていて新鮮な刺身や海鮮丼を食べることができます。

ヨッシーは河岸の市の二階にある「みなと寿司」でマグロ丼を食べました。丼メニューに250円のセット代金を足すとバイキング形式の惣菜や飲料も食べ放題になります。バイキングの惣菜はまずまずでしたが、主役のマグロ丼は質・量ともに最高でした。

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2008年9月18日 (木)

静岡旅行記 vol.8

ヨッシーです。出張で静岡市清水区にやってきました。今回も朝一番の電車で入静して、時間まで清水港(清水マリンパーク)を歩きました。台風による悪天候で景色は期待外れでしたが、代わりに意外な史跡を発見することができました。

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写真は、清水マリンパークの入口前で見つけた次郎長宅跡の碑です。案内板によると、この地には清水次郎長の船宿・末廣があったとのことでした。

末廣は、ここから約300m程海から離れた港橋(巴川に架かる橋)の袂に復元されていて(6月26日訪問)、すぐ近くには次郎長の生家や菩提寺(梅蔭寺)もありました。そこでてっきり、ヨッシーはここに末廣があったものと勘違いしていました。確かに船宿にしては海から少し離れていると思っていましたが、当時の海岸線はこのすぐそばにあったものと思っていました。しかし、実際には現在の清水港の近くに建てられていたことから、清水港の位置は清水次郎長が活躍した時代から現在までほとんど変わっていないことが分かりました。

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2008年8月19日 (火)

静岡旅行記 vol.7

ヨッシーです。連休も明けたばかりですが、早速出張で富士市にやってきました。昨晩の内に現地に入ったので、今回も早起きしてホテルの近くを散歩してみました。

富士駅前は比較的新しい町なのか、なかなか伝統的建造物にお目にかかることができませんでした。

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写真は、富士四大祭りの一つ・甲子神社祭典の中心となる甲子神社の本殿です。今年の甲子神社祭典は、8月2、3日に実施されました。

甲子神社は、大正15年(1926年)に出雲大社から大黒主命の分霊を移して建立された新しい神社です。これまで、当地には氏神となる神社がなかったらしく、地域住民に望まれて建立された神社であることが分かりました。古来の富士市の中心は吉原地区(7月12日訪問)であり、そちらには名所・旧跡が多数残されています。

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2008年7月13日 (日)

神奈川・静岡・山梨旅行記

ヨッシーです。2日目は、後北条氏の拠点・小田原から箱根、御殿場、富士吉田と富士山東部を走ってみました。道中、富士山を御神体とする浅間神社がたくさんあったのに驚きました。

7月13日

大井・発 → 小田原駅・北条氏政氏照墓所・大乗寺・小田原城址公園・大久寺・海蔵寺・石垣山一夜城歴史公園・紹太寺(小田原) → 早雲寺・阿弥陀寺・東光庵熊野権現旧跡・元箱根石仏群・箱根関所・箱根神社・公時神社(箱根) → 新橋浅間神社(御殿場) → 東口本宮富士浅間神社(小山) → 寿徳寺・平野天満宮・諏訪神社・山中浅間神社(山中湖) → 忍野八海・忍草浅間神社(忍野) → 北口本宮富士浅間神社(富士吉田) → 富士御室浅間神社・河口湖温泉寺・産屋ヶ崎・河口浅間神社(富士河口湖) →(一宮御坂IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、小田原駅西口に立っていた北条早雲の像です。北条早雲は、後北条氏の始祖であり、戦国時代を代表する智将です。

早雲は当初、伊勢新九郎長氏と名乗っており、晩年出家して早雲となりました。伊勢氏から北条氏に改姓したのは息子・氏綱の時代からであり、早雲の時代は北条氏を名乗っていなかったので正確には北条早雲という名前は存在しません(正しくは伊勢早雲です)。氏綱が北条氏に改姓したのは、早雲挙兵の地・韮山が鎌倉幕府の執権・北条氏(前北条氏)発祥の地であったことから、その権威に肖ろうとしたと考えられます。

早雲は元々、駿河国(静岡県)の今川氏の属将で、伊豆国の韮山城の守備を任されていました。専ら守備要員しか与えられていなかったため他国を攻めるだけの兵力はありませんでしたが、農耕用の牛の角に松明を括りつけて夜間に城に攻めかかるという奇策(火牛の計)により小田原城を奪取して戦国大名として独立しました。この像は、このエピソードを元に作成されています。

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2008年7月12日 (土)

山梨・静岡旅行記

ヨッシーです。今週末は、山本勘助のもう一つの出生地・静岡県富士宮市を訪問しました。勘助が歴史の表舞台に出たのは愛知県豊橋市(2月17日訪問)からですが、山本家発祥の地は富士宮市山本です。曽祖父もしくは父の代に豊橋市賀茂町に移ったと言われていますが、この時期の違いから勘助の出生地が二箇所存在しています。

7月12日

自宅 →(塩尻IC~小淵沢IC)→ 小荒間古戦場跡・諏訪神社・山本勘助屋敷・鎧堂観音(北杜) → 宗泉院(韮崎) → 古長禅寺(南アルプス) → 西山本門寺(芝川) → 代信寺(富士宮) → 医王寺・永明禅寺・鎧ヶ渕親水公園(富士) →(沼津IC~大井松田IC)→ 大井・泊

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写真は、西山本門寺の本堂裏に建てられていた織田信長の霊廟(首塚)です。

織田信長は、天正10年(1582年)に本能寺の変で亡くなりましたが、遺体は発見できなかったと言われています。しかし、この西山本門寺の寺伝によると原宗安が本能寺で信長と一緒に自刃した父(胤重)・兄(清安)の首と一緒に信長の首を当寺に持ち帰って葬ったと伝えられています。当時の法主・日順上人は原家の出身であり、これだけの大寺院の本堂裏に霊廟を建ててお祀りしていることから信憑性は高いと考えられます。

信長の首が本能寺から持ち出されていたとすると、顔の分からない(顔の無い)遺体から信長本人であることを判断することは難しく、発見できなかった(断定できなかった)ことも説明がつきます。ヨッシーは何も知らずに西山本門寺を訪問しましたが、知られていない歴史が全国にはたくさん埋もれていることを実感しました。

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2008年6月29日 (日)

静岡旅行記 vol.6

ヨッシーです。静岡旅行2日目は、伊豆半島東部の海岸線を北上しました。当初は、小田原から箱根を抜けるルートを計画していましたが、昼前から雨が激しくなってきたので熱海まで行ったところで富士宮に戻るルートに変更しました。

6月29日

伊東・発 → なぎさ公園・仏現寺・物見塚公園・音無神社・東林寺(伊東) → 起雲閣・海蔵寺(熱海) → 山中城跡公園(三島) →(沼津IC~富士IC)→ 曽我寺(富士) → 北山本門寺・大石寺・妙蓮寺・白糸の滝(富士宮) →(甲府南IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、起雲閣の庭園とそれを取り囲む洋館群の様子です。大正8年(1919年)に海運王・内田信也によって建てられた別荘で、岩崎別荘、住友別荘と並ぶ「熱海の三大別荘」の一つと呼ばれています。現在、岩崎別荘は非公開であり、住友別荘は既にないことから、熱海で唯一拝観することができる大別荘になっています。

起雲閣は、後に鉄道王・根津嘉一郎の手に渡って洋館群が増築され、さらに昭和22年(1947年)には熱海を代表する高級旅館に改装されて多くの文豪・有名人を受け入れてきました。起雲閣の名前は、この旅館時代に名付けられました。

迎賓館を思わせる贅沢な内外装は細部に及び、一つの広大な庭園を取り囲むように建物を配置するという回遊式庭園の技法により、部屋毎に違った景色を楽しむことができるようになっていました。この回遊式庭園の技法は、江戸時代の大名庭園に多く見られるもので、常に視線が敷地中央の庭園に向けられることで外の景色が視界に入らず、外界とは隔絶された別世界を形成していました。

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2008年6月28日 (土)

静岡旅行記 vol.5

ヨッシーです。今週末は、このまま静岡に残って静岡東部(伊豆方面)を散策することにしました。2月18日の静岡旅行の続きになります。源頼朝と曽我兄弟に関する史跡を中心に巡ってみました。

6月28日

清水・発 →(富士IC~沼津IC)→ 三嶋大社(三島) → 成願寺・江川邸・本立寺・香山寺・城池親水公園・蛭ヶ島・韮山反射炉・成福寺・光照寺・願成就院・守山八幡宮・真珠院(伊豆の国) →(修善寺有料道路)→ 指月殿・修禅寺・源範頼の墓・天城山隧道(伊豆) → 慈眼院・河津八幡神社(河津) → 稲田寺・宝福寺・下田八幡神社・大安寺・泰平寺・了仙寺・長楽寺・安直楼・下田公園(下田) → 蓮着寺・東海館・伊東温泉(伊東) → 伊東・泊

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写真は、下田街道最大の難所・天城峠に建設された天城山隧道(旧天城トンネル)です。

明治37年(1904年)に完成した切石積造りのトンネルで、川端康成の「伊豆の踊子」や松本清張の「天城越え」にも登場することで有名です。国内最長(445m)の石造道路隧道であり、技術的にも優れた土木建造物であることから、平成13年に道路隧道として初めて国の重要文化財に指定されました。

トンネルの中を歩いてみましたが、古さを感じさせない重厚な造りで、まだまだ現役で使用できる立派なトンネルでした。東京都内の地下鉄の内壁と同様に、明治から昭和初期に建設された土木建造物には一世紀以上保つと言われているものが多く、勤勉な日本人のイメージを全世界に広めた先人達の丁寧な仕事振りに感心させられます。自分も彼らの子孫として決して手を抜かず、後世に残せるような仕事をしていきたいと思いました。

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2008年6月27日 (金)

静岡旅行記 vol.4

ヨッシーです。静岡出張2日目は、早起きして仕事前に駅まで歩いてみました。途中に大きな鳥居があったのでそのまま鳥居を潜って参道を進むと静かな森林に囲まれた神社がありました。

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写真は、清水区興津にある宗像神社の拝殿です。

宗像神社は、福岡県にある宗像大社を勧請したもので、祭神は宗像三女神(奥津島比売命、市寸島比売命、多岐都比売命)です。宗像三女神は海の道を司る海洋神であることから、港町・興津でも信仰されるようになったと考えられます。

灯台がなかった時代の漁師たちは、この森林が女神たちの住む母なる森であることから「女体の森」と呼んで海上からの目印としていました。また、「興津」の語源が宗像三女神の長女・奥津島比売命の「奥津」に由来することから、当神社は興津の町が形成される以前から当地域に鎮座していて、ここを中心に発展していったことが分かります。

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2008年6月26日 (木)

静岡旅行記 vol.3

ヨッシーです。出張で静岡市清水区にやってきました。久しぶりの静岡だったので、一番早い電車で入静して懐かしい街並みを散策しました。平成の大合併によって清水市から静岡市清水区になったからか駅が新しくきれいになっていたのにビックリしました。

6月26日

梅蔭禅寺・次郎長生家・末廣・壮士の墓 → 小芝八幡宮

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写真は、梅蔭禅寺の境内にあった清水次郎長の像です。これまでに色々な偉人像を見てきましたが、とてもリアルで貫禄が肌に伝わってくる見事な出来栄えでした。

清水次郎長とは任侠の清水一家の家長の呼称で、正統として五代目まで継承されました。しかしながら、一般的に清水次郎長と言えば初代次郎長・山本長五郎のことを指します。山本長五郎は、幼少時に義父・山本次郎八の養子になったため、「次郎八のところの長五郎」ということで次郎長とあだ名されました。長じて人望の篤かった次郎長は、この清水の地で清水一家を立ち上げて「清水の次郎長」と呼ばれるようになりました。

次郎長の任侠の名を全国に知らしめたのは、幕末の咸臨丸事件と言えます。江戸城の無血開城後も新政府軍に抵抗の姿勢を示していた旧幕府海軍は北海道を目指しましたが、咸臨丸だけが暴風雨で操舵不能になり清水港に漂着しました。新政府軍はその咸臨丸を追跡して乗組員を皆殺しにして清水港に放置しましたが、新政府軍を恐れずにその遺体を懇ろに葬った(壮士の墓)のが次郎長でした。その勇気と正義感に真の男というものを再認識させられました。

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2008年2月18日 (月)

静岡旅行記 vol.2

ヨッシーです。車中泊の旅も今日で最終日です。予定コースもかなりの距離を残していたのでペースを上げて廻ろうと思っていましたが、静岡市は学生時代に住んでいた懐かしい場所だったので、結局ここで時間を使いきってしまいました。

2月18日

天竜・発 → 二俣城址・清瀧寺(浜松・天竜区) → 小國神社・大洞院(森) → 可睡斎・油山寺・尊永寺(袋井) → 掛川公園(掛川) →(掛川IC~静岡IC)→ 駿府公園・静岡浅間神社・臨済寺(静岡・葵区) → 登呂遺跡・久能山東照宮(静岡・駿河区) → 梅蔭禅寺・次郎長生家(静岡・清水区) → 小池邸・由比宿(由比) →(増穂IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、久能山東照宮の神廟です。神廟は、東照大権現(徳川家康)が葬られたお墓です。

東照宮は家康を祀っている神社なので、江戸時代に幕府への忠誠の証として全国に建立されました。しかし、たくさんある東照宮の中でも神廟がある東照宮は、久能山と日光山だけです。それは、実際に家康が葬られた東照宮がこの二山だけであるためで、いわゆる菩提寺の代わりと言えます。

家康は、他の将軍のように寺院には葬られなかったため、法名がありません。これは、仏教形式ではなく神道形式で葬られたためで、神名が東照大権現となります。死後、幕府は創設者である家康を神格化させるため、吉田神道によって一度久能山に祀られました。しかし、三代将軍・家光の時代にその偉大な力を江戸(東京)の守護(鬼門の守り)とするために日光山に遷座させました。

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2008年2月17日 (日)

愛知・静岡旅行記

ヨッシーです。二日目は愛知から静岡に入りました。週末は好天という予報でしたが、砥鹿神社では大粒の雹に見舞われ、本興寺では猛吹雪に遭いました。暖かいはずの静岡旅行でしたが、車中泊にはカイロが手放せませんでした。

2月17日

新城・発 → 長篠の役戦場跡(新城) → 砥鹿神社(豊川) → 本願寺・賀茂神社(豊橋) → 三明寺・豊川稲荷・光明寺・大聖寺・八幡社・長谷寺・牧野成定公廟・善光庵・牛久保城跡(豊川) → 吉田神社・豊橋公園・豊橋公会堂・豊橋ハリストス正教会・豊橋神明社・龍拈寺・臨済寺(豊橋) → 本興寺(湖西) → 新居関跡(新居) → 舘山寺(浜松・西区) → 太刀洗の池・西来院(浜松・中区) → 浜北温泉(浜松・浜北区) → 天竜・泊

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写真は、豊橋市の本願寺近くに建てられていた山本晴幸生誕地の碑です。山本晴幸とは、武田信玄の軍師・山本勘助の正式な名前です。

山本勘助の生誕地は、ここの他に隣の豊川市、静岡県の富士宮市にもあります。 しかし一般的には、富士宮市は祖先の発祥地であり、曽祖父または父の代に豊橋市に移り住み、ここで勘助は誕生したと考えられています。豊川市は、勘助が10代の時に養子に出された場所であり、すなわち育った場所と考えられています。

明日は、何とか富士宮市にある山本家発祥の地まで辿り着きたいと思っています。

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2007年5月25日 (金)

静岡旅行記

ヨッシーです。出張で浜松にやってきました。今日は生憎の雨天でしたが、どうにか浜松城に登ってきました。

5月25日

浜松八幡宮 → 椿姫観音 → 徳川秀忠産湯の井戸 → 東照宮 → 浜松城

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写真は、昭和33年に再建された浜松城の天守閣です。天守閣自体は新しいものですが、天守台の石組みは野面積みと呼ばれるもので築城当時の面影を残しています。

浜松には、「家康の散歩道」と呼ばれる観光ルートが設定されていて、今回はそのルートに従って浜松城まで歩いてみました。しかし、大雨で足元は悪くてペースが上がらず、傘をさしても頭以外はずぶ濡れになってしまいました。不完全燃焼なので、天候の良い日に再度訪問したいと思います。

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