2009年12月23日 (水)

静岡・山梨旅行記

ヨッシーです。今日は、天皇陛下の誕生日です。そして、ヨッシーウェブログもこの投稿で節目の300回目となりました。更に今日は、今年最後の高速道路1,000円の日でもあります。昨日、一昨日と僅かに廻りきれなかった静岡が心残りで悩んでいましたが、昨晩日帰りで訪問することに決心しました。「鉄は熱いうちに打て」、「今年の悔いを来年に残さない」という意気込みで臨みました。

12月23日

自宅 →(塩尻IC~増穂IC)→ 草薙神社・龍華寺・鉄舟寺・薩埵峠・霊泉寺・龍津寺・酒瓶神社・小島陣屋跡(静岡・清水区) → 最恩寺・本郷寺・円蔵院(南部) → 本遠寺・門西家住宅(身延) → 安藤家住宅(南アルプス) → 大福寺・シルクの里公園(中央) → 長谷寺(南アルプス) → 光明寺(韮崎) → 正覚寺・八代家住宅(北杜) → 韮崎温泉(韮崎) →(須玉IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、皆様ご存知の日本一の山・富士山です。静岡旅行最後の一枚に相応しく最高の天気にも恵まれました。

この富士山を撮影した場所は、薩埵峠です。薩埵峠は、日本の割れ目(フォッサマグナ)と呼ばれる富士川・糸魚川構造線と日本一深い海と言われる駿河湾が交わる場所にあります。即ち、海底部分も含めると日本一高低差のある日本の断崖ともいえる場所にあって、この峠の真下にある幅僅か100mの平地に日本の大動脈と言われる国道1号線、東名高速道路、JR東海道本線、東海道新幹線が走っています。このことから、東海地震などの天変地異が起こった場合のワンシーンによく用いられています。

一方、この特殊な地形はみかん栽培の最適地にもなっています。薩埵峠の真南には広い駿河湾が広がっているため日光を遮るものがなく、県下有数の日照時間を誇ります。また、海から吹き上がる強い潮風により昼夜の寒暖差が激しいため、糖度の高いみかんが出来るということです(地元のみかん農家談)。自然災害のリスクと自然の恵みが背中合わせの地・静岡にいると、良くも悪くも自然の全てを受け入れたくなるような大らかな気分になりました。

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2009年12月20日 (日)

静岡旅行記 vol.16

ヨッシーです。二日目は、富士市まで西進した後、高速道路で一気に静岡市内に移動して北街道から南下して日本平の南海岸を走りました。静岡市内は移動距離が短かくても見所も多かったため、北街道沿いを除いた清水区内の史跡が残ってしまいました。しかし、清水区は信州から比較的近いエリアなので近いうちに訪問したいと思います。

これだけ多くの史跡がありながら、学生時代にはそのほとんどを認識していませんでした。懐かしさの中に新たな発見も得られた面白い旅でした。

12月20日

伊豆の国・発 → 乗運寺・首塚・妙伝寺・大中寺・松蔭寺・興国寺城跡(沼津) → 竹採公園・善得寺公園・広見公園(富士) →(富士IC~清水IC)→ 高源寺・霊山寺・梶原堂(静岡・清水区) → 瑞龍寺・宝台院・珠賀美神社・宝泰寺・華陽院・浮月楼・清水寺・蓮永寺・龍雲寺・菩提樹院(静岡・葵区) → 片山廃寺跡・石蔵院・宝台院別院(静岡・駿河区) → 河岸の市(静岡・清水区) →(増穂IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、静岡大学のすぐ下にある片山廃寺跡です。ここからは、巨大な金堂跡および講堂跡、僧房跡が発見され、その礎石群が遺跡として保存されています。学生時代にこの遺跡の存在は知っていましたが、訪問したのは今回が初めてです。

片山廃寺跡の礎石から推測される建造年代は、奈良時代後期と考えられます。奈良時代に建造された巨大寺院といえば、聖武天皇が天平13年(741年)に全国に建造させた国分寺が有名です。そして現在、駿河国ではまだ国分寺跡が発見されておらず、この片山廃寺がそれではないかと考えられています。近畿圏以東で奈良時代にこれだけの巨大寺院が建てられるとすれば国家事業(国分寺)以外に考えられないからです。

片山廃寺の国分寺説に異を唱える意見の一つとしては、塔の礎石が発見されていないという理由があります。日本全国の国分寺の基本的な伽藍の配置はほぼ同様であるのに対して、片山廃寺のそれは異なっています。しかし一方、葵区の菩提樹院には国分寺の塔心礎と伝わる巨大な穴の開いた巨石が伝わっており、国分寺の遺構の一部は既に失われている可能性も否定できません。片山廃寺は、古代の巨大集落跡である登呂遺跡にも近いことから、地理的にも国分寺跡である可能性が高いと考えられます。

帰りにJR清水駅前にある「河岸の市」で少し早い夕食を食べました。前回(2008.9.19訪問)行列が出来ていて食べられなかった「おがわ」でお刺身定食を食べました。角煮のように巨大な鮪の切り身が口の中でとろける食感が最高でした。

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2009年12月19日 (土)

静岡旅行記 vol.15

ヨッシーです。今週末も再び静岡にやってきました。高速道路が1,000円で利用できる今年最後の週末なので、この特典を利用しての訪問です。

先週は県内を西(浜松方面)から中央(静岡市内)に向かって進みましたが、今週は二週連続ということで帰りを考えて先週の続きからではなく逆に県内を東(伊豆方面)から中央に向かって進むことにしました。伊豆半島の中東部は昨年(2008.6.28)訪問済みなので、今回は西部を走りました。

12月19日

自宅 →(塩尻IC~須走IC)→ 豊門公園(小山) → 仙年寺・葛山館址・中央公園・定輪寺・佐野原神社(裾野) → 一柳直末公首塚(長泉) → 伊豆国分寺・妙法華寺(三島) → 宗時神社・慶音寺(函南) → 北條寺・光照寺・伝堀越御所跡・信光寺・最明寺(伊豆の国) → 安田屋旅館・松城家住宅・御浜崎(沼津) → 伊那上神社・伊那下神社・浄泉寺・中瀬邸・浄感寺・伊豆文邸・岩科学校(松崎) → 伊豆天城湯ヶ島温泉(伊豆) → 伊豆の国・泊

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写真は、明治期より松崎町の初等教育を支えてきた岩科学校です。明治13年(1880年)に建てられた国内初期の洋風建築であり、国の重要文化財に指定されています。

洋風建築でありながら、建物の下部には松崎の町並みの特徴である「なまこ壁」のデザインが取り入れられています。なまこ壁は、黒い平瓦を貼り付けて目地(継ぎ目)部分を漆喰で盛り固めたもので、一般的な漆喰壁よりも耐火性能に優れています。そのためか、現在も松崎町の町中にはなまこ壁の建物が多数残っていて、黒と白の格子模様に囲まれた町並みにはビクともしない堅牢な雰囲気が漂っていました。

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2009年12月13日 (日)

静岡旅行記 vol.14

ヨッシーです。二日目は、掛川から静岡市までの間の史跡を巡りました。中でも島田市はヨッシーの母方の出身地でもあったので、特に重点的に廻りました。

昨日の遅れが響いて、静岡市に入ったところで日没を迎えてしまいました。年内に静岡県内を一巡しておきたいところですが、月末の26・27日は高速道路が1,000円にならないので、来週末も静岡に遠征したいと思います。

12月13日

掛川・発 → 事任八幡宮・龍華院・大日本報徳社・掛川公園・天然寺(掛川) → 応声教院・黒田家住宅・正林寺(菊川) → 相良史料館・平田寺・大鐘家住宅(牧之原) → 能満寺山公園(吉田) → 八幡神社・全仲寺・慶寿寺・天徳寺・智満寺(島田) → 長慶寺・大慶寺・飽波神社・蓮生寺・田中城下屋敷(藤枝) → 林叟寺(焼津) → 万松院(藤枝) → 誓願寺(静岡・駿河区) → 増善寺(静岡・葵区) →(増穂IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、八幡神社の境内に建立されていた義人碑です。この義人の名前は、増田五郎右衛門といいます。

増田五郎右衛門は、文政13年(1830年)に日本を襲った台風の被害に起因する大凶作により年貢を納められなくなった農民を結集して田中藩(藤枝市)に年貢の減免を訴えた人物です。結果、この訴えは聞き入れられましたが、交換条件として混乱の首謀者は斬首されることになりました。五郎右衛門は、皆が救われるのならばと自ら自首したと言われています。

この義人碑は、戦後にGHQが増田五郎右衛門の行動は民主主義の手本になるものだとして顕彰し、五郎祭りが行われている八幡神社に建立したものです。また、八幡神社の近くにある全仲寺にも、新しく五郎右衛門のお墓が建てられました。

同様の義人伝は、江戸時代に多く伝えられています。そこで敢えてこの義人伝を調査したのは、増田五郎右衛門がヨッシーの祖先であるかもしれないからです。確証は得られませんでしたが、ヨッシーも五郎右衛門のような正義を貫ける人物でありたいと心に誓いました。

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2009年12月12日 (土)

静岡旅行記 vol.13

ヨッシーです。今年最後の旅の目的地は、静岡に決定しました。静岡はヨッシーの学生時代の思い出の地であり、母方の出身地でもある縁深い場所です。そして何よりも暖かくて魚が美味しい!昨年2月(2008.2.18)以来の本格的な散策に力が入りました。

静岡への進入ルートには、現在建設中の三遠南信自動車道を利用しました。この道は自動車専用道路で良かったのですが天龍峡までしか完成しておらず、ここから先は県道1号(天竜川沿い)を下りました。ところがこの道の途中が崖崩れで通行止めになっていて、結局大きく山道を迂回することになって飯田から浜松まで移動するのに4時間もかかってしまいました。

12月12日

自宅 →(塩尻IC~飯田山本IC)→ 秋葉神社上社・秋葉神社下社・瑞雲院(浜松・天竜区) → 明善記念館・妙恩寺(浜松・東区) → 龍泉寺(浜松・南区) → 国分寺・府八幡宮・旧赤松家記念館・旧見付学校・淡海国玉神社・矢奈比売天神社(磐田) → 富士浅間宮(袋井) → 撰要寺・横須賀城跡・吉岡弥生記念館・掛川つま恋温泉(掛川) → 掛川・泊

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写真は、矢奈比売天神社の大鳥居の脇に立てられていた霊犬・悉平太郎(早太郎)の像です。この神社には、次のような伝説があります。

鎌倉時代(正和年間)、当地(旧見付村)には怪物が住んでいて人身御供を行う風習がありました。しかし、ある時この怪物は油断をしてつい「信濃国の悉平太郎だけは敵わない」と口にしてしまいました。それを聞いた見付天神社(矢奈比売天神社)の一実坊は、村人を救うため信濃国に悉平太郎という人物を探す旅に出ました。

その頃、信濃国駒ヶ根の光前寺(2006.9.17訪問)に山犬の仔が誕生しました。風のように素早い身のこなしから早太郎と名付けられました。一方、悉平太郎が見つからず途方に暮れていた一実坊は、偶然立ち寄った光前寺で早太郎と出会いました。その疾風のような山犬を見てこの犬こそ悉平太郎であると確信した一実坊は、光前寺に頼んで早太郎を借り受けて帰郷しました。

到着するや早太郎は、臆することなく巨大な怪物に飛び掛っていきました。その戦いの凄まじさに立ち会う者は誰一人おらず、戦いの後に残されていたのは怪物(巨大ヒヒ)の亡骸だけでした。戦いで深手を負った早太郎は、恩を受けることもなく一人故郷・光前寺に辿り着くと静かに息を引き取りました。現在、光前寺には早太郎の墓があり、矢奈比売天神社の境内には悉平太郎を祀る霊犬神社があります。

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2009年9月28日 (月)

静岡旅行記 vol.12

ヨッシーです。出張で、浜松市中区にやってきました。今回も始発の特急しなの号に乗って早めに現地入りして、浜松駅前を散策しました。今回は、駅西部の史跡を巡ってみました。

9月28日

松尾神社 → 金山神社・浜松銀行協会 → 鴨江寺 → 縣居神社・賀茂真淵生誕の地 → 賀茂神社

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写真は、縣居神社の隣にある賀茂真淵生誕の地を整備した公園です。縣居神社は、賀茂真淵を祀っている神社です。

賀茂真淵は、国学四大人(他、荷田春満、本居宣長、平田篤胤)の一人に挙げられる江戸時代を代表する国学者です。国学者とは、江戸幕府の鎖国政策に則って日本古来の思想(神道)を至上とする思想家で、これが後に復古神道となって明治時代に至り廃仏毀釈へとエスカレートしていきます。

国学の基本は、日本人の精神を大切にするというものであって、決して海外の宗教を否定するものではありません。事実、荷田春満は伏見稲荷大社、賀茂真淵は上賀茂神社の社家出身者であったことから神道を尊重したに過ぎません。神道は海外の宗教とは違って宗派を形成せず、長い歴史の中で修験道や仏教などとも融合し発展を遂げてきた世界一懐の深い信仰と言えます。その教えを取り違えて暴走してしまった弟子たちを見て最も悲しんでいるのは彼等かもしれません。

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2009年5月20日 (水)

静岡旅行記 vol.11

ヨッシーです。出張で浜松にやってきました。仕事は午後からでしたが、今回も始発電車に乗って一足早く浜松入りして現地を散策することにしました。昨年(2008.11.19)に駅前散策は終了していたので、今回は駅から少し離れたところにある中田島砂丘に行ってきました。

中田島砂丘は、浜松駅からバスで南に15分程走った海岸線にあります。全国的にはあまり知られていませんが、鳥取砂丘、吹上浜(鹿児島県)と共に日本三大砂丘の一つに数えられています。

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写真は、中田島砂丘の風紋です。当初は海岸に面した広大な砂丘を撮ろうと思っていましたがこちらの砂丘は平面的で面白みがなく、海から離れた場所の方が返って砂にうねりがあってそこを吹き抜ける風が美しい風紋を描いていました。

中田島砂丘はアカウミガメの産卵場所にもなっていて、産卵した卵を保護するための柵が設けられていました。新型インフルエンザの渦中ということもあってずっとマスクを着用していましたが、ここではマスクを外して思いきり深呼吸することができました。

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2009年3月 7日 (土)

南信・愛知・静岡旅行記

ヨッシーです。冬もいよいよ終盤の三月に入りました。それでもまだ今月一杯は雪が心配なので、旅先は南方が中心です。再来週に三連休があるので、間隔を考えて今週末思い切って旅に出ました。今週末と三連休とで、12年前にヨッシーが住んでいた懐かしい東海エリアを巡ってみようと思います。

今回は、愛知県の三河方面に出かけました。昨年(2008.2.16訪問)に三州街道から三河に入ったことがあるので、今回は天竜川に沿って下る遠州街道を走ってみました。

3月7日

自宅 →(塩尻IC~飯田IC)→ 松尾鈴岡公園・文永寺・開善寺・旧小笠原家書院・興徳寺(飯田) → 大山田神社(下條) → 八幡神社(阿南) → 鳳来寺(愛知・新城) → 井伊谷宮・龍潭寺・宝林寺・方広寺・摩訶耶寺・浜名惣社神明宮(浜松・北区) → 浜松温泉(浜松・中区) →(浜松西IC~豊川IC)→ 豊川・泊

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写真は、鳳来寺の境内に建てられていた東照宮の本殿です。この東照宮の本殿および拝殿は、江戸初期の芸術的建造物として国の重要文化財に指定されています。

鳳来寺は、大宝2年(702年)に利修仙人が開いた真言宗五智派の本山です。古くから信仰されてきた三河国の古刹であり、徳川家康の母・於大も当寺に祈願して家康を授かったと伝えられています。この縁から家康の死後、当時の将軍・家光が造営を命じ、子の家綱の時代・慶安4年(1657年)にようやく完成したのがこの東照宮です。

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2008年11月19日 (水)

静岡旅行記 vol.10

ヨッシーです。出張で浜松にやってきました。今回も早起きして、仕事前に浜松駅前を散策しました。昨年(5月25日)に巡った「家康の散歩道」の続きです。

11月19日

五社神社 → 普済寺・西来院 → 宗源院 → 秋葉神社

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写真は、西来院の境内にある月窟廟に祀られている瀬名(築山御前)のお墓です。瀬名は、徳川家康の最初の正室で、家康の長男・信康の母親でもあります。

瀬名は、今川義元の重臣・関口親永の娘で、義元の姪という高貴な身分の姫でした。義元は、今川家の人質であった松平元康(徳川家康)の才能を評価して自分の一門に加えるために瀬名と結婚させました。政略結婚でしたが、松平家にとっては願ってもない良家との縁組であり、子の信康も非常に有能な武将で将来を期待されていました。

しかし、今川家が滅亡してからは、織田信長に睨まれて長男共々殺害されてしまいました。瀬名が今川家の縁者であったことと、信康も信長の長男・信忠より優秀であったことに信長が脅威を抱いたためと言われています。信康の廟所は、天竜区の清瀧寺(2月18日訪問)にあります。

自分の無力さ故に妻子を殺さなければならなかった家康の無念さを思うと胸が詰まりました。さらに、この廟所は空襲によって破壊され、現在の墓石はその瓦礫の中から見つけ出してコンクリートで補修したものでした。争いによって墓石まで破壊された瀬名姫には、平和であることが唯一の供養であると感じました。

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2008年9月19日 (金)

静岡旅行記 vol.9

ヨッシーです。出張二日目は、午前中で静岡を後にしました。台風が近づいているにも関わらず、静岡では風雨にも遭わず静かな天気でした。

静岡といえば「魚!」ということで、昨晩は清水魚市場で新鮮な魚をお腹一杯食べてきました。

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写真は、昨晩魚を食べに行った清水魚市場の朝の様子です。清水駅東口のすぐ目の前にあるので、車がなくても歩いて行けます。

清水魚市場は規模こそ大きくはありませんが、「河岸の市」がすぐ隣に設けられていて獲れたての魚を誰でも安価に購入することができます。また、河岸の市の中には20店舗入っていますが、その内6店舗は食堂になっていて新鮮な刺身や海鮮丼を食べることができます。

ヨッシーは河岸の市の二階にある「みなと寿司」でマグロ丼を食べました。丼メニューに250円のセット代金を足すとバイキング形式の惣菜や飲料も食べ放題になります。バイキングの惣菜はまずまずでしたが、主役のマグロ丼は質・量ともに最高でした。

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