2009年6月 3日 (水)

愛知旅行記 vol.10

ヨッシーです。出張で豊橋にやってきました。今回も仕事は午後からでしたが、始発電車で現地入りして仕事前に駅前の史跡を散策しました。豊橋駅前の散策は二回目(2008年2月17日以来)なので、今回は吉田三ヶ寺を中心に巡りました。

6月3日

神宮寺・悟真寺 → 吉田神社 → 豊橋公園・豊橋神明社・豊橋ハリストス正教会・豊橋市公会堂 → 龍拈寺

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写真は、豊橋ハリストス正教会の聖使徒福音者馬太聖堂です。大正2年(1913年)に河村伊蔵が京都ハリストス正教会をモデルに建築した県内最古の木造教会であり、国の重要文化財に指定されています。

日本ハリストス正教会の建造物としては、ニコライ堂(2008年5月21日訪問)、函館ハリストス正教会に次いで3番目の国の重要文化財です。昨年2月に訪問した時はまだ県の有形文化財だったので、まだ国の重要文化財(昨年6月9日指定)になったばかりです。

河村伊蔵は正教会の信者であり、法名をモイセイといいます。その縁からか、函館ハリストス正教会も彼が設計しています。また、彼の息子・内井進もニコライ堂の部分設計に携わり、彼の孫・内井昭蔵も建築家であり正教会の信者(法名ガウリイル)という建築家クリスチャン一家です。

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2009年3月30日 (月)

三重・愛知旅行記

ヨッシーです。今日も会社から休暇をいただいて三重県内を散策しました。本日のメインは全国の神社の総本宮・伊勢神宮です。

伊勢神宮は内宮(皇大神宮:天照大御神)と外宮(豊受大神宮:豊受大御神)からなります。豊受大御神は天照大御神に食事を捧げる神様で、このことから衣食住すなわち産業を司る神様と言われています。面白いことに、内宮に属する建物の千木は全て「女造り」だったのに対して、外宮に属する建物は「男造り」でした。このことは、天照大御神(内宮)が女神であるのに対して、豊受大御神(外宮)は男神であることを表しています(2007.7.16参照)。天照大御神が生命を育む神様であり、豊受大御神が産業(仕事)を司る神様なのも納得です。ヨッシーはこの二柱が夫婦神であると考えています。

外宮の豊受大御神の「豊」とは「豊の国(豊前国、豊後国)」を表しています。そして、豊の国の中心(豊前国と豊後国の境)には耶馬渓(邪馬台国)があります。すなわち、豊受大御神は邪馬台国の大王(卑弥呼の子孫)ではないかと考えています。天孫降臨の候補地も二箇所(宮崎県高千穂峡と鹿児島県高千穂峰)ありますが、前者が豊受大御神の祖先(国津神)、後者が天照大御神の祖先(天津神)の地であると考えると合点がいきます。

邪馬台国(豊の国)は大陸文化を背景に北九州から山陰(出雲)方面へと勢力を拡大し、その勢力は畿内へも到達したと考えられます。一方、南九州(日向)の皇族は邪馬台国の勢力に圧されて瀬戸内海を西へと逃れます(2006.11.12参照)。しかし、既に畿内まで邪馬台国は勢力を伸ばしていたため、海上を東海地方まで逃れてやっと上陸することができました(神武の東征)。邪馬台国ほどではないまでも当時の九州の文化水準は高かったため、ここで尾張氏らを従えて南九州(伊勢)を再興します。そして、邪馬台国の王子(継体天皇)に皇女を娶わせて、この王子を支援して邪馬台国の実権を握ったのではないでしょうか。

以上からすると、豊受大御神は継体天皇かそれ以前の邪馬台国の大王(オオクニヌシ、スサノオなど)となります。また、豊受大御神を継体天皇だとすると天照大御神としている内宮の祭神は実は継体天皇に嫁いだ皇女ということになります。これがヨッシーの考える大和朝廷成立のシナリオです。

3月30日

津・発 → 北畠神社(津) →(勢和多気IC~伊勢西IC)→ 猿田彦神社・月讀宮・おはらい町・伊勢神宮内宮(伊勢) →(伊勢志摩スカイライン)→ 金剛證寺・山上広苑(伊勢) → 常安寺・城山公園・満留山神社・伊射波神社・九鬼岩倉神社(鳥羽) → 伊雑宮(志摩) → 二見興玉神社・倭姫宮・伊勢神宮外宮・月夜見宮・離宮院公園(伊勢) → 田丸城跡(玉城) → 斎宮跡(明和) → 妙楽寺・来迎寺・樹敬寺・松阪公園・松阪神社(松阪) →(松阪IC~刈谷PA)→ 刈谷温泉(刈谷) →(刈谷PA~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、妙楽寺からさらに山を登ったところにある本居宣長のお墓です。松阪城下にある樹敬寺の里墓に対してこちらの墓は奥墓と呼ばれています。

伊勢神宮の話題で長くなってしまいましたので、本居宣長の解説は省略いたします。

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2009年3月22日 (日)

愛知・三重・岐阜旅行記

ヨッシーです。三連休の最終日は、尾張西部を南下しました。今日も朝方は天気が悪く足元が心配でしたが、街中の史跡が多かったためほとんど影響なく散策を楽しむことができました。

3月22日

一宮・発 → 真清田神社・妙興寺(一宮) → 尾張大国霊神社・万徳寺・性海寺・長光寺(稲沢) → 高田寺(北名古屋) → 清洲公園(清須) → 蓮華寺(美和) → 津島神社(津島) → 須成神社(蟹江) →(蟹江IC~桑名東IC)→ 六華苑・浄土寺・七里の渡跡・九華公園・円妙寺・照源寺・多度大社(桑名) → 治水神社(海津) →(大垣IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、六華苑の旧諸戸氏庭園です。庭園奥に見える洋館は、この庭園のかつての所有者であった諸戸清六の旧邸で国の重要文化財に指定されています。

諸戸清六は、父・清九郎から引き継いだ庄屋業を明治維新を機に一気に拡大し、後に三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎とともに新政府軍の御用米の調達に協力したことから大蔵省の御用蔵となり一躍桑名を代表する大長者になった人物です。

六華苑は、諸戸清六の自邸(和館)や蔵、迎賓館(洋館)とその付属庭園を整備したものです。鹿鳴館の設計者であるジョサイア・コンドル設計の洋館(国重文)と回遊式庭園(国名勝)が見所です。

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2009年3月21日 (土)

愛知旅行記 vol.9

ヨッシーです。三連休の2日目は、三河から尾張東北部を廻りました。今日のメインは、名古屋市千種区にある平和公園墓地です。墓参の方で公園付近の道は渋滞し、到着までにかなり時間がかかってしまいました。

3月21日

刈谷・発 →(刈谷PA~豊明IC)→ 高徳院(豊明) → 知立公園(知立) → 楞厳寺・十念寺・亀城公園(刈谷) → 観福寺(東海) → 笠寺観音・富部神社(名古屋・南区) → 興正寺(名古屋・昭和区) → 性高院・平和公園(名古屋・千種区) → 常照寺・長久手古戦場公園(長久手) →(本郷IC~小幡IC)→ 竜泉寺(名古屋・守山区) → 密蔵院(春日井) →(春日井IC~小牧IC)→ 間々観音・小牧山(小牧) → 田縣神社・大縣神社(犬山) → 桂林寺・八剱社(大口) → 曼陀羅寺・松竹温泉(江南) → 一宮・泊

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写真は、平和公園内の建中寺墓地にある徳川宗春のお墓です。

徳川宗春は徳川御三家の筆頭・尾張徳川家の第7代藩主であり、江戸幕府8代将軍吉宗が行った享保の改革に真正面から反論した人物として有名です。吉宗は幕府の赤字財政を立て直すには徹底した倹約しかないとしたのに対して、宗春は行き過ぎた倹約は経済を停滞させるとして町人の娯楽を保護しました。この政策によって名古屋は大いに賑わい、現在の三大都市圏の一つとなる礎を築きました。

これだけの大人物でありながら当時の国家方針(吉宗の改革)に逆らったという理由で、宗春は反対派(吉宗派)重臣のクーデターによって藩主の座から失脚させられてしまいました。そして死後、建中寺に葬られた後も罪は許されず、墓石には金網がかけられていたと言われています。また、太平洋戦争時の空襲によって墓石の右上部分が破損し、痛ましい姿になっていました。

偉人の墓は柵で保護されていたり一段高い場所に作られていたりするのですが、宗春のお墓は丘の影になった一般人墓地の中にあって探すのに苦労しました(地元の人に聞いても誰も場所を知りませんでした)。せめて名古屋の方々には知っておいていただきたい人物です。

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2009年3月20日 (金)

岐阜・愛知旅行記 vol.2

ヨッシーです。今日からいよいよ三連休ということで、3月8日の続きで三河から尾張方面の史跡散策に出かけました。スタート地点の三河までは途中、岐阜西部の史跡に寄り道しながら移動しましたが、昨夜からの豪雨の中での散策開始となりました。

大正村に着いた頃には雨が上がって青空も見える好天となりましたが、依然足元は悪くてペースが上がらず三河エリア内で日没を迎えました。しかしながら、最寄の伊勢湾岸自動車道・刈谷PAにハイウェイオアシス・刈谷温泉「かきつばた」があったのは幸いでした。

3月20日

自宅 →(塩尻IC~恵那IC)→ 乗政寺山・岩村城址・八王子神社・龍護寺・大正ロマン館・万ヶ洞天神神社・遠山家屋敷跡・大正村資料館・大正村役場・千畳敷公園(恵那) → 足助城・足助八幡宮・香嵐渓・香積寺・隣松寺(豊田) → 円福寺・松応寺・大林寺・光善寺・祐伝寺・岡崎市郷土館・若宮八幡宮・法蔵寺(岡崎) → 大乗寺(安城) →(豊田南IC~刈谷PA)→ 刈谷温泉(刈谷) → 刈谷・泊

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写真は、龍護寺の山門脇に建てられていた明智光秀の霊廟です。12年前に訪れた時には霊廟はなくヒビの入った墓石を直接拝見できましたが、現在はきれいな霊廟の中に納められています。

岐阜県恵那市明智は、織田信長を討った明智光秀の出身地です。龍護寺は光秀の従兄弟である遠山利景が建立した遠山家の菩提寺であり、その縁で光秀の墓も建てられています。遠山利景は光秀の叔父である明智光安の次男で、長兄の秀満は本能寺の変、山崎の戦いで光秀に同行しています。

明智光安は、遠山家に入って景行と名乗り明智遠山家を興しています。後に遠山家は江戸幕府の旗本となり、景行の11代後の子孫・景元が有名な江戸北町奉行・遠山金四郎(遠山の金さん)です。春日局はじめ光秀の有縁者が江戸幕府の重職に就いているのには大きな秘密が隠されているように感じずにはいられません。

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2009年3月 8日 (日)

愛知旅行記 vol.8

ヨッシーです。旅行二日目は、いよいよ岡崎にやってきました。岡崎はヨッシーが東海エリアに住んでいた頃に最もよく訪れた徳川家康誕生の地です。12年前と変わらない史跡に、懐かしい当時を思い出しました。

3月8日

豊川・発 → 三河国分寺・八幡宮・三河国分尼寺跡・財賀寺(豊川) → 幡豆神社・金蓮寺(吉良) → 西尾市歴史公園・盛巌寺・久麻久神社(西尾) → 広忠寺・天恩寺・六所神社・岡崎公園・妙源寺・源空寺・随念寺・大泉寺・八柱神社・伊賀八幡宮・大樹寺・滝山寺・信光明寺(岡崎) → 松平郷・松平東照宮・高月院・猿投温泉(豊田) →(豊田藤岡IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、金蓮寺の弥陀堂です。平安時代末期の文治2年(1186年)に源頼朝の命を受けた三河守護・安達盛長が建立した県下最古の建造物で、国宝に指定されています。左右非対称の珍しい仏堂です。

弥陀堂(阿弥陀堂)とは、本尊に阿弥陀如来を奉る仏堂を指します。本来の仏教建築の中心は仏舎利塔(五重塔や三重塔など:仏陀の遺骨を納めた墓塔)であり、仏堂はその塔を崇めるための付属施設でした。しかし、そこに仏像を安置して仏舎利塔の代わりに崇めるようになると、こちらが中心建築(本堂、金堂)となっていきました。

寺勢が大きくなると仏像毎にそれぞれを奉るための仏堂が建てられ、本尊を奉る本堂(金堂)と区別して、釈迦堂(釈迦如来)、薬師堂(薬師如来)、観音堂(観音菩薩)、地蔵堂(地蔵菩薩)などと呼びました。太子堂(聖徳太子)や開山堂(寺院の開祖)などは日本生まれの仏堂です。

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2009年3月 7日 (土)

南信・愛知・静岡旅行記

ヨッシーです。冬もいよいよ終盤の三月に入りました。それでもまだ今月一杯は雪が心配なので、旅先は南方が中心です。再来週に三連休があるので、間隔を考えて今週末思い切って旅に出ました。今週末と三連休とで、12年前にヨッシーが住んでいた懐かしい東海エリアを巡ってみようと思います。

今回は、愛知県の三河方面に出かけました。昨年(2008年2月16日訪問)に三州街道から三河に入ったことがあるので、今回は天竜川に沿って下る遠州街道を走ってみました。

3月7日

自宅 →(塩尻IC~飯田IC)→ 松尾鈴岡公園・文永寺・開善寺・旧小笠原家書院・興徳寺(飯田) → 大山田神社(下條) → 八幡神社(阿南) → 鳳来寺(愛知・新城) → 井伊谷宮・龍潭寺・宝林寺・方広寺・摩訶耶寺・浜名惣社神明宮(浜松・北区) → 浜松温泉(浜松・中区) →(浜松西IC~豊川IC)→ 豊川・泊

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写真は、鳳来寺の境内に建てられていた東照宮の本殿です。この東照宮の本殿および拝殿は、江戸初期の芸術的建造物として国の重要文化財に指定されています。

鳳来寺は、大宝2年(702年)に利修仙人が開いた真言宗五智派の本山です。古くから信仰されてきた三河国の古刹であり、徳川家康の母・於大も当寺に祈願して家康を授かったと伝えられています。この縁から家康の死後、当時の将軍・家光が造営を命じ、子の家綱の時代・慶安4年(1657年)にようやく完成したのがこの東照宮です。

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2008年12月14日 (日)

愛知旅行記 vol.7

ヨッシーです。今週末は、重要歴史建造物の宝庫・明治村に行ってきました。明治村は、百万平方メートルの広大な敷地に63棟の歴史建造物を移築した野外博物館です。

建築家・谷口吉郎と名鉄社長・土川元夫が昭和40年(1965年)に破壊される運命にあった15件の歴史建造物を買い取り、移築・保存に努めたのが明治村の始まりです。現在、内10棟が国の重要文化財の指定を受けていて、名実共に日本最大の歴史建造物テーマパークとなっています。

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写真は、国の重要文化財建造物の1つ・聖ヨハネ教会堂です。京都市下京区に明治40年(1907年)にアメリカ人宣教師・ガーディナーによって建立された代表的ゴシック建造物です。

デザインの美しさも然ることながら、1階部分はレンガ造り、2階部分は木造で、屋根には軽量な銅板を使用することで、地震の多い日本に適応した耐震性に優れた構造になっています。当に用と実を兼ね備えた傑作的建造物と言えます。

今回は、駆け足で全体を巡りましたが、ゆっくりと全体を見物すると5時間以上裕にかかります。3,000円で住民登録すると1年間出入り自由となる制度があるので、お近くの方にはこちらがお勧めです(1日1,600円なので2日行けば得になります)。

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2008年8月 1日 (金)

愛知旅行記 vol.6

ヨッシーです。昨日、出張で名古屋にやってきました。さすがに8月は暑くて早朝散歩も億劫になりそうでしたが、今朝は意外と涼しかったので思い切って散策に出かけてきました。今回は、本山(千種区)付近を歩いてみました。

8月1日

日泰寺 → 城山公園 → 桃厳寺 → 平和公園

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写真は、城山公園の中心に鎮座する城山八幡宮の拝殿です。名前の通り、この神社が建つ場所にはかつて末森城があって、この拝殿付近が本丸になっていました。

末森城は、織田信長の父・信秀が最後に居城とした重要な城跡です。しかし、残念なのは信秀はここを居城としてわずか1年後に死去したため、大きく発展することはありませんでした。また、この城を引き継いだ信長の弟・信行もその9年後に謀反の罪で謀殺され、ついには廃城になってしまいました。

信行は信長(信秀の次男)のすぐ下の弟(三男)で、信秀が死去した当時の織田家中の評判では問題児の信長よりも信行を織田家の後継者として推す重臣たちもいました。その結果、信秀の居城を引き継いだのは後継者の信長ではなく信行となって、後の兄弟争いの一因になりました。結局、信長が勝って信長の居城・那古屋城(現在の名古屋城)が尾張国の中心になりましたが、もし信行が勝っていたら千種区が愛知県の中心になっていたかもしれません。

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2008年6月24日 (火)

愛知旅行記 vol.5

ヨッシーです。昨晩は栄(名古屋市中区)に宿泊したので、早起きしてホテルの周りを2時間程散歩しました。日の出直後は涼しかったのですが、時間とともに気温が上がって良い汗をかいてしまいました。早朝の寺院はほとんどが閉門していたので、ホテルへの帰り(7時頃)に再度立ち寄るとちょうど開門に立ち会うことができました。

6月24日

萬福寺 → 勝鬘寺・白林寺・政秀寺・若宮八幡社 → 洲崎神社 → 朝日神社 → 名古屋テレビ塔

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写真は、久屋大通公園に建っている名古屋テレビ塔です。高さは180mあって、建設当初(昭和29年)は世界一高い塔でした。地上から90mのところに展望台があって、そこへはエレベーターの他に階段でも登ることができます。

ヨッシーは名古屋に3年間住んでいましたが、名古屋テレビ塔には登ったことがありません。いつも眺めつつ、いつかは登ってみたいと思っていましたが、今回も下から眺めるだけでした。展望台からさらに10m階段を登ったところ(地上100m)には展望バルコニーがあるらしいので、いつかそこに立って名古屋の街を見渡してみたいと思います。

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2008年6月23日 (月)

愛知旅行記 vol.4

ヨッシーです。出張で名古屋にやってきました。昨日まで雨が降っていたので今日は蒸し暑くなると思っていましたが、意外にも湿度はなく過ごしやすい一日でした。気候が良く、早めに名古屋に到着したので、仕事前に熱田神宮を訪問しました。

6月23日

誓願寺 → 熱田神宮

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写真は、熱田神宮と国道19号線を挟んで西隣に立っていた誓願寺の山門です。この寺院の建造物自体に特別なものはありませんでしたが、その横に立てられていた碑文「右大将頼朝公誕生舊地」に思わず目を奪われました。

案内板によると、現在の誓願寺の場所には平安時代、熱田神宮の大宮司・藤原季範の屋敷がありました。頼朝の父・義朝の正室は、この季範の娘(由良御前)であり、実家に帰省して頼朝を出産したとのことでした。

愛知県は三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)の誕生地として有名ですが、初代の武家将軍である源頼朝も愛知県生まれであったのに大変驚きました。そして、この事実が地元でもあまり知られておらず、宣伝もされていないことがさらに意外でした。

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2008年5月 8日 (木)

愛知旅行記 vol.3

ヨッシーです。連休が明けて早速ですが、出張で熊本にやってきました。今回は、中部国際空港(セントレア)から熊本入りしました。開港当初は話題の最先端空港だったので大変混雑していましたが、今日は早い便だったためか意外と空いていました。

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写真は、セントレアのスカイデッキから眺めた国内線の発着ゲートの様子です。写真中央に写っている黄色い全日空機(ANA)がヨッシーの乗った熊本便です。

飛行経路は名古屋空港出発便と同様に、琵琶湖と京都の上空を通過するルートでした。そして、このルートは熊本空港着陸前に雄大な阿蘇山を横に眺めることができます。ただ残念なことに今回の熊本は曇り空で、阿蘇山にも深い霧が立ち込めていて良い写真を撮ることが出来ませんでした。熊本空港を利用することは滅多にありませんが、いつか美しい阿蘇山の写真をブログで紹介したいと思います。

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2008年2月17日 (日)

愛知・静岡旅行記

ヨッシーです。二日目は愛知から静岡に入りました。週末は好天という予報でしたが、砥鹿神社では大粒の雹に見舞われ、本興寺では猛吹雪に遭いました。暖かいはずの静岡旅行でしたが、車中泊にはカイロが手放せませんでした。

2月17日

新城・発 → 長篠の役戦場跡(新城) → 砥鹿神社(豊川) → 本願寺・賀茂神社(豊橋) → 三明寺・豊川稲荷・光明寺・大聖寺・八幡社・長谷寺・牧野成定公廟・善光庵・牛久保城跡(豊川) → 吉田神社・豊橋公園・豊橋公会堂・豊橋ハリストス正教会・豊橋神明社・龍拈寺・臨済寺(豊橋) → 本興寺(湖西) → 新居関跡(新居) → 舘山寺(浜松・西区) → 太刀洗の池・西来院(浜松・中区) → 浜北温泉(浜松・浜北区) → 天竜・泊

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写真は、豊橋市の本願寺近くに建てられていた山本晴幸生誕地の碑です。山本晴幸とは、武田信玄の軍師・山本勘助の正式な名前です。

山本勘助の生誕地は、ここの他に隣の豊川市、静岡県の富士宮市にもあります。 しかし一般的には、富士宮市は祖先の発祥地であり、曽祖父または父の代に豊橋市に移り住み、ここで勘助は誕生したと考えられています。豊川市は、勘助が10代の時に養子に出された場所であり、すなわち育った場所と考えられています。

明日は、何とか富士宮市にある山本家発祥の地まで辿り着きたいと思っています。

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2008年2月16日 (土)

南信・愛知旅行記

ヨッシーです。今週末は好天に恵まれるとの予報だったので、月曜日に休暇を取って(三連休にして)今週も旅に出ました。外出が続いているので、今回は車中泊の節約旅行にしました。行き先は車中泊なので暖かい静岡方面です。

2月16日

自宅 → 郷原宿・洗馬宿・本山宿(塩尻) →(伊那IC~飯田IC)→ 大宮諏訪神社・長久寺・長姫神社・福島家(飯田) → 長岳寺・浄久寺・浪合神社(阿智) → 信玄塚(根羽) → 高勝寺(愛知・設楽) → 長篠城跡・大通寺・新昌寺・赤引温泉(愛知・新城) → 新城・泊

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写真は、根羽村横畑にある信玄塚の宝篋印塔です。この地は上洛を目指して進軍中だった武田信玄が病を患って病没し、葬られた場所であると言われています。横畑の地名は、信玄の死を悼んだ武田軍が軍旗を倒した(横旗)ことに由来します。

この宝篋印塔は、江戸時代の信玄没後100年目の遠忌に建立されたものと伝えられています。しかし、形や大きさは室町時代末期の大名墓の特徴を示していることから、実際は信玄没後すぐに建立されたものと考えられます。

信玄の埋葬地については複数の説が存在しますが、それは信玄の死後しばらくは死を秘され、後に今まで生存していたかのように各地で複数の葬儀が執り行われたことによります。信玄の命日と伝えられる旧暦の4月12日は梅雨の始まる現在の5月に当たり、遺体を保存する技術のなかった当時はこの地に埋葬したと考えるのが自然です。

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2008年1月14日 (月)

岐阜・愛知旅行記

ヨッシーです。三連休三日目にしてようやくの休日です。でも明日からまた仕事なので信州に戻りながら道中の史跡を散策することにしました。訪問先は、1月5日の旅行で見落とした史跡が中心です。

1月14日

栗東・発 →(栗東IC~関ヶ原IC)→ 関ヶ原古戦場(関ヶ原) → 竹中陣屋跡・禅幢寺(垂井) →(関ヶ原IC~春日井IC)→ 定光寺(瀬戸) →(多治見IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、竹中陣屋跡前に立てられていた竹中半兵衛重治像です。竹中重治は、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の軍師として有名です。

大河ドラマ・風林火山での山本勘助の活躍で軍師の存在に注目が集まるようになりましたが、戦国時代で最高の軍師といえば間違いなく竹中重治であると思います。羽柴秀吉の立身出世を支えた名案の数々はこの竹中重治の献策によるものです。この活躍は、江戸時代に入ってからも楠木正成の再来と評され、中国の名軍師・諸葛孔明と重ね合わせて紹介される程です。

さらにヨッシーが竹中重治に惹かれるのは、この才能を私利私欲のためには一切使用せず、義のために生きた生き様にあります。主君を諌めるために占領した稲葉山城(現、岐阜城)と引き換えに美濃半国を与えるという織田信長の調略を拒否して城を主君に返却したり、戦国の世に失望して武士を捨て屋敷に篭っているところを軍師として支えて欲しいと何度も懇願してきた羽柴秀吉の誠意に打たれて仕官を決意する潔さなどには自分もかく在りたいと思わずにはいられません。

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2007年8月28日 (火)

愛知旅行記 vol.2

ヨッシーです。昨日、出張で名古屋にやってきました。今回は、早起きして9年前に住んでいた懐かしい中川区の街並みを散歩してきました。

8月28日

荒子駅・荒子観音・富士権現社(名古屋・中川区) →(高畑~伏屋)→ 速念寺(名古屋・中川区) →(伏屋~上前津)→ 萬松寺(名古屋・中区) →(上前津~市役所)→ 名古屋城(名古屋・中区)

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写真は、名古屋城二の丸茶亭内に展示されている純金茶釜(レプリカ)です。

この茶釜の材料になった金は、戦災で残骸になった名古屋城の金鯱です。中央の丸八は名古屋市のシンボルマークであり、名古屋市発足時の尾張八郡に由来するものと言われています。

純金茶釜も良いですが、これを目前にするとやっぱり純金の鯱が見たかったと思ってしまいました。文化財を台無しにしてしまった戦争を憎く思いました。

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2007年5月11日 (金)

愛知旅行記

ヨッシーです。出張の帰りに名古屋に宿泊しましたので、早起きして信長・秀吉ゆかりの寺院を散策しました。早朝は、人混みもなくて清清しく気持ち良いですが、最近の寺院は防犯のため閉門していて中に入れないことが多く残念です。

5月11日

萬松寺・大須観音(名古屋・中区) →(大須観音~中村公園)→ 中村公園・常泉寺・妙行寺(名古屋・中村区)

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写真は、中村公園(豊臣秀吉誕生の地)の西隣にある妙行寺の本堂です。妙行寺は、加藤清正が熊本城を築城する際に自分の誕生地に建立した寺院ですが、この本堂に使用されている材木はその築城で余ったものを運んできたものだと言われています。本堂の左手前には、その材木と一緒に運ばれてきた熊本城の石垣石も置かれていました。

妙行寺の北隣にある常泉寺には、秀吉産湯の井戸も残されており、中村公園を訪問する際には、両寺院にも足を伸ばされることをお勧めいたします。

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