ヨッシーです。今日も会社から休暇をいただいて三重県内を散策しました。本日のメインは全国の神社の総本宮・伊勢神宮です。
伊勢神宮は内宮(皇大神宮:天照大御神)と外宮(豊受大神宮:豊受大御神)からなります。豊受大御神は天照大御神に食事を捧げる神様で、このことから衣食住すなわち産業を司る神様と言われています。面白いことに、内宮に属する建物の千木は全て「女造り」だったのに対して、外宮に属する建物は「男造り」でした。このことは、天照大御神(内宮)が女神であるのに対して、豊受大御神(外宮)は男神であることを表しています(2007.7.16参照)。天照大御神が生命を育む神様であり、豊受大御神が産業(仕事)を司る神様なのも納得です。ヨッシーはこの二柱が夫婦神であると考えています。
外宮の豊受大御神の「豊」とは「豊の国(豊前国、豊後国)」を表しています。そして、豊の国の中心(豊前国と豊後国の境)には耶馬渓(邪馬台国)があります。すなわち、豊受大御神は邪馬台国の大王(卑弥呼の子孫)ではないかと考えています。天孫降臨の候補地も二箇所(宮崎県高千穂峡と鹿児島県高千穂峰)ありますが、前者が豊受大御神の祖先(国津神)、後者が天照大御神の祖先(天津神)の地であると考えると合点がいきます。
邪馬台国(豊の国)は大陸文化を背景に北九州から山陰(出雲)方面へと勢力を拡大し、その勢力は畿内へも到達したと考えられます。一方、南九州(日向)の皇族は邪馬台国の勢力に圧されて瀬戸内海を西へと逃れます(2006.11.12参照)。しかし、既に畿内まで邪馬台国は勢力を伸ばしていたため、海上を東海地方まで逃れてやっと上陸することができました(神武の東征)。邪馬台国ほどではないまでも当時の九州の文化水準は高かったため、ここで尾張氏らを従えて南九州(伊勢)を再興します。そして、邪馬台国の王子(継体天皇)に皇女を娶わせて、この王子を支援して邪馬台国の実権を握ったのではないでしょうか。
以上からすると、豊受大御神は継体天皇かそれ以前の邪馬台国の大王(オオクニヌシ、スサノオなど)となります。また、豊受大御神を継体天皇だとすると天照大御神としている内宮の祭神は実は継体天皇に嫁いだ皇女ということになります。これがヨッシーの考える大和朝廷成立のシナリオです。
3月30日
津・発 → 北畠神社(津) →(勢和多気IC~伊勢西IC)→ 猿田彦神社・月讀宮・おはらい町・伊勢神宮内宮(伊勢) →(伊勢志摩スカイライン)→ 金剛證寺・山上広苑(伊勢) → 常安寺・城山公園・満留山神社・伊射波神社・九鬼岩倉神社(鳥羽) → 伊雑宮(志摩) → 二見興玉神社・倭姫宮・伊勢神宮外宮・月夜見宮・離宮院公園(伊勢) → 田丸城跡(玉城) → 斎宮跡(明和) → 妙楽寺・来迎寺・樹敬寺・松阪公園・松阪神社(松阪) →(松阪IC~刈谷PA)→ 刈谷温泉(刈谷) →(刈谷PA~塩尻IC)→ 自宅
写真は、妙楽寺からさらに山を登ったところにある本居宣長のお墓です。松阪城下にある樹敬寺の里墓に対してこちらの墓は奥墓と呼ばれています。
伊勢神宮の話題で長くなってしまいましたので、本居宣長の解説は省略いたします。
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