2010年10月23日 (土)

北信・中信旅行記 vol.2

ヨッシーです。急に秋も深まって、信州に紅葉の季節がやってきました。そこで今週末からはシーズン中、県内の紅葉スポットを巡ることにしました。

今日は、長野市にある戸隠神社奥社近くの鏡池に行ってきました。紅葉シーズンはマイカーの乗り入れが禁止されているので、中社の駐車場に車を停めてシャトルバス(1日500円)で移動しました。

10月23日

自宅 →(塩尻北IC~長野IC)→ 鏡池・戸隠神社奥社(長野) → 霊松寺(大町) → 安曇野蝶ヶ岳温泉(安曇野) → 自宅

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写真は、鏡池の水面に映った紅葉と戸隠山(標高1,904m)です。標高1,200mの戸隠高原にある鏡池は、風が止むと名前のとおり水面が鏡のように静まり返って山の木々や稜線をくっきりと映し出していました。

鏡池を左手に見ながら約3kmの散策路を進むと戸隠神社奥社の随神門(2008.4.13訪問)に到着します。随神門から奥社本殿に向かう約3kmの参道脇には樹齢400年を超える杉の巨木が立ち並び、こちらの景色も圧巻です。只、こちらの参道の人混みがまるで初詣のような賑わいで、参拝するのに2時間待ちの状態だったのには驚きました。現在、JR東日本のCMで吉永小百合さんが戸隠神社奥社の杉並木を歩いている様子が放映されていますが、このCMの影響だとしても異常な込み具合でした。

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2009年10月11日 (日)

新潟・北信・中信旅行記

ヨッシーです。三連休の二日目は、魚沼から山道を飯山、長野、大町と西進しました。三日かかると想定していた道程でしたが、意外に道が良かったので計画を一日前倒しして帰宅することが出来ました。そんな訳で今日は一日、明日の予定を考えながら移動しました。

10月11日

魚沼・発 → 須原公園・旧佐藤家住宅・西福寺(新潟・魚沼) → 見玉不動尊・見倉橋(新潟・津南) → 秋山郷・とねんぼ(栄) → 飯綱高原・葛山落合神社・松巌寺・白髯神社(長野) → 高山寺(小川) → 旧中村家住宅(大町) → 神明社(白馬) → 有明山社(松川) → 有明山神社・曽根原家住宅・耳塚堂(安曇野) → 自宅

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写真は、松巌寺の境内にある鬼女・紅葉(呉葉)の墓です。紅葉は、鎮守府将軍・源経基(清和天皇の孫)の側室でしたが、京での権力争いに巻き込まれて信州戸隠に追放され、天暦10年(956年)当地で経基の子(経若丸)を出産しました。

経若丸が成長すると、紅葉をはじめ家臣達は上京を志向するようになりました。それを脅威に感じた経基の後の鎮守府将軍・平貞盛は、先手を打って養子の維茂を経若丸(紅葉)討伐に向かわせました。そして、安和2年(969年)抵抗虚しく紅葉等郎党は討ち取られ、乱は鎮圧されました。

維茂が討伐に出発する前、京では紅葉が妖怪変化の鬼女だと噂されていました。しかし、権力争いで已む無く討ち取った紅葉等を不憫に思った維茂は、紅葉の守護仏(地蔵尊)を祀るため地蔵院(松巌寺)を建立しました。そして、鬼女はいなくなったと宣言して地名を鬼無里(きなさ)に改めました。

この話は能の「紅葉狩」のモデルとなり、後に近松門左衛門によって歌舞伎の演目にも取り上げられました。また、紅葉の本当の名前は呉葉でしたが、討たれたのが10月25日(紅葉シーズン)だったため紅葉と呼ばれるようになりました。

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2009年8月30日 (日)

北信旅行記 vol.5

ヨッシーです。今日は、衆議院議員選挙の投票日です。投票用紙を持って早速投票に出かけたのですが、朝7時から投票の受付をしていたのは意外でした。でも、おかげで投票の次いでに遠出する時間を持つことができました。

今回は、飯山線沿線の史跡を巡ることにしました。3年前にも城山公園(飯山城跡)を訪れましたが、今回の目的は小菅神社奥社への参拝です。

8月30日

自宅 →(塩尻北IC~信州中野IC)→ 中野陣屋県庁記念館・高梨小館城跡・佐野神社(中野) → 城山公園・忠恩寺・正受庵・大聖寺・建御名方富命彦神別神社・小菅神社里社・元隆寺・小菅神社奥社(飯山) →(豊田飯山IC~塩尻北IC)→ 自宅

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写真は、小菅神社奥社の本殿です。天文年間(1532~1554年)の建築で、国の重要文化財に指定されています。登山口にある里社から約1.6km山を登った標高900mの岩肌に張り付くように建てられていました。途中、鎖を掴みながら岸壁をよじ登る箇所もあって、予想以上にハードな参拝となりました。

小菅神社は、役小角の創建と伝えられる古刹で、中世には戸隠、飯綱と並ぶ北信濃の三大修験霊場の1つ・元隆寺として大いに発展しました。しかし、戦国時代に信濃に侵攻した武田信玄によって奥社本殿を除く全ての堂塔が焼き払われてしまいました。現在、残っている元隆寺および小菅神社里社の社殿は、江戸時代以降に再建されたものです。小菅神社の社名は、明治2年(1869年)の神仏分離令により元隆寺を神式に改めた呼称であり、現在の元隆寺は末寺である菩提院が引き継いでいます。

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2009年6月21日 (日)

北信旅行記 vol.4

ヨッシーです。本日、ヨッシーの生まれ故郷・さいたま市を経由して信州に帰って来ました。行きは長野自動車道から中央自動車道、圏央道、関越自動車道を通る南回りルートを走りましたが、帰りは関越自動車道から上信越自動車道、長野自動車道を通る北回りルートを走ってみました。若干(30分程)、北回りルートの方が多く時間がかかることが分かったので、今後埼玉に出かける時は南回りルートを走ろうと思います。

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写真は、長野自動車道・姨捨サービスエリアから眺めた善光寺平の様子です。まるで、飛行機から地上を見下ろすようなロケーションは山国・信州ならではの景観です。

この景観は、長野自動車道のすぐ下を走っているJR篠ノ井線・姨捨駅からの眺めが日本三大車窓に選ばれている他、夜には斜面に作られた千枚棚田に映る「田毎の月」が有名です。また、長野県内に5つある国の名勝にも指定されています。

この美しい景色とは裏腹に、当地には姨捨の名前の由来となった棄老伝説があります。貧しかった信州の民が止む終えず行ってきた口減らしに由来する伝説ですが、この物語の結末は棄老した若者がその老母の助言(経験)により救われるという景色と同様の美談になっています。

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2009年4月29日 (水)

北信・東信旅行記

ヨッシーです。いよいよGWがはじまりました。早い方は25日から大型連休というケースもあるようですが、ヨッシーは5月2日から本格的な連休に入ります。そこでGW前半(4月)は後半(5月)の旅に向けての準備期間(日程検討と体調管理)に充てることにしました。

本日は、一日だけの祭日です。GWの中では一番混雑が少ない日(日帰りで外出する方が多い日)と考えて、準備期間ではありましたが善光寺の前立本尊(御開帳)に参拝してきました。御開帳は7年に一度のイベントで5月31日まで行われています。

このイベントの一番のお勧めは「御印文頂戴」です。善光寺は来世にご利益があることで知られていますが、御印文は当に閻魔大王に対して天国行きを証明していただける有難い印です。実際に大盗賊であった石川五右衛門もこの御印文で天国に行ったと言われています。お坊様にお経を唱えながら頭の上に押していただきますが、その印は死後に必要なものなので現世では見えません。

来世ご利益の善光寺に対して、現世にご利益があるのが北向観音(旧長楽寺)です。善光寺が南向きなのに対して北向観音は名前のとおり北(善光寺の方角)を向いていて、現世の不利益を除く厄除け観音として知られています。すぐ隣には別所温泉「大師の湯」もあるので心と体両方の厄を祓うことができます。

4月29日

自宅 →(塩尻北IC~須坂長野東IC)→ 須坂アートパーク・興国寺(須坂) → 善光寺・長国寺・西念寺・矢沢家表門・旧松代藩鐘楼・旧横田家住宅・大英寺・大林寺・蓮乗寺・西楽寺・林正寺(長野) → 長楽寺・水上布奈山神社・智識寺(千曲) → 北向観音・別所温泉・将軍塚(上田) →(平井寺トンネル)→ 法住寺・天竜寺(上田) →(三才山トンネル)→ 自宅

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写真は、真田信政の霊屋を移築したと言われる林正寺の本堂です。

信政は松代藩の二代藩主で、初代藩主で父である信之と同じ真田家の菩提寺・長国寺に葬られています。ただし、信政は信之よりも先に亡くなっていたため、この霊屋は信政の子である三代藩主・幸道が祖父・信之の死後同時に建立されたものであり、形も瓜二つです。

信之の霊屋は国の重要文化財に指定されていますが、信政の霊屋は県宝(県の重要文化財)止まりとなっています。信政の霊屋が国の重要文化財に指定されていないのは林正寺へ移築した際に一部を本堂向きに改造したためと考えられますが、おかげで柵に囲まれて近づくことができない信之の霊屋と違いこちらは間近でその造りを確認することができます。

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2009年2月11日 (水)

北信旅行記 vol.3

ヨッシーです。今日は1日だけの休日なので日帰りで行くことのできるイベントがないか調査したところ、長野市の善光寺で「長野灯明まつり」が行われていることが分かりました。

お祭りは夜からの開始ですが、折角なので暗くなる前に長野入りして善光寺の門前町を散策することにしました。

2月11日

長野駅 → 西光寺・栽松院 → 大国主神社 → 妻科神社 → 十念寺・北野文芸座・往生院・秋葉神社 → 武井神社・西宮神社・藤屋御本陣 → 大本願・世尊院・弥栄神社・常徳院・本覚院 → 大勧進・善光寺・寛慶寺 → 城山公園 → 湯福神社

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写真は、長野市中央通りに飾られた灯明の様子です。長野灯明まつりの中心イベントである「ゆめ灯り絵展」に出展された切り絵140作品を貼り付けた「灯り絵常夜灯」が約1kmに渡って通りの足元を照らしていました。

長野灯明まつりは、今年で6年目の歴史の浅いお祭りです。長野オリンピック記念基金を元に始まった世界平和を祈念するお祭りで、見所はこの「灯り絵常夜灯」とオリンピックの五輪にちなんだ五色にライトアップされた善光寺です。

通りの正面に橙く見えているのは、聖火のイメージでライトアップされた善光寺の仁王門です。この仁王門の先には、三色(赤、青、紫)に照らされた本堂と緑色の経蔵、黄色の鐘楼があります。また、この他にも三門や大勧進、大本願もライトアップされ、宿坊通りは小さな灯りで飾られるなど幻想的な光に包まれていました。

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2008年10月26日 (日)

北信旅行記 vol.2

ヨッシーです。信州で紅葉が見れるのも残り僅かなので、今週末も紅葉を探しに出かけてきました。行き先は、須坂市にある紅葉の名所・米子大瀑布です。

今年から紅葉シーズンの週末はマイカーの乗り入れが禁止になっていて、代わりにシャトルバスが運行されていました。途中には重量規制のある橋があってバスから降りて歩く場面もありましたが、ここの紅葉が最高でした。

10月26日

須坂市遺跡公園 → 湯っ蔵んど →(シャトルバス)→ 米子大瀑布 →(シャトルバス)→ 不動寺 → 普願寺・円光寺・田中本家博物館 → 須坂クラシック美術館 → 須坂温泉

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写真は、米子鉱山跡地から眺めた米子大瀑布の様子です。滝は途中の重量規制がある橋よりもさらに標高の高い場所にあるので、既に紅葉は終わっていました。ですが、滝は期待以上の迫力で大変満足しました。

米子大瀑布は、右側の不動滝(落差85m)と左側の権現滝(落差75m)の総称で、その間には米子不動尊(不動寺奥の院)があります。不動滝へは近づくことが可能で、滝飛沫に当たったり滝行を行うこともできます。

当地は四阿山の噴火によって形成されたカルデラの中にあるので、近年までは硫黄を産出する鉱山がありました。戦時中は火薬の原料としての需要から1,500人が暮らす鉱山都市でしたが、閉山した現在の建物跡地は最高の滝見スポットになっています。

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2008年8月 2日 (土)

北信・中信旅行記

ヨッシーです。今日は、長野県下最大の夏祭り「長野びんずる」に行ってきました。長野市内の企業やお店、学校、病院などが連と呼ばれるグループをエントリーして、善光寺の門前に集まって踊りと衣装の素晴らしさを競う市民参加型のお祭りです。

8月2日

自宅 →(塩尻北IC~須坂長野東IC)→ 善光寺・八幡原史跡公園・松代城跡(長野) →(長野IC~松本IC)→ 浅間温泉(松本) → 自宅

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写真は、長野びんずるの各連代表者が集まった善光寺本堂前の様子です。この後、各連の連長と副連長の2名ずつが本堂の中に入って祭りの成功を祈念しました。

今年でヨッシーの年齢と同じ38回目ということなので、ヨッシーが生まれた年から始まったお祭りということになります。皇極元年(642年)創建の国宝・善光寺で行われるお祭りが、まだ数十年の歴史しかない新しいお祭りだったのはちょっと意外でした。

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2008年7月20日 (日)

北信・新潟旅行記 vol.2

ヨッシーです。三連休の2日目は、前回(7月6日)時間がなくて乗船できなかった野尻湖観光汽船に乗って湖一周のクルージングを楽しんできました。コースには、湖中に浮かぶ琵琶島に上陸する機会もあって、変化のある遊覧に満足しました。

7月20日

自宅 →(塩尻北IC~信濃町IC)→ 野尻湖・野尻湖博物館(信濃) →(妙高高原IC~上越IC)→ 春日山神社・林泉寺・高田公園(新潟・上越) →(上越高田IC~塩尻北IC)→ 自宅

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写真は、野尻湖中に浮かぶ琵琶島(弁天島)です。島の中央に見える鳥居は、島内唯一の史跡・宇賀神社の一の鳥居です。琵琶島に上陸して宇賀神社に参拝してきましたが、この神社の由緒書き等はなく、詳細を知ることは出来ませんでした。ただし、この神社の境内にある宇佐美定行(定満)の墓は有名です。

宇佐美定行は上杉謙信の軍師として有名で、よく武田信玄の軍師・山本勘助と対比されます。しかしながら、この武将が本当に謙信の軍師として働いていたかは疑問で、勘助と同様に実在を疑われた時期もありました。現在は、枇杷島城主・宇佐美定満が軍師・宇佐美定行のモデルとされています。

宇佐美定満は、謙信の叔父・長尾政景が謀反を企てているという情報を得るとその真偽を確かめるため政景を野尻湖に舟遊びに誘い出し、そこで確信を得ると船上で政景に組み付いて共に溺死したと言われています。定満は事前に書き残した謙信宛ての遺書の中で有事には宇佐美家を罰するように進言しており、謙信はその遺言を遂行することで政景の遺臣達の反乱を回避したと言われています。この献身的な活躍が勘助に対抗する名軍師・定行を生んだと考えられます。

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2008年7月 6日 (日)

新潟・北信旅行記

ヨッシーです。2日目は、上越市を中心に上杉謙信の史跡を巡ってみました。上越市は2回目の訪問なので、前回(2006年9月)に行くことの出来なかった場所を優先的に廻りました。早くも来年の大河ドラマ「天地人」の幟が立てられて、「義」や「愛」の文字をあしらったグッズが発売されていたのに驚きました。

7月6日

柏崎・発 → 赤坂山公園・番神堂・胞姫神社・大泉寺(新潟・柏崎) → 米山寺・楞厳寺・古城小学校・御館公園・十念寺・居多神社・国府別院・光源寺・五智国分寺・春日神社・高安寺・本誓寺・榊神社(新潟・上越) → 斐太神社・勝福寺・日吉神社・関山神社・薬師堂・岡倉天心堂・関川関所(新潟・妙高) → 真光寺・野尻湖(信濃) →(信濃町IC~塩尻北IC)→ 自宅

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写真は、楞厳寺の境内に建てられた名僧・天室光育のお墓です。天室光育は、幼き日の上杉謙信(虎千代)の師であり、謙信の人格形成に大きな影響を与えた人物です。

虎千代は、幼いながらも父・為景の跡を継ぐ武将になることを望んでいましたが、粗暴さ故に父から逆に疎まれて寺に入れられて僧になるように命じられました。その寺(林泉寺)の住職を務めていたのが天室光育でした。天室光育は、武将にはできない心の救済を行う僧侶の素晴らしさを虎千代に教えることで、僧としての資質(弱者の救済、正義心)を育てていきました。父の死後、望まれて武将として還俗することになりましたが、戦国武将に稀有な無欲の正義心は当に僧侶そのものと言えます。

ヨッシーが生まれて初めて父から買い与えられた本が上杉謙信の伝記でした。父にとっては新潟出身ということで上杉謙信に特別な思いを持っていたのだと思いますが、子供だったヨッシーにとっても欲や権力に流されない正義心とその強さには強い衝撃を受けました。謙信の心の師・天室光育の墓前で、一生正義を貫くことを誓いました。

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