2010年12月19日 (日)

新潟旅行記 vol.10

ヨッシーです。新潟旅行の最終日は、県西部(上越方面)を西に走りました。昨日は大雪で道中が心配されましたが、平野部にはほとんど雪がなくて天気も良好だったのでペースを上げて何とか計画を完遂することができました。

12月19日

上越・発 → 医王寺・金谷山スキー場・瑞泉寺・旧師団長官舎・田端町・高田世界館・善導寺・常敬寺・天崇寺・東本願寺高田別院・虎御前墓・春日神社・春日山城史跡広場・本願寺国府別院・白山神社・居多神社・五智国分寺・光源寺・明静院(上越) →(名立谷浜IC~親不知IC)→ 親不知記念広場・天険コミュニティロード・親不知ピアパーク・駅前海望公園・相馬御風宅・天津神社(糸魚川) → 自宅

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写真は、明静院の境内にある諏訪神社の祠と岩屋殿です。当地は、諏訪大社の主祭神・建御名方神が誕生した場所であると言われています。

現在の岩屋殿は崩れてしまっていますが、寛延4年(1751年)の大地震に遭うまでは大きな岩窟になっていて、そこで建御名方神の両親神(大国主命と奴奈川姫)が生活していたと伝えられています。また、明静院の山号は岩殿山ですが、かつては神様の住まいを指す「岩戸」山と呼ばれていました。

奴奈川姫は、越国(現在の新潟、富山、福井)を治めていた神様(首領の娘)であり、姫川(糸魚川)で産出される翡翠(宝石)を経済基盤にしていたと考えられています。大国主命が勾玉の原料となる翡翠を求めて越国と婚姻関係を結んだのは想像に難くありません。

建御名方神は、天津神・建御雷神との戦いに敗れて諏訪まで逃れて諏訪大社の主祭神になりました(2010.4.10参照)が、諏訪に逃れたのも偶然ではなくて母方の越国に一旦は落ちたものの越国も天津神に占領されたため姫川に沿って山中に逃れ諏訪の地で降伏したと考えられます。

建御名方神の誕生地が寺院(明静院)になっているのは神仏習合の名残りであり、本堂の右側に上杉謙信のお墓が造られていることからも当地が信仰上特別な場所であったことが分かります。

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2010年12月18日 (土)

新潟旅行記 vol.9

ヨッシーです。今週末は、延期になっていた新潟旅行の続きに出発しました。前回(2010.11.21)から一ヶ月経つと、もう新潟は雪国になっていました。

昨年末は温暖な静岡方面(2009.12.23訪問)を散策していましたが、日本海側の冬は雪道で足元が険しく訪問予定数を普段の半分に減らして臨みました。

12月18日

自宅 →(塩尻北IC~豊田飯山IC)→ 松里小学校(十日町) → 七ツ釜(津南) → 清津峡・神宮寺(十日町) → 専称寺・安田神社・多多神社(柏崎) →(柏崎IC~柿崎IC)→ 浄善寺・浄福寺・長峰温泉(上越) →(柿崎IC~上越高田IC)→ 上越・泊

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写真は、田代の七ツ釜の最上流となる一番滝です。写真が白黒に見えるのは吹雪の中で撮影したためでモノクロ写真ではありません。

七ツ釜は、信濃川の支流・釜川の上流にある7つの滝壺の総称です。この辺りの地層は柱状節理になっていて天然の角ばった岩場の中を流れる垂直落下の滝と淵の連続が神秘的な渓谷美を創り出していました。

この七ツ釜と西戸屋山を挟んですぐ隣にある清津峡は紅葉シーズン(11月下旬頃)の景色が有名ですが、一ヶ月違っただけでこんなに様子が変わってしまうとは予想外でした。

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2010年11月21日 (日)

新潟旅行記 vol.8

ヨッシーです。新潟旅行の2日目は、新潟市南部から柏崎市まで走りました。今日は、昨日からの石油文化遺産に加えて前回(2008.9.15)訪問できなかった良寛の史跡を巡りました。

11月21日

秋葉・発 → 石油の里公園(新潟・秋葉区) → 笹川邸・諏訪神社・角兵衛地蔵尊(新潟・南区) → 加茂山公園(加茂) → 本成寺(三条) → 鞍掛神社・木村邸・隆泉寺・聚感園・法福寺(長岡) → 良寛と夕日の丘公園・石井神社・円明院・石油産業発祥地記念公園(出雲崎) → 高浜海水浴場・多多神社・柏崎潮風温泉(柏崎) →(米山IC~塩尻北IC)→ 自宅

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写真は、石油の里公園にある金津油田三号井跡です。金津油田は当地で庄屋を営んでいた中野貫一が明治36年(1903年)に発掘した油田で、三号井は発掘当初から現存している最古の油井戸です。

中野貫一は、油田開発の成功により大正7年(1918年)に中野鉱業株式会社(現在の中央石油)を設立し、最盛期には日本の石油需要の三分の一、新潟県の税収の5%を支える日本一の石油王と呼ばれました。

石油の里公園には、金津油田跡の他に中野邸美術館(旧中野貫一邸)、石油の世界館、もみじ園があって、丁度もみじ園の紅葉が見頃とあって多くの観光客で賑わっていました。

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2010年11月20日 (土)

新潟旅行記 vol.7

ヨッシーです。今年も残すところ一月余りとなりました。最近、急に気温も下がってきたので、雪が降り始める前に出来るだけ日本海側の史跡を巡りたいと思います。そこで、今回は新潟県の石油文化遺産を中心に前回(2008.8.13)訪問できなかった史跡を巡りました。

11月20日

自宅 →(塩尻北IC~荒川胎内IC)→ シンクルトン記念公園(胎内) → 法音寺・五十公野公園・奉先堂公園・宝光寺・託明寺・福勝寺・清水園・カトリック新発田教会・新発田公園・市島邸(新発田) → 水の公園福島潟(新潟・北区) →(豊栄新潟東港IC~新潟亀田IC)→ 行形亭(新潟・中央区) → 北方文化博物館・大栄寺(新潟・江南区) → 秋葉温泉(新潟・秋葉区) → 秋葉・泊

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写真は、シンクルトン記念公園にある原油の貯蓄池(油壷)跡です。現在も油井戸や油壷には原油が湧いていて、辺りには油の臭いが漂っていました。

シンクルトン記念公園は、新潟県胎内市黒川(旧黒川村)にある黒川油田跡を整備した公園です。黒川という地名は当地に湧いていた原油が川に流れ込んで川が真っ黒になっていたことに由来し、日本書紀に「越の国、燃土、燃水を献る」と記された場所であると考えられています。

新潟県内の代表的な石油文化遺産は、当地の他にも新潟市秋葉区(旧新津市)や出雲崎町など下越地方に広く分布していて、新潟市内および新潟沖にはまだ大量の原油が眠っていると思われます。また、新潟県内の多くの温泉が油田採掘の副産物であるとも言われていて、新潟と石油の深い繋がりを実感しました。

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2009年10月24日 (土)

新潟旅行記 vol.6

ヨッシーです。今週末は、久しぶりに登山にチャレンジしました。目指した頂は、越後三名山の一つ・八海山の最高峰・大日岳です。前の三連休で南魚沼市を通過(2009.10.11)した時に登山を決意しました。八海山は、大河ドラマ・天地人のオープニングの最後に直江兼続(妻夫木聡)が立っているあの岩山です!

10月24日

8:30八海神社 → 9:00山麓駅 →(ロープウェー)→ 9:15山頂駅(4合目) → 10:00女人堂(6合目) → 10:30薬師岳(8合目) → 10:45千本檜小屋(9合目) → 11:00地蔵岳(標高1,707m、妻夫木聡が立っていた場所) → 八ツ峰(地蔵岳、不動岳、七曜岳、白河岳、釈迦岳、摩利支岳、剣ヶ峰、大日岳)を縦走 → 12:00大日岳(標高1,720m、10合目) → 12:15下山開始 →(新開道)→ 14:30登山口(2合目) → 15:00山麓駅

地蔵岳までは、短い梯子や鎖場だけなので比較的安全ですが、ここからの八ツ峰縦走は長い梯子や垂直に近い鎖場の連続ではっきり言って命がけのアスレチック場です。特に大日岳から新開道方面に下りる長くて(10m?)垂直に近い鎖場は、腕力勝負で最もきついポイントでした。

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写真は、大日岳の山頂から見た南魚沼市街(上田庄)方面の景色です。上田庄は、直江兼続と上杉景勝が生まれた場所です。実際に直江兼続がこの場所に立ったことはないと思いますが、民を深く愛していた兼続の心の中にはきっとこのような美しい故郷が拡がっていたように感じられました。

下山後は体力も限界に来ていましたが、暗くなるまでにまだ時間があったので、信州への帰り道に管領塚史跡公園と龍澤寺、樺沢城跡に寄り道しました。樺沢城本丸跡の標高は僅か330mしかありませんが、ここからは上田庄の街の様子が手に取るようにはっきりと見えて、築城の意図を容易に理解することが出来ました。

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2009年10月11日 (日)

新潟・北信・中信旅行記

ヨッシーです。三連休の二日目は、魚沼から山道を飯山、長野、大町と西進しました。三日かかると想定していた道程でしたが、意外に道が良かったので計画を一日前倒しして帰宅することが出来ました。そんな訳で今日は一日、明日の予定を考えながら移動しました。

10月11日

魚沼・発 → 須原公園・旧佐藤家住宅・西福寺(新潟・魚沼) → 見玉不動尊・見倉橋(新潟・津南) → 秋山郷・とねんぼ(栄) → 飯綱高原・葛山落合神社・松巌寺・白髯神社(長野) → 高山寺(小川) → 旧中村家住宅(大町) → 神明社(白馬) → 有明山社(松川) → 有明山神社・曽根原家住宅・耳塚堂(安曇野) → 自宅

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写真は、松巌寺の境内にある鬼女・紅葉(呉葉)の墓です。紅葉は、鎮守府将軍・源経基(清和天皇の孫)の側室でしたが、京での権力争いに巻き込まれて信州戸隠に追放され、天暦10年(956年)当地で経基の子(経若丸)を出産しました。

経若丸が成長すると、紅葉をはじめ家臣達は上京を志向するようになりました。それを脅威に感じた経基の後の鎮守府将軍・平貞盛は、先手を打って養子の維茂を経若丸(紅葉)討伐に向かわせました。そして、安和2年(969年)抵抗虚しく紅葉等郎党は討ち取られ、乱は鎮圧されました。

維茂が討伐に出発する前、京では紅葉が妖怪変化の鬼女だと噂されていました。しかし、権力争いで已む無く討ち取った紅葉等を不憫に思った維茂は、紅葉の守護仏(地蔵尊)を祀るため地蔵院(松巌寺)を建立しました。そして、鬼女はいなくなったと宣言して地名を鬼無里(きなさ)に改めました。

この話は能の「紅葉狩」のモデルとなり、後に近松門左衛門によって歌舞伎の演目にも取り上げられました。また、紅葉の本当の名前は呉葉でしたが、討たれたのが10月25日(紅葉シーズン)だったため紅葉と呼ばれるようになりました。

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2009年10月10日 (土)

新潟・福島旅行記

ヨッシーです。いよいよ今日から三連休です。北?西?南?と昨日まで行き先に迷っていましたが、これから冬になると雪が心配になる北へと向かうことにしました。丁度、大河ドラマ・天地人で話題になっている会津から魚沼に抜けるルートを走ってみました。

10月10日

自宅 →(塩尻北IC~三川IC)→ 平等寺・住吉神社・麒麟山公園・護徳寺(阿賀) →(津川IC~西会津IC)→ 如法寺・円満寺(西会津) → 恵隆寺・旧五十嵐家住宅・心清水八幡神社・上宇内薬師堂(会津坂下) → 勝常寺(湯川) → 延命寺・皆鶴姫墓(会津若松) → 常福院・弘安寺・法用寺・福生寺(会津美里) → 大内宿・湯野上温泉駅・湯野上温泉神社・塔のへつり・旭田寺(下郷) → 旧南会津郡役所(南会津) → 成法寺(只見) → 寿和温泉(魚沼) → 魚沼・泊

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写真は、街道北側の小高い丘の上(子安観音)から眺めた大内宿の街並みです。大内宿は、17世紀に会津若松から日光へと向かう会津西街道に設置された宿場です。

会津西街道は、会津藩の参勤交代や日光詣での主要街道として発展しました。また、会津若松からは米沢街道も分岐しているため、米沢藩(上杉家)もこの街道を利用したと考えられます。会津若松は江戸時代以前から奥州の州都であったことから、多くの街道の分岐点になっています。只見線(旧沼田街道)もその一つで、かつて越後から会津へと国替えになった上杉家が整備した街道です。

時代とともに移り変わる人の流れに想いを馳せながら、越後(魚沼)に向かって走りました。

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2009年9月20日 (日)

新潟・山形・秋田旅行記

ヨッシーです。いよいよ待望のシルバーウィーク到来です。これからはどんどんと寒くなってきますので、雪が降るまでに少しでも多く北方を廻っておきたいと思います。そんな訳で、今回の連休は北東北を旅することに決定しました。昨年の夏期休暇(2008.816)以来一年ぶりの訪問になります。

今回は、新潟県から日本海側を北上して最上川から内陸方面に入るコースを走りました。昨年は史跡巡り中心の旅でしたが、今年は自然景観中心の旅になりました。

9月20日

自宅 →(塩尻北IC~聖籠新発田IC)→ 託明寺・福勝寺(新発田) → 笹川流れ(村上) → 最上峡(戸沢) → 角館(仙北) → 川口温泉(大仙) → 大仙・泊

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写真は、新潟県北部にある国の名勝・笹川流れです。全長11kmに及ぶ海岸線は奇岩と断崖が連続していて、その間を流れる潮流と断崖にぶつかって沖に戻される波が重なり合うことで複雑な流れを形成しています。

笹川流れの海岸線には、現在国道345号線と羽越本線が並行して走っているため、それぞれの車窓からも雄大な景観を鑑賞することができます。しかし、古来ここは難所であったため道もなく、熟練の船頭によって笹川流れの沖合いを舟で航行していました。奥州を目指して移動していた源義経も舟に乗って当地を通行したものと思われ、海岸線の奇岩には義経に因んだ名前の岩が多く残されていました。

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2009年6月 6日 (土)

新潟旅行記 vol.5

ヨッシーです。会社から勤続10年の記念に5日間のリフレッシュ休暇をいただいて、土日を加えた9日間、北海道旅行に出かけることにしました。長期間、北の大地を自由に動き回るため、愛車を連れて新潟港からフェリーで北海道に渡りました。

10:30発の小樽港行き新日本海フェリー・らいらっく号に乗船しました。小樽港への到着予定時刻が翌朝4:30という18時間の長い船旅でしたが、船内は広く設備も充実していて当に海上に浮かぶ複合施設といった感じで全く退屈しませんでした。さらに車一台に乗員1名で20,000円という格安運賃も有難く大変満足しました。

6月6日

自宅 →(塩尻北IC~新潟亀田IC)→ 山の下神明宮・山の下埠頭(新潟・東区) →(新潟港~小樽港)→ 船中・泊

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写真は、新潟港(山の下埠頭)に停泊中の新日本海フェリー・らいらっく号の外観です。船と通路でつながった左側の建物が新日本海フェリーの新潟港ターミナルビル(3階建て)ですが、船があまりにも大きくて小さなプレハブ小屋のように見えます。

船内には、売店や食堂はもちろんゲームコーナーやリラクッスルームの他、映画館や大浴場までありました。また、船が名所の近くを通過する際には各部屋にアナウンスがあるので、放送があると船のデッキや甲板に出て海上からの良い眺めを堪能することもできました。

明日は朝が早いので、早めに就寝します。

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2008年11月24日 (月)

新潟旅行記 vol.4

ヨッシーです。佐渡島旅行の最終日は、小木港を12:50に出航するフェリーに乗らないといけないので、小木港付近の名所を散策することにしました。今日も午前中だけでしたが、雨に降られることなく観光を楽しむことができました。

11月24日

椎崎温泉・発 → 草苅神社・度津神社・菅原神社・大蓮寺 → 海潮寺・矢島・経島・幸福地蔵・宿根木集落・南仙峡・沢崎鼻灯台・力屋 →(小木港~直江津港・上越IC~塩尻北IC)→ 自宅

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写真は、宿根木集落の路地を歩いたときの光景です。宿根木は、江戸時代に千石船を製造していた船大工たちの集落であり、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

宿根木は大工町なので人が集まることはないことから、路地が非常に狭いのが特徴です。また、当時の宿根木には窓税というものがあったため、建物には窓がほとんどありません。

これらの建造物群の中で廻船業を営んでいた「清九郎」邸が公開されていました。外観は写真と同様に地味ですが、邸内は大きな木を丸ごと使ってさらに全面に漆を塗った贅沢な造りになっていました。また、邸宅の住人しか入ることのない奥や二階の部屋の襖絵や仏壇は当に文化財といえる代物で、建物の外観とのギャップが印象的でした。

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