2010年8月 1日 (日)

山梨旅行記 vol.3

ヨッシーです。昨日に引き続き、2日目も山梨県北部の史跡を東から西に向かって巡りました。今日のメインは、坂本龍馬のもう一人の妻・千葉さな子のお墓参りです。坂本龍子のお墓(2010.6.12訪問)とは対照的に優しい感じのお墓でした。

8月1日

甲斐・発 → 清運寺・武田神社・興因寺・恵運院(甲府) → 願成寺・武田八幡神社(韮崎) → 八代家住宅(北社) → 満福寺(韮崎) → 正覚寺・信光寺・清光寺(北社) →(長坂IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、清運寺にある千葉さな子のお墓です。「坂本さな子」と書かれていないのは正式には結婚していないためですが、両者は婚約していたと伝えられています。また、「さな」が平仮名なのは、「佐那」と「佐奈」二通りの漢字表記が伝えられているためです。

千葉さな子は、北辰一刀流の開祖・千葉周作の姪であり、龍子より8歳年上なので、身分、年齢共に龍子よりも上だというプライドを持っていたことが想像されます。そのため、龍子に龍馬を取られた(結婚した)ことを認めることが出来なかった結果、生涯独身を貫くことになったものと考えられます。

さな子は晩年、鍼灸の仕事をしながら千住で没していますが、独身で子がなかったため友人の小田切家が引き受けて現在の墓地に眠っています。墓石の裏には、「明治二十九年十月十五日 坂本龍馬室」と書かれており、せめて死後は龍馬と一緒であってほしいという小田切家の方々の優しさが伝わってきました。

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2010年7月31日 (土)

山梨旅行記 vol.2

ヨッシーです。今週末は、山梨県北部の史跡を巡りました。三週連続の外出ですが2週間後に夏期休暇(お盆)があるので、来週はその休暇の計画に充てることにして今週末も出かけることにしました。

疲労も溜まってきたので、行き先は近場(近県)としました。山梨県はヨッシーの家から高速道路を使えば長野県内と同様に1時間程で到着することが出来ます。近場だったので、これまでは隣県(静岡、神奈川、東京、埼玉)を巡る次いでに訪問していましたが、今回は山梨県内をメインに隣県から離れた地域(北部)を巡りました。

7月31日

自宅 →(塩尻IC~勝沼IC)→ 大善寺・景徳院・栖雲寺・勝沼氏館跡・塩山駅・甘草屋敷・恵林寺(甲州) → 中牧神社・天神社・永昌院・聖徳寺(山梨) → 国分寺・美和神社・成就院(笛吹) → 入明寺・船形神社(甲府) → 義清神社(昭和) → 神の湯温泉(甲斐) → 甲斐・泊

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写真は、大善寺の本堂(薬師堂)です。鎌倉後期である弘安9年(1286年)に建てられた県内最古の建造物であり、国宝に指定されています。

大善寺は、甲府盆地東端の甲州街道沿いにあり、関東方面の玄関口に位置します。そして、武田氏(勝頼)が滅亡する際には西から迫る織田軍からの敗走口となりました。敗走先は、武田氏の東の要・岩殿山城からその先にある勝頼夫人の実家・北条氏の関東であったと考えられますが、勝頼は当寺で岩殿山城(小山田氏)の裏切りの報を聞いたと「理慶尼記」(大善寺所蔵)に記されています。

退路を絶たれて絶望の底に突き落とされた勝頼は、当寺に籠もって最期の抵抗をすることも出来ましたが退去して天目山に登って自害しています。当に、この国宝建造物は勝頼の最期の機転によって護られたと言っても過言ではありません。

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2009年12月23日 (水)

静岡・山梨旅行記

ヨッシーです。今日は、天皇陛下の誕生日です。そして、ヨッシーウェブログもこの投稿で節目の300回目となりました。更に今日は、今年最後の高速道路1,000円の日でもあります。昨日、一昨日と僅かに廻りきれなかった静岡が心残りで悩んでいましたが、昨晩日帰りで訪問することに決心しました。「鉄は熱いうちに打て」、「今年の悔いを来年に残さない」という意気込みで臨みました。

12月23日

自宅 →(塩尻IC~増穂IC)→ 草薙神社・龍華寺・鉄舟寺・薩埵峠・霊泉寺・龍津寺・酒瓶神社・小島陣屋跡(静岡・清水区) → 最恩寺・本郷寺・円蔵院(南部) → 本遠寺・門西家住宅(身延) → 安藤家住宅(南アルプス) → 大福寺・シルクの里公園(中央) → 長谷寺(南アルプス) → 光明寺(韮崎) → 正覚寺・八代家住宅(北杜) → 韮崎温泉(韮崎) →(須玉IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、皆様ご存知の日本一の山・富士山です。静岡旅行最後の一枚に相応しく最高の天気にも恵まれました。

この富士山を撮影した場所は、薩埵峠です。薩埵峠は、日本の割れ目(フォッサマグナ)と呼ばれる富士川・糸魚川構造線と日本一深い海と言われる駿河湾が交わる場所にあります。即ち、海底部分も含めると日本一高低差のある日本の断崖ともいえる場所にあって、この峠の真下にある幅僅か100mの平地に日本の大動脈と言われる国道1号線、東名高速道路、JR東海道本線、東海道新幹線が走っています。このことから、東海地震などの天変地異が起こった場合のワンシーンによく用いられています。

一方、この特殊な地形はみかん栽培の最適地にもなっています。薩埵峠の真南には広い駿河湾が広がっているため日光を遮るものがなく、県下有数の日照時間を誇ります。また、海から吹き上がる強い潮風により昼夜の寒暖差が激しいため、糖度の高いみかんが出来るということです(地元のみかん農家談)。自然災害のリスクと自然の恵みが背中合わせの地・静岡にいると、良くも悪くも自然の全てを受け入れたくなるような大らかな気分になりました。

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2008年9月21日 (日)

東京・山梨旅行記

ヨッシーです。2日目は午後から天気が崩れる予報だったので、ペースを上げて青梅街道(奥多摩)を一気に抜けて、雨が降るまで山梨県内の史跡を散策しました。意外と天気も持ち堪えて、ほぼ目標どおりの寺社を廻ることが出来ました。

9月21日

青梅・発 → 塩船観音寺・梅岩寺・旧稲葉家住宅・金剛寺(青梅) → 小河内ダム・小河内神社・麦山浮橋(奥多摩) → 長作観音堂(小菅) → 雲峰寺・向嶽寺・菅田天神社・熊野神社(甲州) → 清白寺・窪八幡神社(山梨) → 浅間神社・慈眼寺・山梨岡神社(笛吹) → 塩沢寺・舞鶴城公園・山梨県庁・甲府駅前広場・穴切大神社(甲府) → 長谷寺(南アルプス) → 光照寺(甲斐) →(韮崎IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、奥多摩湖上に浮かぶ浮橋です。現在、奥多摩湖上には麦山と留浦の2つの浮橋がありますが、写真の麦山浮橋は全長220mで留浦浮橋(全長212m)よりも若干長くなっています。

浮橋は、関東の治水対策として多摩川上流に建設された小河内ダムによって誕生した奥多摩湖に分断された集落を結ぶ地元住民の生活通路として設置されたものです。通路の両脇にある発泡スチロールをポリエチレンで補強した浮子によって湖上に浮かんだイカダを一列に連結させることで通路を形成しています。設置当初の浮子はドラム缶であったことから、地元ではドラム缶橋とも呼ばれています。

浮橋は湖幅が狭くなっている場所に設置されていますが、実際の奥多摩湖は非常に大きくて橋の中央付近に立つと心細くなってきます。その湖面ぎりぎりの高さを不安定な足元で200m歩くのもスリルがあります。ヨッシーが渡ったのは日中でしたが、薄暗くなるとネッシーでも出てきそうな雰囲気でとても夜には渡ることができないと感じました。

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2008年7月13日 (日)

神奈川・静岡・山梨旅行記

ヨッシーです。2日目は、後北条氏の拠点・小田原から箱根、御殿場、富士吉田と富士山東部を走ってみました。道中、富士山を御神体とする浅間神社がたくさんあったのに驚きました。

7月13日

大井・発 → 小田原駅・北条氏政氏照墓所・大乗寺・小田原城址公園・大久寺・海蔵寺・石垣山一夜城歴史公園・紹太寺(小田原) → 早雲寺・阿弥陀寺・東光庵熊野権現旧跡・元箱根石仏群・箱根関所・箱根神社・公時神社(箱根) → 新橋浅間神社(御殿場) → 東口本宮富士浅間神社(小山) → 寿徳寺・平野天満宮・諏訪神社・山中浅間神社(山中湖) → 忍野八海・忍草浅間神社(忍野) → 北口本宮富士浅間神社(富士吉田) → 富士御室浅間神社・河口湖温泉寺・産屋ヶ崎・河口浅間神社(富士河口湖) →(一宮御坂IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、小田原駅西口に立っていた北条早雲の像です。北条早雲は、後北条氏の始祖であり、戦国時代を代表する智将です。

早雲は当初、伊勢新九郎長氏と名乗っており、晩年出家して早雲となりました。伊勢氏から北条氏に改姓したのは息子・氏綱の時代からであり、早雲の時代は北条氏を名乗っていなかったので正確には北条早雲という名前は存在しません(正しくは伊勢早雲です)。氏綱が北条氏に改姓したのは、早雲挙兵の地・韮山が鎌倉幕府の執権・北条氏(前北条氏)発祥の地であったことから、その権威に肖ろうとしたと考えられます。

早雲は元々、駿河国(静岡県)の今川氏の属将で、伊豆国の韮山城の守備を任されていました。専ら守備要員しか与えられていなかったため他国を攻めるだけの兵力はありませんでしたが、農耕用の牛の角に松明を括りつけて夜間に城に攻めかかるという奇策(火牛の計)により小田原城を奪取して戦国大名として独立しました。この像は、このエピソードを元に作成されています。

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2008年7月12日 (土)

山梨・静岡旅行記

ヨッシーです。今週末は、山本勘助のもう一つの出生地・静岡県富士宮市を訪問しました。勘助が歴史の表舞台に出たのは愛知県豊橋市(2月17日訪問)からですが、山本家発祥の地は富士宮市山本です。曽祖父もしくは父の代に豊橋市賀茂町に移ったと言われていますが、この時期の違いから勘助の出生地が二箇所存在しています。

7月12日

自宅 →(塩尻IC~小淵沢IC)→ 小荒間古戦場跡・諏訪神社・山本勘助屋敷・鎧堂観音(北杜) → 宗泉院(韮崎) → 古長禅寺(南アルプス) → 西山本門寺(芝川) → 代信寺(富士宮) → 医王寺・永明禅寺・鎧ヶ渕親水公園(富士) →(沼津IC~大井松田IC)→ 大井・泊

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写真は、西山本門寺の本堂裏に建てられていた織田信長の霊廟(首塚)です。

織田信長は、天正10年(1582年)に本能寺の変で亡くなりましたが、遺体は発見できなかったと言われています。しかし、この西山本門寺の寺伝によると原宗安が本能寺で信長と一緒に自刃した父(胤重)・兄(清安)の首と一緒に信長の首を当寺に持ち帰って葬ったと伝えられています。当時の法主・日順上人は原家の出身であり、これだけの大寺院の本堂裏に霊廟を建ててお祀りしていることから信憑性は高いと考えられます。

信長の首が本能寺から持ち出されていたとすると、顔の分からない(顔の無い)遺体から信長本人であることを判断することは難しく、発見できなかった(断定できなかった)ことも説明がつきます。ヨッシーは何も知らずに西山本門寺を訪問しましたが、知られていない歴史が全国にはたくさん埋もれていることを実感しました。

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2007年11月 3日 (土)

山梨旅行記

ヨッシーです。2日目は、山梨方面に紅葉を求めて出かけました。天候も良く最高の行楽日和でしたが、残念ながらこちらも紅葉は既にピークを過ぎた状態でした。

11月3日

自宅 →(塩尻IC~甲府昭和IC)→ 武田神社・武田信玄火葬塚(甲府) → 恵林寺・西沢渓谷(山梨) → 石和温泉(笛吹) →(甲府昭和IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、西沢渓谷・二俣吊橋上から眺めた笛吹川源流の様子です。西沢渓谷から雁坂トンネルを抜けるとそこは埼玉県秩父市ということで、関東方面からもたくさんの観光客が訪れていました。

「三重の滝」や「七つ釜五段の滝」などを廻ることのできる4時間コースの周遊歩道が整備されていて、トレッキング好きにお勧めのスポットでした。

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2007年9月24日 (月)

東信・山梨・南信旅行記

ヨッシーです。三連休の3日目は、東信方面の残りから山梨に入りました。今日でやっと、信州の主だった地域を一廻りすることができました。信州にやってきて9年目、やっと目標達成です。

9月24日

臼田・発 → 新海三社神社(臼田) → 松原諏訪神社(小海) → 海ノ口城跡・JR最高地点(南牧) → 三分一湧水(山梨・北社) →(須玉IC~甲府昭和IC)→ 法泉寺・積翠寺・要害山・円光院・大泉寺・長禅寺・能成寺・東光寺・甲斐善光寺・逍遥禅院・尊躰寺(山梨・甲府) →(甲府昭和IC~諏訪IC)→ 貞松院(諏訪) → 自宅

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写真は、長禅寺の巨大鐘です。何と重さは11tもあるそうです。

長禅寺は、武田信玄の母・大井夫人の菩提寺で、甲府五山の筆頭の地位にある由緒ある寺院です。ちなみに、他の五山は、法泉寺、円光院、能成寺、東光寺になります。この寺院にある建造物は、とにかく巨大なものが多く、圧倒されっ放しでした。

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2006年10月22日 (日)

山梨・南信旅行記

ヨッシーです。紅葉を求めて、山梨・昇仙峡に行ってきました。残念ながら昇仙峡は、まだまだ紅葉には早い状態でした。そこで、急遽八ヶ岳方面の清里に紅葉を求めて登っていきました。八ヶ岳牧場の隣にある東沢大橋付近でようやく素晴らしい紅葉を拝むことができました。

10月22日

自宅 →(塩尻IC~甲府昭和IC)→ 昇仙峡(山梨・敷島) →(甲府昭和IC~須玉IC)→ 清里(山梨・大泉) →(小淵沢IC~諏訪IC)→ 片倉館(諏訪) → 自宅

帰りには上諏訪温泉・片倉館に入って温まりました。片倉館は製糸業界でシルクエンペラーと呼ばれた片倉財閥が昭和初期に建設した温泉施設で、その建造物はそれ自体が文化財に指定されています。後世にこのような素晴らしい施設を残してくれた片倉財閥に感謝します。

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