2008年9月21日 (日)

東京・山梨旅行記

ヨッシーです。2日目は午後から天気が崩れる予報だったので、ペースを上げて青梅街道(奥多摩)を一気に抜けて、雨が降るまで山梨県内の史跡を散策しました。意外と天気も持ち堪えて、ほぼ目標どおりの寺社を廻ることが出来ました。

9月21日

青梅・発 → 塩船観音寺・梅岩寺・旧稲葉家住宅・金剛寺(青梅) → 小河内ダム・小河内神社・麦山浮橋(奥多摩) → 長作観音堂(小菅) → 雲峰寺・向嶽寺・菅田天神社・熊野神社(甲州) → 清白寺・窪八幡神社(山梨) → 浅間神社・慈眼寺・山梨岡神社(笛吹) → 塩沢寺・舞鶴城公園・山梨県庁・甲府駅前広場・穴切大神社(甲府) → 長谷寺(南アルプス) → 光照寺(甲斐) →(韮崎IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、奥多摩湖上に浮かぶ浮橋です。現在、奥多摩湖上には麦山と留浦の2つの浮橋がありますが、写真の麦山浮橋は全長220mで留浦浮橋(全長212m)よりも若干長くなっています。

浮橋は、関東の治水対策として多摩川上流に建設された小河内ダムによって誕生した奥多摩湖に分断された集落を結ぶ地元住民の生活通路として設置されたものです。通路の両脇にある発泡スチロールをポリエチレンで補強した浮子によって湖上に浮かんだイカダを一列に連結させることで通路を形成しています。設置当初の浮子はドラム缶であったことから、地元ではドラム缶橋とも呼ばれています。

浮橋は湖幅が狭くなっている場所に設置されていますが、実際の奥多摩湖は非常に大きくて橋の中央付近に立つと心細くなってきます。その湖面ぎりぎりの高さを不安定な足元で200m歩くのもスリルがあります。ヨッシーが渡ったのは日中でしたが、薄暗くなるとネッシーでも出てきそうな雰囲気でとても夜には渡ることができないと感じました。

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2008年7月13日 (日)

神奈川・静岡・山梨旅行記

ヨッシーです。2日目は、後北条氏の拠点・小田原から箱根、御殿場、富士吉田と富士山東部を走ってみました。道中、富士山を御神体とする浅間神社がたくさんあったのに驚きました。

7月13日

大井・発 → 小田原駅・北条氏政氏照墓所・大乗寺・小田原城址公園・大久寺・海蔵寺・石垣山一夜城歴史公園・紹太寺(小田原) → 早雲寺・阿弥陀寺・東光庵熊野権現旧跡・元箱根石仏群・箱根関所・箱根神社・公時神社(箱根) → 新橋浅間神社(御殿場) → 東口本宮富士浅間神社(小山) → 寿徳寺・平野天満宮・諏訪神社・山中浅間神社(山中湖) → 忍野八海・忍草浅間神社(忍野) → 北口本宮富士浅間神社(富士吉田) → 富士御室浅間神社・河口湖温泉寺・産屋ヶ崎・河口浅間神社(富士河口湖) →(一宮御坂IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、小田原駅西口に立っていた北条早雲の像です。北条早雲は、後北条氏の始祖であり、戦国時代を代表する智将です。

早雲は当初、伊勢新九郎長氏と名乗っており、晩年出家して早雲となりました。伊勢氏から北条氏に改姓したのは息子・氏綱の時代からであり、早雲の時代は北条氏を名乗っていなかったので正確には北条早雲という名前は存在しません(正しくは伊勢早雲です)。氏綱が北条氏に改姓したのは、早雲挙兵の地・韮山が鎌倉幕府の執権・北条氏(前北条氏)発祥の地であったことから、その権威に肖ろうとしたと考えられます。

早雲は元々、駿河国(静岡県)の今川氏の属将で、伊豆国の韮山城の守備を任されていました。専ら守備要員しか与えられていなかったため他国を攻めるだけの兵力はありませんでしたが、農耕用の牛の角に松明を括りつけて夜間に城に攻めかかるという奇策(火牛の計)により小田原城を奪取して戦国大名として独立しました。この像は、このエピソードを元に作成されています。

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2008年7月12日 (土)

山梨・静岡旅行記

ヨッシーです。今週末は、山本勘助のもう一つの出生地・静岡県富士宮市を訪問しました。勘助が歴史の表舞台に出たのは愛知県豊橋市(2月17日訪問)からですが、山本家発祥の地は富士宮市山本です。曽祖父もしくは父の代に豊橋市賀茂町に移ったと言われていますが、この時期の違いから勘助の出生地が二箇所存在しています。

7月12日

自宅 →(塩尻IC~小淵沢IC)→ 小荒間古戦場跡・諏訪神社・山本勘助屋敷・鎧堂観音(北杜) → 宗泉院(韮崎) → 古長禅寺(南アルプス) → 西山本門寺(芝川) → 代信寺(富士宮) → 医王寺・永明禅寺・鎧ヶ渕親水公園(富士) →(沼津IC~大井松田IC)→ 大井・泊

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写真は、西山本門寺の本堂裏に建てられていた織田信長の霊廟(首塚)です。

織田信長は、天正10年(1582年)に本能寺の変で亡くなりましたが、遺体は発見できなかったと言われています。しかし、この西山本門寺の寺伝によると原宗安が本能寺で信長と一緒に自刃した父(胤重)・兄(清安)の首と一緒に信長の首を当寺に持ち帰って葬ったと伝えられています。当時の法主・日順上人は原家の出身であり、これだけの大寺院の本堂裏に霊廟を建ててお祀りしていることから信憑性は高いと考えられます。

信長の首が本能寺から持ち出されていたとすると、顔の分からない(顔の無い)遺体から信長本人であることを判断することは難しく、発見できなかった(断定できなかった)ことも説明がつきます。ヨッシーは何も知らずに西山本門寺を訪問しましたが、知られていない歴史が全国にはたくさん埋もれていることを実感しました。

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2007年11月 3日 (土)

山梨旅行記

ヨッシーです。2日目は、山梨方面に紅葉を求めて出かけました。天候も良く最高の行楽日和でしたが、残念ながらこちらも紅葉は既にピークを過ぎた状態でした。

11月3日

自宅 →(塩尻IC~甲府昭和IC)→ 武田神社・武田信玄火葬塚(甲府) → 恵林寺・西沢渓谷(山梨) → 石和温泉(笛吹) →(甲府昭和IC~塩尻IC)→ 自宅

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写真は、西沢渓谷・二俣吊橋上から眺めた笛吹川源流の様子です。西沢渓谷から雁坂トンネルを抜けるとそこは埼玉県秩父市ということで、関東方面からもたくさんの観光客が訪れていました。

「三重の滝」や「七つ釜五段の滝」などを廻ることのできる4時間コースの周遊歩道が整備されていて、トレッキング好きにお勧めのスポットでした。

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2007年9月24日 (月)

東信・山梨・南信旅行記

ヨッシーです。三連休の3日目は、東信方面の残りから山梨に入りました。今日でやっと、信州の主だった地域を一廻りすることができました。信州にやってきて9年目、やっと目標達成です。

9月24日

臼田・発 → 新海三社神社(臼田) → 松原諏訪神社(小海) → 海ノ口城跡・JR最高地点(南牧) → 三分一湧水(山梨・北社) →(須玉IC~甲府昭和IC)→ 法泉寺・積翠寺・要害山・円光院・大泉寺・長禅寺・能成寺・東光寺・甲斐善光寺・逍遥禅院・尊躰寺(山梨・甲府) →(甲府昭和IC~諏訪IC)→ 貞松院(諏訪) → 自宅

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写真は、長禅寺の巨大鐘です。何と重さは11tもあるそうです。

長禅寺は、武田信玄の母・大井夫人の菩提寺で、甲府五山の筆頭の地位にある由緒ある寺院です。ちなみに、他の五山は、法泉寺、円光院、能成寺、東光寺になります。この寺院にある建造物は、とにかく巨大なものが多く、圧倒されっ放しでした。

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2006年10月22日 (日)

山梨・南信旅行記

ヨッシーです。紅葉を求めて、山梨・昇仙峡に行ってきました。残念ながら昇仙峡は、まだまだ紅葉には早い状態でした。そこで、急遽八ヶ岳方面の清里に紅葉を求めて登っていきました。八ヶ岳牧場の隣にある東沢大橋付近でようやく素晴らしい紅葉を拝むことができました。

10月22日

自宅 →(塩尻IC~甲府昭和IC)→ 昇仙峡(山梨・敷島) →(甲府昭和IC~須玉IC)→ 清里(山梨・大泉) →(小淵沢IC~諏訪IC)→ 片倉館(諏訪) → 自宅

帰りには上諏訪温泉・片倉館に入って温まりました。片倉館は製糸業界でシルクエンペラーと呼ばれた片倉財閥が昭和初期に建設した温泉施設で、その建造物はそれ自体が文化財に指定されています。後世にこのような素晴らしい施設を残してくれた片倉財閥に感謝します。

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