2010年4月17日 (土)

埼玉・栃木旅行記

ヨッシーです。今日は、久しぶりに始発の高速バスに乗って関東にやってきました。信州は昨晩からの大雪で、鉄道は運行を中止していましたが、高速バスは1時間程遅れたものの何とか到着することが出来ました。

4月中旬での積雪は、ヨッシーが信州に来てからの11年間で初めての経験です。まだ薄暗い早朝にバス停駐車場までノーマルタイヤの車で移動する時はとても緊張しました。

4月17日

吉見百穴(吉見) → さきたま古墳公園・郷土博物館(行田) → 足利学校・鑁阿寺・足利織姫神社(足利) → 江間忠神戸温泉(羽生)

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写真は、さきたま古墳公園内に立てられていた埼玉県名発祥之碑です。現在は、浦和市や大宮市が合併して誕生した「さいたま市」がありますが、それまで埼玉県内には埼玉という市町村がありませんでした。なぜ県名が埼玉に決定したのかがこの地を訪れると分かります。

さきたま古墳群は関東平野最大の古墳群で、古墳時代に関東に強大な国家が存在していたことを証明する貴重な史跡です。公園内にある史跡博物館には、古墳群から出土された馬具などの装飾品が展示されていて、多くが国宝に指定されています。これらが国宝に指定されたのは、時代こそ関西の古墳(大和朝廷)よりも若干新しいものの、その出土品の傾向が関西と異なっていたためです。すなわち、さきたま古墳群は大和朝廷とは異なる文化を持った国(大和朝廷とは異なる国)の王の墓であると考えられています。

埼玉県は、東京都と同じ武蔵国に属しています。徳川家康が行った治水事業によって、東京は河川が氾濫を繰り返す湿地帯から世界的大都市へと発展を遂げましたが、それ以前の武蔵国の中心は埼玉にありました。さきたま古墳群や武蔵国一ノ宮である氷川神社、関東管領上杉氏の居城・川越城など江戸時代以前の関東の代表的な史跡は、ほとんどが埼玉県内にあります。このような関東の歴史の出発点がさきたま古墳群であるからこそ、その名を県名にしたのも納得できます。

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2009年4月19日 (日)

栃木旅行記 vol.5

ヨッシーです。仕事は昨日で終わりましたが、このまま宇都宮に宿泊して本日、日光を経由して信州に帰宅しました。日光市と言えば、世界遺産・日光の社寺(東照宮、輪王寺、二荒山神社)で有名ですが、実に栃木県内の国宝建造物の全ておよび国の重要文化財建造物の半分以上がこの日光山内に集中しています。ヨッシーにとっては当に宝の山と言える史跡スポットです。

4月19日

宇都宮・発 →(宇都宮~日光)→ 日光山内・輪王寺・東照宮・二荒山神社・大猷院(日光) →(バス)→ 古河掛水倶楽部・本妙寺・蓮慶寺・足尾銅山観光(日光) →(通洞~桐生・桐生~広丘)→ 自宅

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写真は、輪王寺・慈眼堂の裏側にある天海大僧正の廟塔です。輪王寺は、大きく分けると入山口付近の本堂(三仏堂)エリアと山内西側の大猷院(徳川家光廟)エリアからなります。慈眼堂は、大猷院の入口手前にある常行堂と法華堂の間から分岐する延命坂を登り切った日光歴代法親王墓所の一角にあります。

天海大僧正は、徳川家康から家光までの徳川三代に仕えた江戸幕府の宰相であり、東照宮を造営して家康の神柩を久能山(2008年2月18日訪問)から日光に遷した人物として有名です。一方、江戸幕府の中枢に在りながら素性がよく分からない謎の多い人物でもあります。

ヨッシーが興味を持っている天海大僧正の正体の一説として「明智光秀説」があります。その根拠としては、①天海と光秀の年齢はほぼ一致する、②家康と天海が出会った(天海が歴史に登場した)のが光秀の死後間もなくしてからであり早々に重用されている(顔見知り?)、③天海が家康と出会う前に居たという比叡山は光秀が落命した山科と居城のあった坂本との間にある、④家光の乳母に春日局(光秀の姪)を推薦し採用されている、⑤家光の名は家康と光秀から一字ずつ取ったものである、⑥日光山の西方にある高台を明智平と命名している、⑦天海が造営した東照宮には桔梗(土岐明智)および二つ引両(遠山明智)の家紋が多数用いられている、等があります。上の写真の焼香台および慈眼堂の脇にある経蔵(天海蔵)と鐘楼にも二つ引両の家紋が見られました。

明智家の家紋と言えば桔梗が有名ですが、これは明智の本家である土岐源氏(源頼光流)の家紋であり、二つ引両も土岐源氏から更に遡った源氏の直系(足利将軍家などの清和源氏)の家紋なので光秀が用いても不思議ではありません。実際に、光秀の叔父の子孫である遠山家の家紋には二つ引両が用いられています(3月20日参照)。

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2009年4月18日 (土)

栃木旅行記 vol.4

ヨッシーです。今日は土曜日ですが、本日も引き続き宇都宮で仕事です。そこで、今日は宿泊していた東武宇都宮駅近辺を早起きして散策しました。宇都宮の主な史跡は昨年(2008年3月1日)訪問済みなので、今回はあまりメジャーでない隠れた史跡を巡りました。

4月18日

カトリック松が峰教会・英巌寺児童公園 → 延命院・桂林寺 → 蒲生神社

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写真は、延命院の境内に建てられた市の有形文化財・地蔵堂です。江戸時代中期(享保年間:1716~35年)に宮大工・永野万右衛門が建築したもので、宇都宮市内で最古の木造建造物です。

宇都宮市内を散策していると、石造り(大谷石)の建造物(蔵)をよく見かけます。そして、この地蔵堂も基礎の部分には大谷石が用いられていました。また、屋根も建築当初は石葺だったと言われています(現在は瓦葺に変更されていますが)。宮大工の仕事らしく屋根下の彫刻も素晴らしく、当に宇都宮を代表する石と木材の技術の集大成と言えます。

宇都宮は、戦時中に何度も空襲の被害を受けたことから、木造の歴史建造物はほとんど残されていません。一方、石造りの建造物は火災による焼失を免れたことから多数残ることができました。こういう事情からも木造建築である地蔵堂は貴重な歴史財産であると言えます。

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2009年4月17日 (金)

栃木旅行記 vol.3

ヨッシーです。出張で宇都宮にやってきました。宇都宮と言えば餃子が有名ですが、何と駅前で「餃子像(写真)」なるものを発見いたしました。大谷石で作られた餃子の皮に包まれたビーナス像ですが、この石像からは餃子を愛する宇都宮市民の気持ちが感じられました。

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夜には、早速餃子を食べに長崎屋の地下一階にある「来らっせ」(宇都宮餃子会公認)に行ってきました。「来らっせ」には、五店舗(龍門、さつき、めんめん、みんみん、幸楽)の餃子専門店が入っていて、好きな店舗から好きな餃子を買ってきて自由に食べ比べすることができます。今日は内一店舗(みんみん)が定休日だったので、営業していた他の4店舗の餃子を食べ比べしてきました。

龍門・・・肉の味がしっかりした旨い餃子。さつき・・・ニンニクが強烈な元気の出る餃子。めんめん・・・標準的な味の羽根付き餃子。幸楽・・・肉汁のたっぷり詰まったジューシー餃子。いずれの餃子も最高レベルの美味しさでしたが、ヨッシーの一押しは「幸楽」です。あっさりしていて瑞々しく上品な味です。

焼き餃子の他に水餃子も味わってきました。水餃子は焼き餃子に比べてニンニクの味が強く感じられる傾向にあります。焼き餃子ではちょうど良かった「めんめん」のニンニクの味も水餃子ではやや強めに感じられました。水餃子も「幸楽」の味が最高でした。

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2008年4月 7日 (月)

栃木旅行記 vol.2

ヨッシーです。出張で栃木県大田原市にやってきました。昨年12月以来二度目の訪問です。関東地方はもう桜が散り始めていましたが、大田原市は今がちょうど花見シーズンの満開でした。

仕事まで少し時間があったので、仕事場の近くにある那須神社に行ってきました。那須神社は下野国北部を代表する社で、かつては蝦夷征伐に赴く武将は必ず戦勝祈願に訪れていました。

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写真は、栃木県の有形文化財・那須神社の楼門です。境内の社殿は全て戦国時代に建てられたものですが、この楼門だけが唯一の唐様建造物で独特な雰囲気を放っていました。

境内には、江戸時代の領主・大関高増が奉納した手水舟と石灯籠があり、江戸時代以降も変わらず在地の武将達から崇敬を集めていたことが分かります。

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2008年3月 2日 (日)

栃木・群馬旅行記

ヨッシーです。週末二日目は、両毛線に沿って高崎に向かいました。太平記の中で武家の棟梁の座を争った足利尊氏と新田義貞の史跡を中心に訪問しました。

3月2日

小山・発 → 須賀神社・小山評定跡・城山公園・天翁院(小山) → 村檜神社(岩舟) → 唐沢山神社・天応寺・惣宗寺(佐野) → 館林城跡・茂林寺(館林) → 鑁阿寺茂右衛門蔵・足利学校・八雲神社・足利織姫神社・法玄寺(足利) → 金山城跡・金竜寺・大光院・長寿院・世良田東照宮(太田) →(伊勢崎IC~高崎IC)→ 高崎・着

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写真は、世良田東照宮の本殿です。江戸幕府三代将軍・徳川家光が日光東照宮の奥宮を移築したものであり、国の重要文化財に指定されています。

太田市は、源氏の嫡流・八幡太郎義家の孫・義重を祖とする新田氏発祥の地です。世良田地区は、その新田氏の支流・世良田氏ゆかりの地であり、世良田氏は後に得川氏を名乗っています。徳川家康は、自分の出自・松平氏がこの得川氏の子孫であるとして、徳川氏に復姓したと言われています。

この徳川氏発祥の地に徳川氏の祭神・東照大権現(徳川家康)をお祀りしたのが、世良田東照宮の起源です。世良田東照宮のすぐ隣の長寿院には、徳川氏のご先祖のお墓が残されています。

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2008年3月 1日 (土)

福島・栃木旅行記

ヨッシーです。週末一日目は、県境を越えて栃木県を南下しました。源平合戦・屋島の戦いで扇の的を射落とした那須与一と、下野(栃木)・常陸(茨城)・上総(千葉北部)に勢力を張った名族・宇都宮氏の史跡を中心に訪問してみました。

3月1日

白河・発 → 小峰城・小峰寺・関川寺・白河ハリストス正教会・長寿院・丹羽長重廟・白河関跡(白河) → 三森家住宅(那須) → 那須神社・玄性寺(大田原) → 木幡神社(矢板) →(矢板IC~宇都宮IC)→ 大谷寺・宇都宮城址公園・カトリック松が峰教会・二荒山神社・清巌寺・興禅寺(宇都宮) → 円通寺・宇都宮家墓所・綱神社・地蔵院・西明寺(益子) → 大前神社(真岡) → 蓮城院・専修寺(二宮) → 岡田記念館・別邸翁島・横山郷土館・栃木市役所別館(栃木) → 小山温泉(小山) → 小山・泊

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写真は、大谷寺の本堂(観音堂)です。

大谷石の岩壁に埋もれるように建てられた本堂の奥には壁がなく、岩壁に彫刻された本尊・千手観音を直接拝めるようになっていました。また、隣の岩壁にも数躰の石仏が彫刻されていて、その高い彫刻技術と保存状態の良さから、これらの磨崖仏群は国の重要文化財に指定されています。

この大谷地区は大谷石の産地として知られていて、所々の山肌には大谷石が剥き出しになっていました。大谷石は割れたり欠けたりしにくいにも係わらず、切ったり削ったりの加工が容易であったことから建築素材として好んで用いられています。

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2007年12月14日 (金)

栃木旅行記

ヨッシーです。出張三日目は栃木県大田原市にやってきました。大田原市は、源平合戦の名場面、屋島の戦いで扇の的を射落とした那須与一に縁のある場所です。

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写真は、那須塩原駅前に置かれていた直径2.2mの巻狩鍋(大将鍋)です。この巻狩鍋は、那須与一が鎌倉時代の将軍・源実朝を招いて盛大に実施した那須野巻狩(武将22人、勢子10万人、馬5千頭が参加して、捕獲した獲物は2500頭と言われている)をイメージして作成された巨大鍋です。

毎年10月に実施されている那須野巻狩まつりでは、この大将鍋の他に勢子鍋7つの計8つの鍋が那珂川河畔公園に集められて大量の鍋料理が調理されて振舞われます。

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