2009年11月23日 (月)

和歌山・大阪旅行記

ヨッシーです。夜通し降り続いた雨も明け方には上がって、今日は一日快適な旅日和でした。昨日に引き続いて和歌山市内の史跡を巡った後、阪和自動車道に沿って時間一杯大阪南部の史跡を巡りました。

大阪南部は丁度紅葉シーズンで、大阪と和歌山の県境にある葛城山の麓・大威徳寺では「牛滝山もみじまつり」が催されていました。静かに山奥の古寺を巡るつもりでしたが、紅葉狩りに向かう車の渋滞と人混みに巻かれて大変でした。

11月23日

和歌山・発 → 伊太祁曽神社・紀伊風土記の丘・日前国懸神宮・和歌山城・奥山稲荷社・蓮乗寺・加太春日神社(和歌山) → 船守神社(岬) → 法福寺・波太神社(阪南) → 正法寺・奥家住宅・意賀美神社・総福寺・慈眼院・日根神社・火走神社(泉佐野) → 来迎寺・隆井家書院・煉瓦館・中家住宅(熊取) → 孝恩寺(貝塚) → 大威徳寺・積川神社(岸和田) →(岸和田和泉IC~天理IC・亀山IC~塩尻IC)→ 自宅

Pb2321902

写真は、非常に珍しい波太神社の望楼型の拝殿です。昭和10年(1935年)に建てられた新しい建築ですが、不思議と古社の風格が漂っていました。

波太神社に祀られている角凝命は、鳥取氏の祖先とされている神様です。この名の通り、鳥取氏は鳥取県の県名の由来であると言われています。なぜ山陰地方(鳥取県)と大阪に同じ名前(地名)があるのか?記紀には、空を飛ぶ白鳥を所望された垂仁天皇の命を受けた角凝命が見事それを捕獲した褒美に鳥取姓を戴いたとの記述があります。そして、その白鳥を追いかけて行って捕獲した場所が山陰地方(島根県?)だったと言われています。

垂仁天皇は紀元前の人物であり、邪馬台国の女王・卑弥呼の時代よりもさらに200年以上過去に遡ります。この時代に白鳥を追って大阪から山陰(出雲)まで移動できたのは、当時既に山陰から関西までが同一勢力圏であったことを表しています。すなわち、ヨッシーが考える邪馬台国の勢力は当時既に「北九州→出雲→関西」へと拡大しており、卑弥呼の時代にはその都が関西にあったことになります(2009.3.30参照)。

波太神社の「波太」は、桑畑(くわばた)の地名に由来すると言われています。しかし、ヨッシーは邪馬台国の王族等は大陸から渡来したと考えています。垂仁天皇の頃の中国は前漢の時代であり、その前(秦)の時代に多くの中国人が渡来しています。角凝命も彼等の子孫であったため、故国の名前「秦(はた)」を自分の領地の名前にしたのだと考えています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月22日 (日)

和歌山旅行記 vol.3

ヨッシーです。旅行二日目は、日高川で折り返して海沿いを和歌山市まで北上しました。昼過ぎまでは何とか持ち堪えていた天気も、和歌山市内に入った頃から雨模様となりました。元々雨の予報だったので覚悟はしていましたが、幸い小雨だったのでほとんど足元に影響なく旅を続けることが出来ました。

11月22日

有田川・発 → 白岩丹生神社・薬王寺・長楽寺(有田川) → 広八幡神社・法蔵寺(広川) →(広川IC~川辺IC)→ 道成寺(日高川) →(川辺IC~有田南IC)→ 浄妙寺(有田) → 長保寺・三郷八幡神社・善福院・福勝寺・地蔵峰寺(海南) → 護国院・城跡山公園・玉津嶋神社・紀州東照宮・和歌浦天満宮・花山温泉(和歌山) → 和歌山・泊

Pb2218912

写真は、今回の旅行の最大目的地・長保寺の本堂です。鎌倉時代末期の応長元年(1311年)の建築で、国宝に指定されています。

長保寺は、平安時代の全盛期である長保2年(1000年)に一条天皇の命により創建された寺院で、本堂以外にも多宝塔と大門が国宝に指定されています。また、この本堂の裏には徳川御三家の1つ・紀州徳川家歴代の墓所もあって、高野山の陰に隠れてあまり知られていませんが和歌山県内屈指の大寺院です。

同じ徳川御三家の1つ・尾張徳川家の墓所が権勢を誇示するように大変豪華であったのに対して(2008.1.14訪問)、紀州徳川家の墓所は意外にも質素でした。そんな家格に奢らない家風が庶民派の名君・吉宗を育てたのだと確信しました。

今日の天気は今いちでしたが、最後に入った花山温泉は最高でした。町中にある温泉というと特徴のないお湯が一般的ですが、ここのお湯は非常に濃厚な炭酸鉄泉で湯質では秘境の名湯に全く引けを取りません。関西でヨッシー一押しの温泉です!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月21日 (土)

和歌山旅行記 vol.2

ヨッシーです。今回の三連休は和歌山にやってきました。和歌山へは昨年の正月(2008.1.3)以来2年ぶりの訪問です。前回は高野山から南紀方面を巡ったので、今回は県の中心部(北西部)の史跡を巡ろうと思います。

一日目は、紀ノ川上流から高野山の麓(内陸)に沿って南下しました。民家も疎らな狭い山道の連続でしたが、聖域・高野山のお膝元だけあって立派な神社仏閣が多数見られました。

11月21日

自宅 →(塩尻IC~亀山IC)→ 利生護国寺(橋本) → 真田庵・慈尊院・丹生官省符神社(九度山) → 丹生都比売神社(かつらぎ) → 鞆渕八幡神社(紀の川) → 宝来山神社(かつらぎ) → 青洲の里・紀伊国分寺跡・三船神社(紀の川) → 野上八幡宮・十三神社(紀美野) → 雨錫寺・城山神社・吉祥寺・法音寺・歓喜寺・明恵峡温泉(有田川) → 有田川・泊

Pb2116612

写真は、青洲の里の一角にある華岡青洲の住居兼病院・医学校である春林軒の主屋です。華岡青洲は、国内で初めて麻酔薬を発明した人物(世界初は中国の華陀)であり、それを医療分野に広めた世界で最初の人物です。

当時の手術は、痛みに耐えながら行われていたため、手足なら未だしも腹や頭部を切開することはあまりの痛みから死亡するケースも多く非常に困難でした。しかし、青洲は毒草であった曼陀羅華の適正使用量を研究し、死亡することなく一時的に気絶させる(眠らせる)ことが出来る麻酔薬「通仙散」を完成させました。この薬剤を完成させるため人(青洲の母と妻)で臨床試験を実施して安全性を確認したのも、現在の医薬品開発に通じる画期的な取り組みでした。

春林軒は、江戸時代の病院施設として非常に貴重な遺構ですが、ヨッシーが最も驚いたのはその高い完成度でした。患者を入院させるための個室長屋や、浄化槽を備えたトイレなど院内感染を防止する工夫がなされており、近代医療を見るような青洲の知識はまるでドラマ「JIN-仁-」を見ているようでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 3日 (木)

和歌山・三重旅行記

ヨッシーです。今日の旅行記で、ヨッシーウェブログも投稿100回目となりました。その節目の旅行二日目には、熊野三山を巡ってきました。熊野三山とは、熊野本宮大社・熊野那智大社・熊野速玉大社の総称ですが、それぞれの場所が結構離れていて一日がかりの旅になりました。

1月3日

雲取温泉(新宮)・発 → 熊野本宮大社・大斎原(田辺) → 補陀洛山寺・飛瀧神社・熊野那智大社・青岸渡寺(那智勝浦) → 神倉神社・熊野速玉大社・丹鶴城公園・阿須賀神社・徐福公園(新宮) → 花の窟神社・七里御浜・獅子巌(熊野) →(大宮大台IC~伊勢関IC)→ 栗東・泊

P1030434

写真は、青岸渡寺の境内から眺めた那智の滝です。落差は133m、水量も1t/秒もあるので遠くからでも十分にその滝の迫力を視認することができます。もちろん、この滝の規模は日本最大で、世界遺産にも認定されています。

青岸渡寺は元々、熊野那智大社の一部でしたが、神仏分離によって分けられました。そのため、元々ひとつであったことを表すように、熊野那智大社の本殿と青岸渡寺の本堂の屋根の天辺は、熊野那智大社の別宮・飛瀧神社の御神体・那智の滝の天辺と同じ高さになるように建てられています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 2日 (水)

和歌山旅行記

ヨッシーです。新年二日目からは、泊まりで和歌山方面に旅に出ました。急に思い立っての旅行でしたが、正月にも関わらず旅館もすぐに見つかって楽しむことができました。

当日も下界は良い天気でしたが、高野山は氷点下でおまけに雪降り模様でした。道脇ではタイヤにチェーンをまいている様子が多く見られましたが、一方、強引にノーマルタイヤで向かって立ち往生している車も多数見られました。信州からやってきた私の雪用タイヤに四駆という装備がまさか和歌山で役に立つとは意外でした。

1月2日

栗東・発 →(栗東IC~泉南IC)→ 根来寺(岩出) → 粉河寺(紀の川) → 慈尊院・真田庵(九度山) → 壇上伽藍・金剛峯寺・奥の院(高野) → 龍神温泉(田辺) → 雲取温泉(新宮)・泊

P1020294

写真は、高野山・金剛峯寺・奥の院にある聖地・弘法大師御廟です。参道右にある注意書きのとおり、ここより先は写真撮影禁止のため、やや遠目からの撮影となりました。

奥の院入口から弘法大師御廟まで約2kmの参道脇には大名家、会社などのお墓20万基が並んでおり、その様子は当にお墓の日本橋といった雰囲気でした。信州関係としては、松本藩水野家、諏訪家、高遠藩内藤家、飯山藩佐久間家、高遠藩鳥居家の墓地が見られました。

世界遺産に認定された高野山の古い寺院建造物は、ほとんどが国宝・重要文化財に指定されていて、見所十分の文化財の宝庫でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)