2009年5月 2日 (土)

三重旅行記 vol.3

ヨッシーです。今日からGWの後半がスタートしました。ヨッシーも例年通り、まずは滋賀に帰省いたしました。ただし、今回は高速道路が一回1,000円になって最初の大型連休なので、渋滞を避けるため遠回りですが新しく完成した道(新名神)を利用しました。おかげで、四日市辺りで6km程度の渋滞に遭遇したものの後はスムーズに移動することができました。

5月2日

自宅 →(塩尻IC~鈴鹿IC)→ 椿大神社・伊勢国分寺跡・都波岐奈加等神社・龍光禅寺・神戸公園(鈴鹿) → 専修寺・観音寺・寒松院・お城公園・福蔵寺・谷川神社・谷川士清旧宅(津) →(津IC~栗東IC)→ 栗東・泊

P50203602

写真は、椿大神社境内にある高山土公神陵です。高山土公とは当神社の御祭神・猿田彦命のことなので、高山土公神陵は猿田彦命のお墓ということになります。

猿田彦命は、天孫族(天津神)・邇邇芸尊を天上界から地上界に道案内した神様として知られています。しかしながら、興味深いのは猿田彦命が国津神であったということです。国津神は、天津神が天下る以前から日本を支配していた神様なので、猿田彦命は他所からやってきた天津神を受け入れたことになります。ヨッシーは南九州(日向)からやってきた皇族達に伊勢の地を提供して保護した後、機を見て邪馬台国の王子と皇女の縁談を取りまとめて大和朝廷の成立に大きく貢献した人物こそが猿田彦命であると考えています(2009.3.30参照)。

猿田彦命は、国津神と天津神という宿敵同士であった二大神統を融和させた神様であり、その功績が評価されたのか伊勢神宮を差し置いて猿田彦命を祀る椿大神社が伊勢国一ノ宮とされています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月30日 (月)

三重旅行記 vol.2

ヨッシーです。今日も会社から休暇をいただいて三重県内を散策しました。本日のメインは全国の神社の総本宮・伊勢神宮です。

伊勢神宮は内宮(皇大神宮:天照大御神)と外宮(豊受大神宮:豊受大御神)からなります。豊受大御神は天照大御神に食事を捧げる神様で、このことから衣食住すなわち産業を司る神様と言われています。面白いことに、内宮に属する建物の千木は全て「女造り」だったのに対して、外宮に属する建物は「男造り」でした。このことは、天照大御神(内宮)が女神であるのに対して、豊受大御神(外宮)は男神であることを表しています(2007.7.16参照)。天照大御神が生命を育む神様であり、豊受大御神が産業(仕事)を司る神様なのも納得です。ヨッシーはこの二柱が夫婦神であると考えています。

外宮の豊受大御神の「豊」とは「豊の国(豊前国、豊後国)」を表しています。そして、豊の国の中心(豊前国と豊後国の境)には耶馬渓(邪馬台国)があります。すなわち、豊受大御神は邪馬台国の大王(卑弥呼の子孫)ではないかと考えています。天孫降臨の候補地も二箇所(宮崎県高千穂峡と鹿児島県高千穂峰)ありますが、前者が豊受大御神の祖先(国津神)、後者が天照大御神の祖先(天津神)の地であると考えると合点がいきます。

邪馬台国(豊の国)は大陸文化を背景に北九州から山陰(出雲)方面へと勢力を拡大し、その勢力は畿内へも到達したと考えられます。一方、南九州(日向)の皇族は邪馬台国の勢力に圧されて瀬戸内海を西へと逃れます(2006.11.12参照)。しかし、既に畿内まで邪馬台国は勢力を伸ばしていたため、海上を東海地方まで逃れてやっと上陸することができました(神武の東征)。邪馬台国ほどではないまでも当時の九州の文化水準は高かったため、ここで尾張氏らを従えて南九州(伊勢)を再興します。そして、邪馬台国の王子(継体天皇)に皇女を娶わせて、この王子を支援して邪馬台国の実権を握ったのではないでしょうか。

以上からすると、豊受大御神は継体天皇かそれ以前の邪馬台国の大王(オオクニヌシ、スサノオなど)となります。また、豊受大御神を継体天皇だとすると天照大御神としている内宮の祭神は実は継体天皇に嫁いだ皇女ということになります。これがヨッシーの考える大和朝廷成立のシナリオです。

3月30日

津・発 → 北畠神社(津) →(勢和多気IC~伊勢西IC)→ 猿田彦神社・月讀宮・おはらい町・伊勢神宮内宮(伊勢) →(伊勢志摩スカイライン)→ 金剛證寺・山上広苑(伊勢) → 常安寺・城山公園・満留山神社・伊射波神社・九鬼岩倉神社(鳥羽) → 伊雑宮(志摩) → 二見興玉神社・倭姫宮・伊勢神宮外宮・月夜見宮・離宮院公園(伊勢) → 田丸城跡(玉城) → 斎宮跡(明和) → 妙楽寺・来迎寺・樹敬寺・松阪公園・松阪神社(松阪) →(松阪IC~塩尻IC)→ 自宅

P33021472

写真は、妙楽寺からさらに山を登ったところにある本居宣長のお墓です。松阪城下にある樹敬寺の里墓に対してこちらの墓は奥墓と呼ばれています。

伊勢神宮の話題で長くなってしまいましたので、本居宣長の解説は省略いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月29日 (日)

三重旅行記

ヨッシーです。昨日から高速道路の料金がどこまで乗っても1,000円になったので、早速この制度を利用して滋賀に帰省しました。ですが、この割引は土日祝日のみなので、帰省の翌日ですが日曜日の本日も高速道路を利用して散策に出かけることにしました。先週(2009.3.22)の東海エリア散策の続きで、三重県の史跡を巡りました。

3月29日

栗東・発 →(栗東IC~亀山IC)→ 亀山神社・亀山城址・関宿・関地蔵院・福蔵寺・瑞光寺・延命寺(亀山) → 敢国神社・芭蕉翁生家・蓑虫庵・上野市駅・上野公園・崇廣堂・伊賀越資料館・射手神社・高倉神社・観菩提寺・猪田神社・大村神社(伊賀) → 奈垣国津神社(名張) → 国津神社(津) → 津・泊

P32916122

写真は、上野公園内に建てられていた県の有形文化財・俳聖殿です。松尾芭蕉の生誕300年を記念して昭和17年(1942年)に建てられたまだ新しい建造物ですが、斬新なデザインと芭蕉の時代からある建築資材を利用して当時最先端の技術により完成させたところに文化財としての価値があります。

説明するまでもなく、上層の屋根は芭蕉の笠、下層の屋根は芭蕉の蓑をイメージしています。この俳聖殿の中心には内陣があって、その中には等身大の伊賀焼の芭蕉坐像が納められています。

松尾芭蕉は、武士の家に生まれながら武士を捨てて自分の足で全国を廻り、身分に関係なく色々な人々と触れ合いながら自分の目で見た各地の個性や魅力を詩(俳句)にして全国に紹介しました。言わば、日本初の観光評論家とも言える人物であり、ヨッシーが憧れ尊敬する人物の一人です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月22日 (日)

愛知・三重・岐阜旅行記

ヨッシーです。三連休の最終日は、尾張西部を南下しました。今日も朝方は天気が悪く足元が心配でしたが、街中の史跡が多かったためほとんど影響なく散策を楽しむことができました。

3月22日

一宮・発 → 真清田神社・妙興寺(一宮) → 尾張大国霊神社・万徳寺・性海寺・長光寺(稲沢) → 高田寺(北名古屋) → 清洲公園(清須) → 蓮華寺(美和) → 津島神社(津島) → 須成神社(蟹江) →(蟹江IC~桑名東IC)→ 六華苑・浄土寺・七里の渡跡・九華公園・円妙寺・照源寺・多度大社(桑名) → 治水神社(海津) →(大垣IC~塩尻IC)→ 自宅

P32212422

写真は、六華苑の旧諸戸氏庭園です。庭園奥に見える洋館は、この庭園のかつての所有者であった諸戸清六の旧邸で国の重要文化財に指定されています。

諸戸清六は、父・清九郎から引き継いだ庄屋業を明治維新を機に一気に拡大し、後に三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎とともに新政府軍の御用米の調達に協力したことから大蔵省の御用蔵となり一躍桑名を代表する大長者になった人物です。

六華苑は、諸戸清六の自邸(和館)や蔵、迎賓館(洋館)とその付属庭園を整備したものです。鹿鳴館の設計者であるジョサイア・コンドル設計の洋館(国重文)と回遊式庭園(国名勝)が見所です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 3日 (木)

和歌山・三重旅行記

ヨッシーです。今日の旅行記で、ヨッシーウェブログも投稿100回目となりました。その節目の旅行二日目には、熊野三山を巡ってきました。熊野三山とは、熊野本宮大社・熊野那智大社・熊野速玉大社の総称ですが、それぞれの場所が結構離れていて一日がかりの旅になりました。

1月3日

雲取温泉(新宮)・発 → 熊野本宮大社・大斎原(田辺) → 補陀洛山寺・飛瀧神社・熊野那智大社・青岸渡寺(那智勝浦) → 神倉神社・熊野速玉大社・丹鶴城公園・阿須賀神社・徐福公園(新宮) → 花の窟神社・七里御浜・獅子巌(熊野) →(大宮大台IC~伊勢関IC)→ 栗東・泊

P1030434

写真は、青岸渡寺の境内から眺めた那智の滝です。落差は133m、水量も1t/秒もあるので遠くからでも十分にその滝の迫力を視認することができます。もちろん、この滝の規模は日本最大で、世界遺産にも認定されています。

青岸渡寺は元々、熊野那智大社の一部でしたが、神仏分離によって分けられました。そのため、元々ひとつであったことを表すように、熊野那智大社の本殿と青岸渡寺の本堂の屋根の天辺は、熊野那智大社の別宮・飛瀧神社の御神体・那智の滝の天辺と同じ高さになるように建てられています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)